年 | 月日 | できごと |
1936 | 5/2 | ニューヨークに生まれる。父ジョージは、ニューヨーク・フィルのヴァイオリン奏者、 母ジーンは、ジュリアード音楽学校出身のピアノ奏者。 |
1939 | 3歳、家中のあらゆる音をピアノで完璧な音程で弾く。 | |
1942 | 5歳、ヴァイオリンを始める。最初父に、その後ジュリアードのイヴァン・ガラミアンに学ぶ。 | |
1947 | 11歳、キューバでアルトゥール・ロジンスキー指揮ハバナ・フィルでプロ・デビュー。 | |
1948 | 12歳、全米音楽クラブ連盟のエドガー・スティルマン・ケリー奨学金を得る。 | |
1950 | 2月 | 13歳、カーネギー・ホールでナショナル管弦楽協会とヴュータンの第5番の協奏曲でデビュー。 |
4月 | 再びカーネギーでヴィエニャフスキーの第2番を弾き、指揮者ミトロプーロスの賞賛を得る。 | |
5/19 | 米コロンビアにパガニーニのカプリースを初録音。 | |
7月 | NBCのラジオ番組「ベル・テレフォン・アワー」に最年少で出演。 | |
11/24 | カーネギー・ホールでリサイタル・デビュー。この頃、爆発的人気によりNewsweekに登場。 | |
1951 | 11月 | ニューヨーク・フィルと初協演。パガニーニの第1番を6回弾く。多数のメジャーオケに出演。 |
1952 | 3月 | 米コロンビアにサラサーテのカルメン幻想曲終曲ほかを録音。 |
オーストラリア、ニュージーランドを訪問。MGMの映画ラプソディーのサントラに出演。 | ||
1953 | 1/29 | 15歳、米コロンビアにツィゴイネルワイゼンほかを録音。 |
1954 | ヨーロッパツアー。イギリス、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、ベルギー、ポルトガル、 ドイツ、チェコスロヴァキア、ユーゴスラビアの各国を訪問。 最初のロンドンではBBC響とチャイコフスキーを演奏。 |
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12月 | 18歳、英コロンビアにマタチッチ指揮フィルハーモニアとパガニーニの第1番ほかを録音。 | |
1956 | 2度目のヨーロッパツアー。 | |
6月 | アルチェオ・ガリエラ指揮フィルハーモニアとチャイコフスキーほかを録音。 | |
1957 | イスラエル訪問。イスラエル・フィルと23回協演。 | |
1958 | 翌年にかけて、ハリウッド、ゴールドウィン・スタジオで米キャピトルに小曲集「魔法の棒弓」 と「綾なす楽弓」を録音。 |
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1960 | 5月 | 24歳、ユージン・グーセンス指揮フィルハーモニアと最後の録音。再びパガニーニの第1番。 |
1962 | ベルリン・フィルと初協演するも、この頃麻薬常用と情緒不安定を取り沙汰される。 | |
9月 | ニューヨーク・フィルとの演奏会を直前でキャンセル。 | |
1972 | 1/19 | ニューヨークのマンハッタンで不慮の事故死。享年35歳。 |