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第70話(削除)
2005年01月08日 13時02分28秒

第69話「クリスマスのためのレコード」
 ブレイン時代のフィルハーモニア管弦楽団がクリスマスのために録音したレコードが2枚あります。

 1枚は、トスカニーニ・コンサートの翌々日の1952年10月3日、ジョン・プリッチャードの指揮、コヴェント・ガーデン・コーラスとハムステッド・パリッシュ・チャーチ・コーラス。10インチSP盤でA面は「聖しこの夜」、B面は「ファースト・ノエル」。もう1枚が1957年5月25日から6月1日にかけて録音されたLP「クリスマス・アルバム」でチャールズ・マッケラスの指揮、アンブロジアン・コーラスとジュリアン・ブリームのギター。独唱はいずれもエリザベート・シュワルツコップ。

 「聖しこの夜」は、1952年録音がマルコム・サージェントとコンスタント・ランバートの弟子で後に雑誌グラモフォンで長く評論を書いたライオネル・ソールターによるオーケストラ編曲。1957年録音はオリジナルのギターとホルン伴奏です。

 ロバート・マーシャルの本「レコードのデニス・ブレイン」は、1957年5月26日にブレインがケンブリッジにいたという理由で1957年録音に?マークを付しています。
 ウォルター・レッグは、エリザベート・シュワルツコップが歌うためのクリスマス・キャロルを4曲編曲する仕事を私に依頼しました。発売された(Columbia LB131)のは2曲だけでほとんどレッグの楽しみのためとはいえ、「ファースト・ノエル」の最後のふし(3/4です)の対旋律をデニス・ブレインの吹くサセックスのクリスマス・キャロル(4/4です)にしたところが面白かったです。

ライオネル・ソールター「わが歩みを振り返る」、英ICRC1999年冬号
2004年12月24日 20時26分21秒

第68話「ロイ・ヘンダーソン インタビュー」
 1943年、ノッティンガム・オリアナ合唱団はホルンのデニス・ブレインとノーマン・デル・マー、ハープのグウェンドリン・メイソンとブラームス(作品17)とホルストの合唱曲を録音した(M560/2、7/44)。「私はそれらの曲を演奏するため合唱団をナショナル・ギャラリー・コンサートに連れて行きました。その午後、私たちは西ハムステッド、ブロードハースト・ガーデンにあるDeccaスタジオへ行き録音したのです。」(ロイ・ヘンダーソン

 英ICRC1998年夏号より
2004年12月23日 21時55分26秒

第67話「フルトヴェングラーとフィルハーモニア管弦楽団(6)〜ベートーヴェン・サイクル」
 テープ132キロメートルに及ぶ1952年録音「トリスタンとイゾルデ」の成功は、フルトヴェングラーのウォルター・レッグに対する感情を和らげたようで、以降プログラムやスケジュール調整に関するやりとりが煩雑に行われました。

 実現したのがベートーヴェン・サイクルで、1954年のルツェルン音楽祭でクライマックスを迎えます。


(演奏会)

1953年3月27日
ベートーヴェン/「エグモント」序曲
ベートーヴェン/交響曲第6番
ベートーヴェン/交響曲第7番


1953年3月12日
ベートーヴェン/交響曲第4番
ベートーヴェン/「レオノーレ」序曲第2番
ベートーヴェン/交響曲第5番

(録音)

1953年4月7日〜8日
ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲(ユーディ・メニューイン)

1953年4月9日
ベートーヴェン/ロマンス第1番、第2番(ユーディ・メニューイン)

1953年9月12日〜13日
バルトーク/ヴァイオリン協奏曲第2番(ユーディ・メニューイン)

(ルツェルン音楽祭)

1954年8月21、22日
ベートーヴェン/交響曲第9番
エリザベート・シュワルツコップ、エルザ・カヴェルチ、エルンスト・ヘフリガー、オットー・エーデルマン
ルツェルン音楽祭合唱団
22日の放送録音が残っていて、「ルツェルンの第9」と呼ばれています。

1954年8月25日
ハイドン/交響曲第88番「V字」
ブルックナー/交響曲第7番

 「ウォルター・レッグ/言葉と音楽」(アラン・サンダース著、Routledge、1998)の後書きにシュワルツコップがエピソードを寄せています。

 …ルツェルンで最後のベートーヴェンの第9交響曲を2度演奏した翌朝、わたしたちはチューリヒ行きの列車の中で会いました。彼は微笑みながら私にこんなことを言いました「シュワルツコップさん、そのうちあなたの(演奏)リストから第9を消してもらえますか。何年かするとあなたと同じくらい一流の第9ソプラノが大勢出てきます。彼女らの声質はもっとドラマティックになりそうなんですよ。」…
2004年12月18日 15時05分08秒

第66話「フルトヴェングラーとフィルハーモニア管弦楽団(5)〜二度目の録音」
 フルトヴェングラーとフラグスタート、フィルハーモニア管弦楽団によるワーグナーのブリュンヒルデの自己犠牲(=楽劇「神々の黄昏」終幕の場)には1948年録音と1952年、「トリスタンとイゾルデ」全曲録音が予定より3日早く終わった際に、ボーナスとして収録された再録音があります。

 その前年の1951年、フランスのパテ・マルコーニは、1948年録音をLP化してB面にカール・ベームが同じくフラグスタートと録音したものをカップリングし、フルトヴェングラーの許可を得ずに発売してその怒りを買い、慌てて発売を中止しました。

 パテ・マルコーニはすぐに別組み合せの別番号で再発売し、数年後、1952年録音をそれと同じ番号で発売したため、現在でもちょっとした混乱を招きますが、いずれもまさに十八番の素晴らしい演奏です。

1952年4月24日
シューマン/「マンフレッド」序曲
シューマン/交響曲第4番
ラヴェル/スペイン狂詩曲
ワーグナー/ウェーゼンドンクの五つの詩(キルステン・フラグスタート)
ワーグナー/楽劇「神々の黄昏」から「 ブリュンヒルデの自己犠牲」(キルステン・フラグスタート)

(以下録音)

1952年6月9日〜23日
ワーグナー/楽劇「トリスタンとイゾルデ」
キルステン・フラグスタート(S:イゾルデ)、ブランシュ・シーボム(S:ブランゲーネ)、ルートヴィッヒ・ズートハウス(T:トリスタン)、ヨーゼフ・グラインドル(Bs:マルケ王)、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br:クルヴェナール)、ルドルフ・ショック(T:牧童&水夫)、エドガー・エヴァンス(T:メロート)、ロドリック・デーヴィス(Br:かじとり)
コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団

1952年6月23日
ワーグナー/楽劇「神々の黄昏」から「ブリュンヒルデの自己犠牲」
キルステン・フラグスタート(S)

1952年6月24日〜25日
マーラー/さすらう若人の歌
F.ディースカウ(Br)
2004年12月13日 01時02分17秒

第65話「フルトヴェングラーとフィルハーモニア管弦楽団(4)〜カラヤン時代到来」
 「再度金銭上の問題について。カラヤンがさまざまのタイトル(headings)のもと、総額300ポンドを受け取ったとか。再度この点におけるあなたの考えをお聞かせ下さい。ヨーロッパなみの出演料ではこれ以上貴国で指揮を続けられないことはさておき、望むと望まざるに拘らず、カラヤンが出演料に及ぼす圧力を考慮しなければならないことは、誰の目にも誠に遺憾であります…」(1950年8月17日付レッグ宛手紙の追伸から)

1951年2月19日〜20日(録音)
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(エドウィン・フィッシャー)

1951年2月22日
ウェーバー/歌劇「魔弾の射手」序曲
ブルックナー/交響曲第7番
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(エドウィン・フィッシャー)
この演奏会よりセシル・ジェームズ(fg)入団。

1951年3月9日
ワーグナー/歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
ワーグナー/舞台神聖祝典劇「パルジファル」から聖金曜日の音楽
ワーグナー/楽劇「ワルキューレ」第1幕抜粋(演奏会形式)
トレプトウ(T:ジークムント)、グラインドル(Bs:フンディング)、ヒルデ・コネツニ(S:ジークリンデ)

1951年10月25日
ベートーヴェン/大フーガ
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番(マイラ・ヘス)
ブラームス/交響曲第1番
 1951年。3年目でマハラージャーからの資金援助打ち切り、英国祭とロイヤル・フェスティバル・ホール開場、SPからLPレコードへ。カラヤンは既にウィーン・フィルハーモニーとの録音を止めて、フィルハーモニア管弦楽団は「カラヤン時代」を迎えていました。
2004年12月09日 23時34分09秒

第64話「フルトヴェングラーとフィルハーモニア管弦楽団(3)〜without D.B.」
 初めての録音と演奏会を果たしたにも拘らず、ウォルター・レッグにとってフルトヴェングラーをフィルハーモニア管弦楽団(PO)の指揮台に招くのは常に困難を伴いました。

 1950年8月17日付け、フルトヴェングラーからレッグ宛ての手紙には、2年前の敗軍の将のように臆したところは全然無くて、既に決まった日取りさえベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(BPO)との都合次第であるようなことが書かれています。

 結局BPOのエジプト演奏旅行がキャンセルとなってPOとの2度目の演奏会が実現しますが、ちょうどロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の米国演奏旅行の最中のため、デニス・ブレインやジェームズ・ブラッドショウといったスター・メンバーは欠席でした。
1950年11月13日
ウォルトン/「スカピーノ」序曲
ブラームス/ハイドンの主題による変奏曲
シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」
ベートーヴェン/交響曲第5番

1950年12月11日
メンデルスゾーン/「フィンガルの洞窟」序曲
シューベルト/劇音楽「ロザムンデ」より舞踏音楽第2番、間奏曲第3番
バルトーク/管弦楽のための協奏曲
チャイコフスキー/交響曲第5番

 ウォルトンの「スカピーノ」序曲は、シカゴ交響楽団の創立50周年委嘱作で(1940年にフレデリック・ストックが初演)ウォルトンが改訂したものの英国初演。シカゴ響事件後のフルトヴェングラーの辛辣なメッセージだったとすれば、驚きです。
2004年12月05日 23時35分34秒

第63話「フルトヴェングラーとフィルハーモニア管弦楽団(2)〜1950年5月22日」
 1950年5月22日、フィルハーモニア・コンサート・ソサエティ(会長:マイソーのマハラージャー)による8回の演奏会の最後を飾ったフルトヴェングラーの演奏会。リヒャルト・シュトラウスの「四つの最後の歌」の世界初演を挟んで両端にワーグナーが演奏されました。

 デニス・ブレインが楽器をフレンチ・タイプ(ピストン式)のラウーからジャーマン・タイプ(ロータリー式)のアレキサンダーに変えた転換点という意味でも重要な演奏会です。

 以前、「四つの最後の歌」はシュトラウスが自分のためのレクイエムとして妻パウリーネの声を思いつつ作曲したとされていましたが、最近では、存命中に演奏されることを前提に、偉大なるワーグナー歌手、キルステン・フラグスタートの為に特別に作曲されたものと考えられてるようです。

 ファイナル・リハーサルのものとされるレコード盤は、CDとなって聴くことができますが、中断することなく演奏されていて最後には拍手さえ入ります。収録順序は「春→九月→眠りにつこうとして→夕映えの中で」で、実際の演奏「眠りにつこうとして→九月→春→夕映えの中で」から編集されています。

 最近同じ日演奏されたワーグナーの録音がロンドン、バービカン・ホール内 Music Preserved に保管(Chris Philip氏寄贈)されていることも判りました。

 作曲の動機付けとなった「夕映えの中で」の詩が、ブラームスの女性合唱と2本のホルン、ハープのための四つの歌作品17の「庭師」と同じヨゼフ・フォン・アイヒェンドルフであることもさらに愛聴する要因です。

 私はレコード芸術平成5年10月号の読者投書箱、青田伸夫さんの記事「四つの最後の歌」讃が、同曲への誘いとして今もなお最良と思っています。
2004年12月02日 00時03分23秒

第62話「フルトヴェングラーとフィルハーモニア管弦楽団(1)〜出逢い」
ウィルヘルム・フルトヴェングラー by 夢中人 第2次世界大戦後、ウィルヘルム・フルトヴェングラーが英国楽檀に再び登場した1948年2月。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(LPO)への客演で、ロンドンばかりでなくバーミンガム、レイセスター、ウォトフォードといった地方都市も巡業したといいますから、1937年5月、クイーンズ・ホールでのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との第九(*)やコヴェント・ガーデンで「指環」全曲演奏をしてドイツの栄光をもろにしょっていた頃とはかなり対照的です。

* 暴風雨を思わせるような最後のプレスティッシモ、ルツェルンの第九よりもっと速い(IMG Artists 5 62876 2、P2004) 。演奏後、サヴォイ・ホテルでサー・トーマス・ビーチャム主催によるLPOのメンバーとの大交歓パーティが行われました。
 アラン・サンダース著「ウォルター・レッグ、言葉と音楽」にこの戦後最初の訪英を前にしたフルトヴェングラーがウォルター・レッグに宛てた手紙があり、恐らくレッグの一連のフィルハーモニア管弦楽団(PO)への出演要請への返信と思われますが、LPOとのことばかりが語られます。

 マスコミによる「ユダヤ人のための慈善演奏会」という触れ込みや英国聴衆の反応に対する心配、自分は政治ではなくあくまで人のために活動しているのであって、決して日和見主義ではない…など 。

 LPOへの客演は、フルトヴェングラーの元秘書で当時LPOのマネージメントに携わっていたベルタ・ガイスマール博士(女史)に負うところが大きいと想像するのですが、POとのやや複雑な仲は、以後しばらくワーグナー歌手のキルステン・フラグスタートが取り持つことになります。

 フルトヴェングラーはLPOと3月22日から25日、キングズウェイ・ホールでブラームスの第2交響曲を録音(Decca)。翌26日、アビー・ロード・スタジオでフラグスタートと録音したワーグナーの楽劇「神々の黄昏」から「ブリュンヒルデの自己犠牲の場」(EMI CDH 7 63030 2、P1989)で初めてフィルハーモニアの指揮台に立ちました。LPOは戦前コヴェント・ガーデンのピット・オーケストラ(こちら)でしたが、POのワーグナー録音はまだ3度目。それも以前の2度は、ドブロウエンとクレツキによる名歌手とローエングリンの前奏曲のみ。にも拘らず弦楽器も金管も後半の盛り上がりが大変素晴らしいです。

 明日はフルトヴェングラーの50回目の命日。BBCラジオ3が特集して、POとLPOの元メンバーがマエストロとの演奏の思い出を語る番組も組まれます。
2004年11月29日 22時09分06秒

第61話「蘇る神の音色」
 前にお伝えした明石南高校放送部さんの作品、タイトルは「蘇る神の音色」。2004年兵庫県高等学校総合文化祭放送文化部門出品作品です。多方面に取材されて、見事に完成されました。是非お聞き下さい。

2004年11月26日 23時26分30秒

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