憧れのデニス・ブレイン

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480.1948年ロンドンのブッシュ

name: Favart - 2003/05/04

夢中人様
錚々たるブレイン研究家の中に私の名前を加えていただき、ありがとうございます。場違いの感はありますが (^_^;)。
トレバー・ワイはイギリスのフルート奏者でジェフリー・ギルバートに師事していることもあり、ブッシュ/モイーズのロンドンでの録音や演奏会に詳しいようです。4月30日の演奏会はあくまで私の推測ですので、日付、演奏会場、曲目が間違っている可能性があります。ただ、ホルン2本、オーボエ3本となるとブランデンブルク協奏曲第1番の可能性が高いと思います。この時期にブッシュ四重奏団はチェルシー・タウン・ホールで一連の演奏会を行っており(ペティットの本)、10回シリーズの演奏会にはブッシュ四重奏団の演奏会も含まれるのかもしれません。
ANN McCUTCHAN著「MARCEL MOYSE」(AMADEUS PRESS 1994)でも1948年のブッシュの演奏会のことが書かれています。「モイーズ・トリオ(M.Moyse、L.Moyse、Blanche Honegger Moyse)は1948年に再びブッシュ・アンサンブルと共演し、HMVへ最後の録音を行った。この録音はリリースされなかった。」とあります。録音された曲目は残念ながら書かれていません。ブランデンブルク協奏曲の再録音を企画していたとすれば、デニス・ブレインの2度目の録音はボイド・ニールでなく、ブッシュとの共演となっていたかもしれません。


479.477「ブランデンブルク」の補足と一部訂正

name: Favart - 2003/05/03

ブッシュ室内管弦楽団の「演奏者リスト」はトレバー・ワイ著「マルセル・モイーズ」の中で1948年5月7日(金)のプログラムの横に掲載されていて、少なくとも1948年の4月30日と1948年5月7日の演奏者リストと考えるのが自然なようです。そして、ブランデンブルク協奏曲第1番は3人のオーボエ奏者が演奏するので1948年4月30日に演奏されたと推測されます。デニス・ブレイン、イアン・ビアズのホルン、オーボエはRothwell、Boughton、Cruftの3人、バスーンはPaul Draper、ヴァイオリンはアドルフ・ブッシュでブランデンブルク協奏曲第1番が演奏されたのではないでしょうか。コールアングレ(イングリッシュホルン)のLeonard Brainの演奏曲が分りませんが、プログラムの冒頭に「BUSCH CONCERTS TENTH SERIES-1948」とあり、5月7日は「FOURTH CONCERTS」(第4回)なので、他にもたくさんの曲目が演奏されたようです。
ブランデンブルク協奏曲第5番の録音年月日(1935年10月10日)はEMIのCDには記載がなく、ANN McCUTCHAN著「MARCEL MOYSE」(AMADEUS PRESS 1994)のディスコグラフィーに記載されています。EMIのCDでは1935年10月9〜17日とあり、10月9日に録音を開始したようです。(第3番or第5番?)

ありがとうございます!Favart様のお名前とともにブッシュ室内管弦楽団の演奏会情報をConcert Register(1948)に掲載しました。

ブッシュ室内管弦楽団のブランデンブルグ協奏曲のフルートが二人のフランス人(モイーズ父子)でその他の管楽器奏者がイギリス人であることを訝(いぶか)しく思いその理由をHMVのフレッド・ガイスバーグに訊ねた人がいます。イギリス第一級のフルート奏者でのちにビーチャムのロイヤル・ハーモニー管弦楽団で首席を吹いたジェフリー・ギルバートです。

ガイスバーグの返事は当時フルートの伝統的な英国スタイルはヴィブラートのない木製フルートが主流で(すでにコルトーのものをカタログに持つ)EMIでは受け入れられないというものでした。ギルバートは腹を立てるよりも、フレンチ・スタイルのフルート奏法が一体どんなに特別なものなのか知りたくなり録音現場に行ってみることにしました。

ギルバートはアビーロード・スタジオで音がオーケストラの真上に浮かび出るようなモイーズの銀色のフルートを聴いて圧倒され、その経験から演奏方法をフレンチ・スタイルに楽器も木製から銀製に取替える、いわばフルート奏者としての人生を変えたといいます。

478.CDを聞いて

name: 坂本直樹 - 2003/05/02

夢中人さん、お久しぶりです。珍しく入院をしたので、買ったまま置いておいたCDを持って行きました。(TOCE−9325〜37)
じっくり解説を読みながら聞くと、いろいろ考えさせられました。
1.LPの頃から気になっていた「アダージョとアレグロ」のアダージョの中の低音(2’39”)の音程。この最低音、唇で調整しているのか、どうも不安定に思えるのですが、どうでしょう?Bシングルを使った最初の録音とのこと。Bシングルといえばジャケットの写真はみんなゲシュトップしかついていないごく単純な楽器なので、てっきりそれしか使っていないと思っていたのですが、やはり音域のことがあるのでしょう、「奇跡のホルン」やレーザーディスクに写っている楽器は切り替えをして長い管が使える(low−Fでしょうか。でも巻き方が複数ありますね)Bシングルでした。あと、アレグロの最後の方(7’33”あたりから)がすごく荒いですよね。ブレスの音はともかくとして、ちょっと乱暴なんじゃない?
2.ヒンデミットの協奏曲。録音時期からてっきりBシングルだと思っていたのですが、ラウーを使っているとのこと。完全に切り替えてしまったわけではないんですね。
3.まだ2ndを吹いている若い時代からステレオ録音まで聞いてみても、あのカラヤンとのモーツァルトは正に「奇跡」ですね。改めてそのすごさに感動しました。

坂本様。ブレインはモーツァルトの1番で下降音形中の低音の音程をちょっぴり高く外して演奏効果を上げているように思うのですが、シューマンのアダージョの最低音の不安定さもどこか意味ありげに聞こえませんか?ヒンデミットの協奏曲についてスティーヴン・ペティットは本家EMIのCD解説書(CDC 7 47834 2、P1998)でシュトラウスと同様アレキサンダーB♭シングルを吹いたと書いています。東芝EMIの解説書はブレインの弟子の千葉さんの執筆なので本当のところはどちらでしょうね。イギリスの友人は1952年に完全に切替えてから4年経過したヒンデミットはたぶんアレキサンダーだろうと言っています(といつも人のせいにする私)。 夢中人 5月3日

477.ブッシュのブランデンブルク

name: Favart - 2003/05/02

ブッシュのブランデンブルクはモイーズが参加しているので私にとっては昔からのおなじみです。トレバー・ワイ著「マルセル・モイーズ」の中に演奏会のプログラムと演奏者リストが載っていました。プログラムは1948年5月7日のキングズウェイ・ホールのもので、第4番がモイーズ父子により演奏されています。この他にヘンデルの合奏協奏曲とバッハのカンタータNo.161が同じ日に演奏されています。演奏者リストの方には日付けがありませんが、ホルンはDenns BrainとIan Beers、フルートはMoyse父子、コールアングレはLeonard Brain、オーボエはRothwell(後にバルビローリ夫人)、Boughton、4月30日Cruft、ヴァイオリンにはBlanchette Honegger(後にルイ・モイーズ夫人)らの名前が見られます。(4月30日の日付が入っているので1938年10月の演奏者リストではなさそうです。1939年以降?)
一方、録音の話ですが、EMIのCDでは第5番は1935年10月10日録音とあり、第3番と同じ日のようです。

Favart様、いつもナイスなフォローありがとうございます!タネ本に一番有名な5番が入っていないのはちょっと気になっていました。ワイによるモイーズの伝記はきっと思い入れのある本なのでしょうね。ブレイン兄弟、イアン・ビアズとくればRPOのメンバーですから1946年以降ということになります。日本ではバロック音楽といえばイ・ムジチ=ヴィヴァルディの四季のレコードが火をつけた感じですが、ヨーロッパではバッハやヘンデルが戦前からブームを起こしていて、ブレイン父子が一枚噛んでいたことには感慨深いものがあります。エコール・ノルマルの1番の演奏もAmazon UKで触りを聴きましたがなかなか良い演奏でした。 夢中人 5月3日

476.ブッシュ室内管弦楽団

name: 夢中人 - 2003/04/29

ヴァイオリン奏者のアドルフ・ブッシュ (1891-1952) は自宅のあったスイスのバーゼルを本拠とした室内オーケストラを作るとき弦楽器奏者の精鋭とフルートのマルセル&ルイ・モイーズ親子を固定メンバーとしてあとの管楽器奏者は演奏会をする先々で調達しようと考えました。

デビュー演奏会は1935年、場所はイタリアはフィレンツェ、曲目はバッハのブランデンブルグ協奏曲全曲に決定。70時間を越える厳しい練習で、鬼のようなハイ・ノートで知られる第2番のトランペット奏者は最初のアメリカ人からパリの演奏家に替えられたといいます。

猛練習のおかげでフィレンツェの演奏会は成功し、ロンドンでの再演が決まってまた管楽器のエキストラ捜しとなりました。このとき選ばれたのが既にブラームスのホルン・トリオで協演していたBBC交響楽団のオーブリー・ブレインとその相棒フランシス・ブラッドレイ(オーブリーの先生、アドルフ・ボルスドルフの息子)、イヴリン・ロスウェル(Ob)、ジョージ・エクスデール(Tpt)といったロンドン交響楽団のメンバー。

ロンドンでの演奏会に先だってブッシュはHMVのプロデューサー、フレッド・ガイスバーグにレコーディングの話を持ちかけました。ところがガイスバーグは最近(1933年5月)アルフレッド・コルトー (1877-1962)の指揮で独奏にギャルド・レピュブリケーヌのフルート、ロジェ・コルテ、フェルナンド・マルソーらを迎えたパリ・エコール・ノルマル室内管弦楽団によるレコードを作ったばかり。

ガイスバーグは気の無い返事。レコードに出来ないとなると演奏会も開けなくなると考えたブッシュはEMIのもうひとつのレーベル、Columbiaに話を持っていきました。ところが世の中は不況でとても新譜レコードなど出せそうもない状況…。

この手詰まり状態を救ったのが日本から来た大量の予約注文でした(実際EMIの1930年代の名盤の多くが日本からの予約により企画成立したようです)。ブッシュはそれで得た500ポンドで演奏者に出演料を支払い、10月10日、アビーロード・スタジオでのレコーディングを開始。収録はスイスで十分練習した3番が最初で1、6、4番が13、14、15日。16日のクイーンズ・ホールでの本番を挿んで17日に難関の2番といった順。コルトーの華やかさとは対照的に重厚なブランデンブルグとなりました。

かくしてロンドンでのブッシュ室内管弦楽団バッハ演奏会は大評判をとり、ヨーロッパにおける名声確立と相成りました。のちの1938年10月6日、クイーンズ・ホールにおける同楽団のブランデンブルグ協奏曲演奏会は17歳のデニス・ブレインの初舞台となります。


(参考:英ICRC2000年秋号、Tully Potter、'Hitting the high notes')


475.DB liked a few pints(467関連)

name: Favart - 2003/04/28

ブレインが酒好きとの話は初めて聞きます。どんな話題を肴にしていたか聞いてみたいですね。1 pints(500ml弱)のグラスで数杯をたしなんだブレインは陽気に音楽のことや家族のことを話したのでしょう。夢中人様なら誰かがブレインと一緒に飲んだ時の話題をご存知なのではないでしょうか。(1957年8月31日はまさか飲みすぎなかったのでしょうね。)
PYE録音がステレオとのこと。マスター・テープが残っていればステレオで復刻してもらいたいですね。CCL30119、CCL30120ともに未復刻のようなので。イギリス人は古いものを大切にするから、きっとマスター・テープは残っていることでしょう。

既出になりますが→こちら。 夢

474.サー・エードリアン・ボールト(1889-1983)

name: 夢中人 - 2003/04/28

ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(LPO)の指揮者、サー・エードリアン・ボールトとニクサのプロデューサー、クルト・リスト博士は才能を認め合っていたが、お互い嫌い同士。

サー・エードリアンはもちろん礼儀正しく如才ないタイプの素性と育ちの持ち主。リスト博士も同様に教養人でしたが、ちょっと率直過ぎたのかもしれません。

ブラームスの交響曲全曲録音のときのことです。首席ホルン奏者が前歯が抜けるという全ての金管奏者にとって恐るべき災難に遭い、やっとこ刺し歯にしていた。そのせいで第2交響曲の緩徐楽章の長いフレーズで何度も音を外しました。

取り直しでかなりのテイクがあり、引き続くテープ編集も大変。本来素晴らしい奏者だった彼は当然すっかりしょげていました。ボールトはいつも楽員の肩を持つので有名で、コントロール・ルームにやってきてリストに言いました

「残念ながら彼は今日は調子が悪いようだ、ドクター。」
「駄目な日もありますとも。でも私はまだ仕事なんですよ。」
「・・・。」

またブラームスの別のセッションでのこと。

サー・エードリアンは近く退団することになったある木管楽器奏者をプロデューサーのところに連れていった。

「ドクター、○○君がもうすぐオーケストラを辞めて海外で働くんだ。」
「それは英国音楽にとってめでたいことですね。」とリスト、ニコりともしない。

顔が真っ赤になったサー・エードリアン、その楽員の肩を叩きつつ神経質な笑みを浮かべて

「うーん、まったくリスト博士のユーモアのセンスにも参ったもんだ!」

   (英ICRC1995年5月、ジョン・スネイシャル「ニクサ/パイ物語」第1部より)


    サー・エードリアン・ボールト(1889-1983)

    父オーブリーがいた頃のBBC交響楽団音楽監督(1931-50)。
    その後LPO音楽監督(1950-1957)。
    1979年、90歳で指揮者引退。


473.デニス・ブレイン/音色の変遷

name: 夢中人 - 2003/04/26

デニス・ブレインのオーケストラにおける演奏を年代と楽器でまとめてみました(ラウーのF、Bの区別はあくまで私が聴いた感じによるものです)。

1940年代(ラウーF管)

この時期の ff(フォルテッシモ)が生涯で一番豪快に響きわたり、弱音との対比も鮮やか。元気一杯という感じ。

 ●シュトラウス/「町人貴族」より フェンシングの先生
  RPO/サー・トーマス・ビーチャム指揮 (1947年2月)
 ●ベルリオーズ/「トロイ人」より王の狩りと嵐
  同 (1947年6月)

1940年代(ラウーB♭管)

F管信奉者の父オーブリーもブランデンブルグとこの曲だけはB(ベー)管を使用したという難曲をいとも軽く見事に。ソロのところでオーケストラがテンポを落とすのはブレインのゆったりとしたソロを聴かせるため?

 ●ボロディン/序曲「イーゴリ公」
  PO/イザイ・ドブロウエン指揮(1949年5月)

1950年代(アレキサンダーB♭管)

1950年5月22日のフルトヴェングラーとの演奏会からアレキサンダーB♭シングルを使用。20代の爆発するようなエネルギーはやや後退した替わりにクッきりとした音感。曲によってときに高貴に、ときに儚(はかな)く、またときにユーモラスに音色を変える。

 ●ワルトトイフェル/円舞曲「スケートをする人々」
  PO/コンスタント・ランバート指揮 (1950年9月)
 ●ヘンデル/組曲「水上の音楽」よりエア
  PO/ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 (1952年4月、7月)
 ●バッハ/ミサ曲ロ短調より クオニアム
  同(1953年7月)
 ●グラズノフ/舞踏音楽「レイモンダ」よりヴァリエーション第4番
  PO/ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮(1956年1月)


472.1957年5月のPYE録音

name: Favart - 2003/04/25

夢中人様のカセット・テープはステレオとのことで、もう一度レコードの方をステレオ・カートリッジで聞いてみました。残念ながら、CCL30119、CCL30120はモノーラルでした。ついでに、IGI-370(372関連)をもう一度聞きなおしてみました。こちらの方はベートーヴェンを除き、本物のステレオ(擬似ステレオでない)と断定したい気になりました。音場の広がりがあり、擬似ステレオとは考えられません。
夢中人様のカセット・テープは擬似ステレオでなく、本物のステレオなのでしょうか?1957年ですと、マスター・テープがステレオ録音で、LPレコードの方はモノーラルであることも考えられます。ステレオのカッティング・マシーンを持っていたのは限られたレコード会社だけだったのではないでしょうか。夢中人様のカセット・テープが本物のステレオとすれば、それがステレオで聞ける唯一の音源になるのではないでしょうか。

カール・ハース指揮ロンドン・バロック・アンサンブル、PRT(Precision Records & Tapes社→Pyeの関連会社)のカセット・テープ実家のラジカセ(泣)で聞きました。やはりSTEREOのようでした。

英ICRC誌1995年9月号の「ニクサ/パイ物語」第2部によるとPyeによる最初のステレオ録音は1956年8月、サー・エードリアン・ボールト指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団とのエルガーの2番などで、当時まだステレオによるマスター・テープをレコード・スタンパーの溝に刻む技術が開発されていなかったため、レコードとしての発売はモノラルでステレオLPレコード自体陽の目を見るのはさらに数年を要したようです。 4月27日 夢中人

471.ベルリンフィル8人のホルン奏者たち

name: Favart - 2003/04/25

情報誌を見ていたら、こんな演奏会が載っていました。
7/6(日)東京オペラシティコンサートホール
(7/3高知、7/4川崎、7/5東京でもあるそうな)
ホルンはバボラク、ドール、ハウプトマン、イエジエルスキ、マックウィリアム、シュレッケンベルガー、ヴァレンドルフ、ウィルスの8人
ロッシーニ:狩のファンファーレ
ワーグナー:トリスタンファンタジー
久石譲:宮崎駿アニメワールド(トトロ、神隠しなどメドレー)、他

8人というのは話題になりますが、どちらかというと1人1人聞いてみたい気がします。

7/6午前には公開マスタークラス開催!受講生申し込み受付中!
*コンサートチケットをお持ちの方はマスタークラスを聴講頂けます。
とのことです。主催:アスペン(03-5467-0081)

東フィルの方も不景気で大変なことと思います。
でも、「企画が良ければお客は呼ばずとも集まる」と私は思います。
最近のファンは要求レベルが高いと思います。頑張ってくださいネ!


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