憧れのデニス・ブレイン

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580.若いって素晴らしい

name: 夢中人 - 2003年10月04日 8時11分52秒

バリー・タックウェルがリヒャルト・シュトラウスの協奏曲をLP時代にイシュトヴァン・ケルテスと、CDになってからアシュケナージと録音したものがあります。若いときの演奏の方が聴き映えがしてデニス・ブレインがシュトラウスの1番の古い1947年録音が一番好きだと言っていたのと同じなのが面白いです。

ズーカーマンと同じガラミアンの弟子にマイケル・レビンがいましたが、そのパガニーニの1番はフィルハーモニア(マタチッチ指揮)との旧録音が優れていました。これまたしかり。

ブレインにはベートーヴェンやモーツァルトの同曲異演奏盤がありますが、総じて若いときの演奏のほうが古典的なスタイルでホルンらしいノンビリとした味わいがあるのに比べて晩年?になるにつれ音色がどんどん洗練されて高みに上がってしまって近寄り難い気がします。特にモーツァルトのホルン五重奏曲(グリラー・カルテット→カーター・トリオ→イングリッシュ・カルテット)などは。

以前Favartさまがおっしゃっておられたようにブレインの芸術はブラームスやシューベルトで花開いてしみじみとした美しさを湛えているように思いますが、若いときの純粋無垢な音には聴いたとたんいっぺんに心を持っていかれるようなことがありました。

ミケランジェリもカーマニアでしたか。それはもう仕事の合間には絶対車の話ですね!


579.追記(578)←訂正投稿(581)あります

name: Favart - 2003年10月03日 22時59分23秒

ブレイン、ミケランジェリ、カラヤンの愛車の国籍を考えると、ブレインだけが他国=フランスの車を好んでいたことは彼がラウーを好んでいたことと関係のあるやなしや・・・。
(もっともカラヤンの本籍はギリシアでしたっけ?)


578.トライアンフシトロエンTR2 vs. フェラーリ(3500cc?)

name: Favart - 2003年10月03日 22時13分44秒

ブレインとミケランジェリのお二人。趣味の共通点は異常なまでの自動車好き。ブレインは凍てついたアルプスの山道を猛烈な勢いで自動車を操縦したとのこと。トライアンフシトロエンTR2が最後の車となってしまった。また、ミケランジェリの愛車はフェラーリ(3500cc?)で、通常スピード180km/時!!、速いときは240km/時!!!とのこと。グラチス/フィルハーモニア管(ブレイン参加)でラヴェルとラフマニノフを録音した時、二人が共通の趣味について気が付いたかどうか興味が湧きます。もし、その時の指揮が乗り物狂のカラヤン(メルセデス300SL)だったら・・・???
ちなみに、ミケランジェリは演奏会のギャラは並外れていたそうですが、貧しいヴァイオリニストにヴァイオリンを買い与えたり、修道院に小さなオルガンを買ったり、慈善事業のために無料で出演したりと人助けに熱心だったようです。唯一の贅沢が自動車だったとのこと。(「568」の本による。)BMの弟子、ピアニストの高野耀子さんの話によると食べ物も超高級を好んだとのことです。極上のステーキなど・・・。
ミケランジェリの輸入CD?でヴァチカン・コンサート?(4CD)はスカルラッティが入っていたような気がしますが、ガルッピはどうでしたっけ?うろおぼえ。


577.個人における演奏の変遷

name: CATO - 2003年10月03日 19時53分23秒

などという、かっこ良過ぎる標題で、ミケランジェリの15枚組に触発されて
同じ曲を繰り返して録音している例について私が親しんだ小さな範囲で思い起こしてみました。

ブレイン:夢中人さんの詳細な記録発掘とコレクションに付け加えることはありません。ブレインには普通の晩年がないことを返す返す残念に思うだけです。そして、年代的な制約で、ある程度飽和に達した録音技術の結果を経時的に比較できないのも辛いところです。
この点、バボラークなんかは今後苦しい時間が続きそうです。彼がいつモーツアルト、Rシュトラウスの定番を録音するか?ベスト盤を一回きりか?あるいは、しないか? 楽譜に忠実で(例えば協奏曲第二番の楽譜を見ながらブレインの演奏と比較するとよく判りました)、まことに誠実で確実なザイフェルト先輩を超える音楽に、なるべく若い時に一回目のチャレンジをして欲しいと願っています。

ズーカーマン:初回録音のモーツアルトバイオリン協奏曲は衝撃でした。これでもかという、若さに任せた甘い甘い音と歌い方が大変印象的でした。その点、私が買った録音は、今でも愛聴盤ですが、甘さ控えめで少しがっかりしました。その後モーツアルト以外にも再録音はあるようですが、CDを買うには到っていません。

あと、大ピアニスト達や千葉馨さんについても書きたいことがあります。しかし、また脱線しそうなので今回はこの辺で。


576.(おしまい)は残念

name: CATO - 2003年10月03日 2時08分16秒

KEITH さんのご意見大変興味深いです。また、実際に演奏もされるみたいで、ブレインと室内楽曲で競演するピアニストについても伺いたいところです。ホルンとピアノの息の合い方についてのご意見などについて。また、これを機会にブレインについても親しんでもらって<装飾音や跳躍パッセージなんか「ブレイン」みたいな名人でないとあんな風には「吹」けないだろうと思われる。>というような技術論が聞きたいです。

もっと書きたいが、寝ます。


575.ミケランジェリのガルッピ (おしまい)

name: KEITH - 2003年10月02日 15時57分30秒

ミケランジェリは実は不調で曲目をガルッピハ長調に代替したのではないのでは? 
これは単なる勝手な憶測でありますが、当初予定曲目のイタリア風コンチェルトというのが示唆的ですが「バッハのイタリア風じゃなくて、ガルッピが本物のイタリアだから、聴いてみろ」みたいな意図があったりして。 実際に不調なんて感じさせないリサイタルだっただろうし、ガルッピやスカルラッティ弾く時には他では見られないような恍惚状態ではないかと想像しております。 主催者が、知られていないガルッピじゃあチケットが売れないからバッハにしておこう、なんて馬鹿なこともないとは思うが。

ミケランジェリは、イタコンは何度も弾いて録音も残していいるんだし、音大生ならだれでも弾くし、技術的にそんなに難曲ということでもなく、むしろガルッピの終楽章プレスト/アレグロアッサイの装飾音や跳躍パッセージの指回しなんかミケランジェリみたいな名人でないとあんな風には弾けないだろうと思われる。

「ガルッピ」でネット検索したら、上位で本掲示板がヒットしたので投稿しましたが、BBSのタイトル趣旨と違った乱入で大変失礼いたしました。 また、数々の貴重なレスポンスありがとうございました。 (ミケランジェリのイタリアンバロックの1ファンのKEITHより)

KEITHさま

記憶力抜群のCATOさんとFavartさんの博学に頼りっぱなしで管理人本人が寡聞のため全くお構いできませず申し訳ありませんでした。でもまた遊びに来て下さい。

夢中人

574.なつかしい番組!

name: Favart - 2003年10月01日 21時45分59秒

CATOさん、曲目変更の理由、納得しました。指の調子が悪かった話は私も聞いたような気がします。妥協を許さないミケランジェリらしいですね。
音楽評論家による年末恒例の番組は私も毎年聞いていました。FM放送だったと思いますが、野村光一、丹羽正明、大木正興の他に中島健三氏が出席していて座長役をしていました。各人が本音でかなり辛辣な批評をしていて、特に野村氏の批評は凄かった!記憶があります。収拾がつかなくなると中島氏がなんとかとりまとめていました。既に皆様故人となられましたが、こんな番組が復活したらなんと楽しい事かと思います。けれども最近は音楽会の数も当時に比べて膨大にに増え、演奏スタイルも非常に多様化しており、こんな番組が存在できない時代に突入しているのかもしれません。


573.曲目変更の理由

name: CATO - 2003年10月01日 6時33分45秒

ブレイン掲示板にピアニストの話題を撒いてしまった事のゴメンナサイついでにもう少し。私は記録を参照して指摘できませんが、曲目変更の理由はミケランジェリの指の不調であったはずです。その頃、年末に野村光一、丹羽正明、大木正興らの評論家諸氏が年末に1年の演奏会を総括をする恒例の番組がNHKにあり、そこでこの曲目変更の理由を聞いた記憶があります。番組ではガルッピ演奏の録画が流れました。楽章の途中で彼が指を気にしている様子が映りました(ような記憶があります)。

1973年は、クレンペラーが88歳で亡くなった年です。


572.ウォルサムストウにて(おしまい)

name: 夢中人 - 2003年10月01日 6時08分46秒

(デニス・ブレインと関係の無いボールトのお話は今回でおしまいです!ウォルサムストウ・アセンブリー・ホール Walthamstow Assembly Hall は美しい市役所 Walthamstow Town Hall の側にあります。)

サー・エードリアン・ボールトは毎日録音が終わると例の運転手にヴィクトリア駅まで送ってもらい、そこから自宅のあるドーキング行きの列車に乗りました。私もホールに残る必要がないときはボールトの車に一緒に乗せてもらいました。

車中その日の仕事のことを話したり、いろいろ音楽のことを質問することが出来ました。ボールトははいつも協力的かつ大変熱心に話してくれました。ヴィクトリア駅に着くとビュッフェでオレンジ・スカッシュの大きいのをふたつ買ってくれてそこに座ってさらに音楽について語りました。これがあとあと彼との仕事で大変役に立ちました。

(これまでのお話 474556557561569 はジョン・スネイシャル「パイ・ニクサ物語」〜ICRC1995年春、秋号〜を参考にしました。)

小池滋さんによるウォルサムストウの街の由来です。

「19世紀末の工芸家・社会主義者・ユートピア思想家として知られるウィリアム・モリスが1834年に生まれたのが、同じリー川のもう少し上流、ハックニーより数キロ北にあるウォルムストウ(Walthamstow)という土地だが、彼の父は土地の農民ではなく、シティ地区の裕福な株屋だった。つまりモリス家はこうしたサバーピア(鉄道で通勤できるロンドン郊外の新興住宅地)文化村住民の先駆者だったと言ってよい。」

 小池滋「世界の都市の物語6〜ロンドン」(文芸春秋社、1992年)

571.モーツァルトとガルッピ

name: Favart - 2003年10月01日 0時01分14秒

KEITHさんのおっしゃるようにモーツァルトはガルッピの影響を多く受けているそうです。18世紀の音楽の中心はイタリアだったそうで、父レオポルドはアマデウスを連れてイタリア旅行をしたそうな。オペラ・ブッファの大家ガルッピからはもちろんオペラの影響をうけているそうですが、ピアノ曲でもモーツァルト作とされている曲がガルッピ作ではないかといわれている曲があります。K.72aがそれで、「D.ハーツはこの曲の様式はモーツァルトよりガルッピに近いことを指摘している。」とのことです。(以上海老澤敏監修:モーツァルト事典1991年、東京書籍)
ご質問のミケランジェリのガルッピの録音は東京ライヴがNHKのライブラリーに保存されているはずです。この日の演奏会をFMで放送していたので。(祈!CD発売!)
'73東京公演でイタリア協奏曲をガルッピに変更したのはもちろんガルッピがお気に入りだったからだと思いますが、違う見方をすると完璧を目指すミケランジェリにとって当日はイタリア協奏曲の演奏が困難だったからではないかと推察しています。より楽なガルッピにしたのでは?と言うと叱られそうですが。
夢中人様、またまたブレインから脱線してしまいゴメンナサイ。


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