50.感動した・憧れた・諦めたデニス・ブレイン | |
| name: | CATO - 2002年06月29日 13時21分34秒 |
夢中人さんの熱中振りを示す今回の記事、いつものように楽しんで拝見しました。 「ホルン吹きにとってのデニス・ブレインという存在 」。このような存在が他の楽器でもあるんでしょうか。私はホルンのプロになれたらたのしいだろうなあと漠然と考えるうぶな高校生のときもありました。でも、そんな時の私でさえ、カラヤン−ブレインの4曲の全集をはじめて聴いたとき、なんか別の生き物が別の楽器を鳴らしているのではと思うほどの感銘・衝撃・諦念でした。 特に、誰もが若いときに洗礼をうけるあのすごい箇所、3番の3楽章の終わり近くで半音階的に機関銃のような粒揃いと勢いで駆け上がる箇所!!!(昔のスコア、楽譜はどこかにいったままのため、いつも曖昧な指示で失礼)。あともう一箇所。2番のソロ開始直後の半音階的上昇の〆の高音。ここなんか、私の知る限り楽に聞こえるのはブレインのみです。 今も若い奏者は、千葉馨さんのため息をプロ、アマを問わず経験しているんでしょうね。そして今後も当分は。 千葉さんといえば四半世紀前の大阪フェスティバルホールでの岩城−N響「牧神の午後」での超名演が今も耳と心に残っています。千葉さんが「たいへんに粒が揃ってて、悪くいえば機械的といいますかね、とってもパラパラパラといっちゃうんです」と語られること、失礼ながらわかるような気がします。千葉さんの本領は「牧神の午後」で示されたような、あの密度の高い立派で大きくクリーミーな音です。私にとって掛け値なしで尊敬できた素晴らしい奏者です。
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49.ホルン吹きにとってのデニス・ブレインという存在 | |
| name: | 夢中人 - 2002年06月29日 11時24分41秒 |
1957年9月1日(日)未明のデニス・ブレイン事故死の報せには衝撃が走りました。翌月曜からキングズウェイ・ホールでシュトラウスの歌劇「カプリチォ」の録音に入ったフィルハーモニア・オーケストラのメンバーの動揺を感じて、指揮者のウォルフガング・サヴァリッシュは自らの狼狽と悲しみを押さえながら「どうしたんですか!続けます!(What
can we do? We must go
on.)」と叱咤しました。とりわけ後を継いだアラン・シヴィルには大変な重荷だったようです(フィルハーモニア創立50周年誌)。当のシヴィルは戦時中、おふくろさんが黒いパーティ・ドレスの布切れで作ってくれた袋にホルンを入れたものをぶら下げた自転車で20マイル(約32キロ)も飛ばしてオーブリー・ブレインのレッスンを受けていた時のこと「イギリス空軍の青い制服を着て、私がオスカー・フランツのホルン教則本83ページを必死に吹いていたのを聴いていた若者を紹介されました。これが下の息子だ、とオーブリー。曰く息子は、このへんの学校でベートーヴェンのソナタを吹いている」シヴィルは、練習に練習を重ねてサー・トーマス・ビーチャムのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団に入団、さらに1955年にはフィルハーモニアに入団して、米国演奏旅行中、ベートーヴェンの「英雄」のリハーサルでヘルベルト・フォン・カラヤンから大声で「デニス、2番、それでシヴィル君、(1番を)お願いします!」と言われたときようやく「やったッ」と感じた。(アラン・シヴィル、「デニス・ブレイン(1921-1957)の思い出」、デニス・ブレインの芸術、EMI RLS 7701) シヴィルはまた次のようにも語っています。 私が始めた頃なんか、戦争中だけれども、あるオーケストラの水準ときたらひどいもんだった。楽器をケースからどうやって出すか知っていりゃあ、職にありつけた、なんてよくいったものさ。五つのうち三つ音が出せれば結構、どころか上等だった。今はイギリス流の奏法っていうのがあるんだろう。オーブリー・ブレインから受けついだフランス式の音色と、オーブリーの息子のデニスが付け加えたテクニックとかっこよさに、ボルスドルフ一族の流れをくむドイツ式を足したもの。音もいいしスタイルもいいと思う。(アンドレ・プレヴィン編、別宮貞雄訳「素顔のオーケストラ」、日貿出版社、1980年11月) 私のような素人は、デニス・ブレインのことを「夭折の天才」とか「ホルンの神様」と崇め奉ればすみますが、それを商売とした場合また違った受けとめ方があります。昭和48年7月23日、弟子でいらっしゃった千葉馨さんが、中河原理さんに師匠の音楽について語られています「音楽も音色と似て簡単明瞭でした。そのかわりむつかしいところに行けば行くほど簡単明瞭に吹いてしまうんです。そこがこわいんです。むつかしいところにきて難行すれば人間的なんですけど、ちょっと人間ばなれしてましたね。たいへんに粒が揃ってて、悪くいえば機械的といいますかね、とってもパラパラパラといっちゃうんです。ですから、こっちが調子がわるいようなとき、お師匠さんのレコードを聴いてヒントを得ようなんてことには絶対ならないんですね。そんなの聴いたら、こっちは死にたくなりますからね(笑)。」(週刊FM編、続・素顔の巨匠たち、音楽之友社、昭和50年3月1日発行) かわって1991年、BBCウェールズ交響楽団の来日公演でシュトラウスの1番を吹いた、当時17歳のデイヴィッド・パイアットは、リハーサル時の楽屋で木幡一誠さんの「お国では、ブレインを越える才能だという声もあがっているとか?」に「とんでもない(embarrasment!)」と頬を紅潮させながら首を大きくふったものだ。(CD「ウッド、ブリテン、バークリー:ホルン三重奏曲集」、ワーナーミュージック・ジャパン、WPCS-10689、P2001) 驚くべきことですが、あのバリー・タックウェルが、かってデニス・ブレインが生まれていなかったら、ということを発言したのをご存知でしょうか。その理由というのが、デニス・ブレインがあのように高い演奏水準を作ってために、若い学生がその水準を達成いう望みも持てない、またたくさんのプレーヤーがホルンを続けることを止めさせてしまう、という意見でした。一理ありますが、私は賛成できません。 | |
48.謝辞 | |
| name: | 夢中人 - 2002年06月23日 10時04分08秒 |
CDブックレットの奥付にあたるページに、制作者が謝辞(Acknowledgement)を述べますが、これがなかなか面白いです。 昨年BBCが出したデニス・ブレインの2枚目(BBCL 4066-2、P2001)の場合、「ピーター・ピアーズはデッカ・レコード社のご好意により登場。英国エステート社、特にドクター・ドナルド・ミッチェル名誉勲爵士のご協力に大変感謝いたします。アーサー・リッジウェルのご協力に大変感謝いたします(ミヨー)」とあります。でもボーナス・トラックの講話「初期のホルン」の抜粋は、1979年にBBCが発売したLP(REGL 352)には指揮者のハリー・ニューストンとブリストル大学の音楽講師、ケネス・モッブズ氏提供と明記していたのに、今回記載されていません。 BBCは1999年春、放送音源復刻シリーズ BBC Legend の開始にあたって、レコード雑誌を通じて読者に音源の提供を呼びかけました。「全ての費用をBBCが負担してコピーならびに権利処理をいたします。どうか助けて下さい。特にビーチャム、ボールト、カンテッリ、ストコフスキー、ムラヴィンスキー、ホーレンシュタイン、トスカニーニ、デ・サーバタ、ワルター、ジュリーニ、クレンペラー、カラヤン、ミュンシュといった当時の国際的指揮者のものを探しています。どなたかディヌ・リパッティの唯一のベートーヴェン、ワルトシュタインの放送を(自宅で)録音されませんでしたか?…」という風にまさに綿々と。 フランスのターラ社のウィルヘルム・フルトヴェングラー/フィルハーモニア、ベートーヴェンの第9(FURT 1003、P1994)。「ターラ・プロダクションは次の方々におおいに感謝いたします。1.エリザベス・フルトヴェングラー夫人のこのプロジェクトへの親しみ深いご協力と発売許可、2.ロンドン音楽家組合、フィルハーモニア・オーケストラの名において、3.W.フルトヴェングラーとマダム・シュワルツコップの権利に関するチャールズ・ロディエー(EMIロンドン)、4.セイベルト氏(スイス・ラジオDRS、バーゼル)オリジナル・マスター使用許可…」 ハンス・ピッカのデニス・ブレイン稀少放送録音集(HPE-CD02、P1994)。「イヴォンヌ・ブレイン、故デニス・ブレイン未亡人にこのCDの発売許可を頂きました…」 傑作なのがジェクリン音楽社のオトマール・シェック/ホルン協奏曲(JD 715-2、P1997)。「この珍しいドキュメントをCD化するにあたって、スイス・演奏家協会を代表して、オーブリー・ブレイン、パウル・ザッヒャー、コレギウム・ムジクムに深く感謝いたします。」これってちょっと違うなあ。 | |
47.(欠番) |
46.ちょっと寄ってく? | |
| name: | 夢中人 - 2002年06月19日 21時39分49秒 |
5年前、デニス・ブレインの旧宅やお墓参りをとハムステッドを訪れたとき、捜せばなんとかなるだろうという考えが甘く、界隈をぐるぐる歩き廻ったあげくむなしく帰路につきました。カミさんは、しょげる私を哀れに思ったのか通りがかったのパブの前で「ちょっと寄ってく?」と普段なら絶対言わないことを言いました。 そこでイギリスのパブの入り方。何食わぬ顔でずーっと奥に入って空いたテーブルに座ります(テーブルの番号を確認する)。メニューで注文するものを決め、バーカウンターに行ってボーイに注文し飲み物だけ受け取ってテーブルに戻ります(テーブルの番号を訊かれる。食べ物は、ウェイトレスがあとでテーブルに持ってきます)。つまり飲み物だけセルフサービスです。イギリス人は、ウーロン茶のような色であまり冷えていない「エール」をよく飲みますが、私はやはりよく冷えた「ラガー」が好きです。たまには「ギネス」も。 スティーヴン・ペティットのデニス・ブレインの伝記(邦題『奇跡のホルン』山田淳さん訳)にも「酒」に関する話がよく出てきます。外国(ことにアメリカ)に行ったとき、凄かった。1945年のイギリス空軍中央音楽隊USA演奏旅行では、ロス・アンジェルスにアルフレッド伯父さんを訪問し、夜通し飲み明かしました。レナード・ブレインが「アルコールの海」だったと語っていますが、無理もないです。なにせ1922年に渡米した伯父さんとは、初対面同然でしたもの。 1950年のサー・トーマス・ビーチャムとロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のUSA演奏旅行では、シカゴ交響楽団の首席ホルン、フィリップ・ファーカス夫妻の歓待を受けました。席上、同地のホルン奏者たちは(酔った勢いで)、デニスのラウーを「ガス管(管が細い)」と揶揄して、それが太ボア楽器への転向を促したとされます。 1955年、今度はフィルハーモニア管弦楽団がヘルベルト・フォン・カラヤンと米国公演に出かけました。ところがカラヤンの舞台上でのマナーに関する問題から、オーケストラと指揮者が緊張関係に陥ってしまいます。この辺は昨年(2001年)邦訳が出たリチャード・オズボーンの『ヘルベルト・フォン・カラヤン』に詳しいですが、残念ながら酒酔い話は出てきません。でもさる筋によりますと、デニス・ブレインは、大酒飲みと伝えられるアラン・シヴィルと連れだってニューヨークのイギリス・パブでニューヨーク・フィルハーモニーのマーク・フィッシャーやジェームズ・チェンバースと「友好」を暖め、誰かがその場を家庭用映写機で激写していたといいます。 | |
45.ハイドン/交響曲第31番「ホルン信号」第1、第4楽章 | |
| name: | 夢中人 - 2002年06月17日 21時33分09秒 |
デニス・ブレインの伝記、付録ディスコグラフィーにハイドン《交響曲第31番「ホルン信号」》第1楽章・第4楽章(録音1952年9月17日)とあるのに、東芝EMIのCDセット「デニス・ブレインの芸術」には第1楽章しか入っていないのを残念に思うのは私だけでしょうか?おまけにCDの解説書の演奏者名がJ.A.ウェストラップ指揮交響楽団と、見慣れない指揮者と匿名オーケストラであることも気になります。4本のホルンは、いわずとしれたデニス・ブレインとニール・サンダース、エドマンド・チャップマン、アルフレッド・カーシュー、フルートがガレス・モリス、といずれもフィルハーモニアの団員です。 このハイドンの珍しい交響曲のレコードは、モーツァルトのディヴェルティメント K.289抜粋(デニス・ブレイン管楽合奏団)と組み合わせた45回転のEP盤(EMI 7ER 5096)でした。第4楽章には、ヴァイオリンとチェロのソロがあり、それぞれエマヌエル・ハーヴィッツ、テレンス・ウェイルがソリストとしてクレジットされています。 ヴァイオリンのハーヴィッツは、1969年から1971年まで、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団のco-leaderでしたが、このレコードが録音された1952年当時は、フィルハーモニアのメンバーではありませんでした。また指揮者のジャック・アラン・ウェストラップ(1904-1975)は、オックスフォード大学に学び、戦前はデイリー・テレグラフ紙の評論や月刊ミュージカル・レコードの編集長を長くしながら、オペラや室内楽を指揮した人です。という訳でこのレコードは、極めて例外的に臨時の編成で録音されたもののようです。 ところで、くだんの31番ニ長調の交響曲は、あの�猝欧蠅覆�ら書いた�瓩氾舛┐蕕譴�1(3)番ニ長調のホルン協奏曲の3年後、1765年に作曲されました。ハイドンは、当時エステルハージ候の宮廷楽団の副楽長で、協奏曲はその入団したてのホルン奏者、タデウス・シュタインミュラーのために、「ホルン信号」は、楽団に2名のホルン奏者が加えられて、セクションが4人になったのを機会として書かれたといいます。 第1楽章のオクターヴ跳躍や威勢の良いファンファーレは、当時の貴族の狩場での狩猟ホルン(Corno da caccia)を表します。絵にみられるように狩のホルンは、朝顔(ベル)を上後方に向けて耳障りな高音域を華々しく吹き鳴らされましたが、実は初期のバッハやヘンデルの時代のオーケストラでもそういった奏法、姿勢で吹かれていました。現在のように朝顔を下後方に構えて、中に手をつっこんで吹くやり方は、替管(クルーク)やハンド・ストップ奏法が発明・考案された18世紀になってからで、ハイドンのホルンの曲は、ちょうどそういった「近代」奏法が確立された頃に作られたものです。事実、「ホルン信号」の第4楽章では4本のホルンが素晴らしいバリエーションの一部を担います。 | |
44.貴重なオリジナル | |
| name: | KAZU@支店長 - 2002年06月16日 1時04分14秒 |
あのラウーの購入者が夢中人様のお友達とは…世間は狭いものですね。単なるコレクターではなく、この楽器の価値を真に理解していて実際に演奏できる方に引き取られて本当によかったと思います。 楽器の所有者が自分の楽器をどう使おうが全くの自由ですし、私ごときが口を出す筋合いではないことを重々承知のうえでの発言ですが、上昇管付きのラウーがオリジナルのままでしかもここまで良い状態で残っているものは、皆無に等しいのではないでしょうか。ブレインの熱心家とのことですから彼が使っていた状態に近づけたい気持ちは良くわかりますが、改造するにしても元の状態に戻せる範囲にしておいたほうが良いのでは…というのがフレンチマニアの勝手な願望です。3番上昇での演奏は最初戸惑うかもしれませんが、慣れると結構便利ですし、大幅な改造は楽器のバランス・特性を崩すことにもなりかねません(事実ブレインのb管に改造したラウーもあまり芳しい結果ではなかったのでは?)。 以上、コメントする資格のないど素人の身勝手な戯言でした。どうぞお聞き流しください。
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43.ラウー・ミルローその後 | |
| name: | 夢中人 - 2002年06月14日 20時55分56秒 |
先日KAZUさんから教えていただいたラウー・ミルローのその後です。 このラウーは、フランスはプロヴァンスの倉庫で長い間使われずに保存されていたものを、他の大量のアンティーク楽器と共にフランス人が買い入れてYahooオークションに入札したもので、ケースはかなり痛んでいるものの楽器本体の状態は(ご覧のとおり)とても良いそうです。 落札したカリフォルニアの友人は、デニス・ブレインの熱心家で、15歳の頃、シュトラウスとモーツァルトの協奏曲を暗譜で吹いた兵(つわもの)です。幾星霜へた今またホルンを吹きたいという思いから購入したものです。 楽器は、F管ですが3番ピストンでG管になる上昇システムとなっています。パックスマンにB管に組替える相談をしたところ、組替えには着脱式Gクルークを20インチ短く、3番ピストンを上昇式から下降式にして、1番から3番すべてのスライドを伸ばすのだ、といいます。 彼は、製造後あまり吹かれることもなく現在まで大事に保存されてきたものをそのままにしておくべきか、また、たとえG管からB♭管にしても半音が全部で三つ増えるだけ、という訳でこの組替えをしたものかどうか迷っています。そんな彼に何かアドバイスがあればどうかご教示下さい。 | |
42.親子の血 | |
| name: | 夢中人 - 2002年06月11日 20時31分17秒 |
スティーヴン・ペティットは、デニス・ブレインの伝記(邦題『奇跡のホルン』春秋社、山田淳さん訳)の中で彼がベートーヴェンの七重奏曲変ホ長調
op.20 とシューベルトの八重奏曲ヘ長調 D.803
の録音を残さなかったことを嘆きます。いずれも室内楽の名曲で、ホルンが大活躍しますので私も全く同感なのですが、この2曲を父オーブリー・ブレイン(1893-1955)がレコード録音しています。それぞれ作曲者の没後100周年(1927年、1928年)記念録音で、レナー弦楽四重奏団との共演。当時オーブリーは30歳代の半ばのバリバリ。事実ロンドン交響楽団のほか、新生のBBC交響楽団、クイーンズ・ホール管弦楽団、ロイヤル・フィルハーモニック協会など、ロンドンのオーケストラ、全ての首席奏者の椅子を独占していました。 ベートーヴェンはまだですが、シューベルトは、新星堂(SGR-8209、P1997)や米Rockport Records(RR5008、P1999)からCDが出ました。妙な言い方ですが聴いていると、ふし廻しのあちこちに息子デニスを思わせるところがあり、さすが親子の血は争えないものだ、と感じます。以前はウィーンのアンサンブルをよく聴いていましたが、現在はこのレナー/オーブリー・ブレイン盤をおりにふれて聴きます。新星堂のCDの音源にSPレコードを提供された鈴木智博さんにお礼申し上げたい気持ちです。 | |
41.夢中人さん、早速情報有難うございます | |
| name: | CATO - 2002年06月09日 23時36分09秒 |
やはり網羅的リストを作らせる程、彼は偉大だったということですね。 第九の4番ホルンのことは知りませんでした。 たとえば、私が指揮者でブレイン時代のPOで完璧な録音を残そうとすれば、ベートーベン英雄の第一楽章で、静寂のなかホルン単独が繋ぐ箇所も特別にブレインに吹かせます(学生オケの時極めて緊張して、ここをこなした経験があります)。 | |