憧れのデニス・ブレイン

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560.いとも根拠なき妄想

name: 夢中人 - 2003年09月23日 16時55分05秒

その1:ブリテンのセレナード1953年録音(ロンドン新交響楽団弦楽メンバー/指揮ユージン・グーセンス)のレコード番号(Decca ECM507、(S)ECS507)はモノラル盤のほかにステレオ盤があることを意味している。

その2:リヒャルト・シュトラウスの協奏曲第1番。1956年録音(フィルハーモニア管弦楽団(PO)/指揮ヴォルフガング・サヴァリッシュ)の音色は1954年ライヴ録音(北ドイツ放送交響楽団/シュミット・イッセルシュテット)よりもラウーを吹いた古い1947年録音(PO/アルチェオ・ガリエラ)に似ている。

木下さまからのご指摘でECS507は擬似ステレオと判明しました。 9月25日

559.ナクソス島のアリアドネ

name: 夢中人 - 2003年09月20日 11時16分02秒

デニス・ブレインのオペラにおける名演奏にモーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」第2幕の‘Per Pieta, ben mio,perdona(お願い許して、恋人よ)’とベートーヴェン「フィデリオ」から‘Abscheulicher!(悪者よ!)’がありますね。ホルンの優美さと力強さを示す両極端の例です。モーツァルトには「イドメネオ」第2幕‘Se il padre perdei(もし父を失うならば)’もあります。

今日ブレインのレコードに関するパイオニア的記述、マーティン・プラウズ「未知なるデニス・ブレイン」(オーディオ・レコード・レビュー1969年10月号、P678-679)にリヒャルト・シュトラウスの歌劇「ナクソス島のアリアドネ」の‘Ein Schones war, hiess Theseus-Ariadone(「テゼウス=アリアドネ」とは何とすばらしい)’と‘Es gibt ein Reich, wo alles rein ist(すべてのものが清らかである国がある)’があげられているのを見つけました。

プラウズ氏によると前者は「しつこ過ぎず素晴らしく豊かな音」、後者は「不思議に思い入れある伴奏」でいずれも劇中劇の部分で演奏されます。

先人による飽くなきブレインのレコード探求による教え、有難く早速拝聴した次第です。

マーティン・プラウズ「未知なるデニス・ブレイン」(英語)はここ
ディスコグラフィー(日本語)はここ

558.幻想交響曲、第5楽章

name: 夢中人 - 2003年09月19日 0時14分22秒

Pyeのプロデューサー、ジョン・スネイシャルのもとにサー・ジョン・バルビローリとハレ管弦楽団の新録音(1959年4月)を聴いたある紳士から手紙が届きました。

手紙には「幻想交響曲の第5楽章の最初にあるホルンのグリッサンドが素晴らしい」とありましたが、差出人はベルリオーズが書いたようなオクターヴ下降はホルンには不可能でありレコードは編集処理によるものに違いないと確信している様子。

スネイシャルはホルン奏者ではないものの、あのような音は簡単に出せますよと返事すると、紳士はその返事を嘲笑するようにジャズのトランペットじゃあるまいし、絶対編集していると言って聞きません。

そこで有名なジャズ・トランペット奏者のケニー・ベイカーのところへ紳士の手紙を持っていき「もし信じないのなら、俺の弁護士に訊いてみるかい?」とベイカーに言われたとおり書き送ったところ紳士から二度と返事はありませんでした。


557.ウォルサムストウにて(続)

name: 夢中人 - 2003年09月18日 17時48分46秒

1953年9月、ウォルサムストウ・アセンブリー・ホールにてサー・エードリアン・ボールトがロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(LPO)と自身2度目の「惑星」を録音したときのこと。

海王星を終えて女性合唱のメンバーが帰ったあと、プレーバックしてみたところ、最後で合唱が静寂の中に消えていく部分に遠くヒースロー空港に着陸する飛行機の音がかすかに混入していることが判りにわかに騒ぎとなりました。

慌てたオーケストラと録音チームのメンバー数名が御婦人がたを呼び戻すために車で出掛け、ウォルサムストウ周辺で女性と見るやそばに車を急停車させては驚く女性に「LPO合唱団の方ですか?」と訊いて廻る始末。

幸い充分な人数が見つかり、どうやら2度目のテークはノイズ無しで録音できたとか。


556.ウォルサムストウにて

name: 夢中人 - 2003年09月18日 17時18分40秒

ウォルサムストウ・アセンブリー・ホールにてサー・エードリアン・ボールトがロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(LPO)とシューベルトのハ長調交響曲を録音したときのお話。

第1楽章を録り終えて、ボールトは訊いた「何か意見はあるかね?リスト博士。」

プロデューサーのリスト「基本のテンポがやや遅いように思いますが」

カチンときたボールト、スコアをぴしゃりと閉じ「あー、リスト博士。もし君が私に解釈を変えて欲しいというなら、別にセッションが必要だな」

「ですがサー・エードリアン。あなたのBBC響とのSPレコードは私の宝物で、ずっとあなたと録音するのが夢だったんです。今回ちょーっとレコードより遅いような気がしたんですが」

ボールト大笑いして「そうか、そうか。じゃあもう1度やろうか!」

(ICRC1995年春号、ジョン・スネイシャル「パイ・ニクサ物語」より)


555.歓喜の歌

name: 夢中人 - 2003年09月16日 23時29分32秒

川に飛び込むかわりにベートーヴェンの第九を聴いてお祝いをしました。

1954年8月22日、フィルハーモニア管弦楽団の「ルツェルンの第九」。最初にLPで出たのが確か1980年。ウィルヘルム・フルトヴェングラーの没後30年でCD化され、ライヴ音源としてはまずまずと思っていたところが没後40年、スイス放送のオリジナル録音テープから復刻されて(Tahra、Furt1003)目の覚めるような音質に驚きました。

それまで長い間決定盤とされていたEMI、1951年の「バイロイトの第九」。実はドレス・リハーサルのとき客席にいたヘルベルト・フォン・カラヤンに気がついたフルトヴェングラーが練習を続けるのを嫌がり、演奏会のテープを聴いても販売を認めず、消去を望んだといいます。ウォルター・レッグもメゾ・ソプラノのエリザベート・ヘンゲンの声が他の三人に比べ目立ち過ぎると書き残しています。

レッグはフルトヴェングラーの意思を尊重して別の録音機会を待つことに。それが「ルツェルンの第九」で残念ながら今度は若干1名の歌手の同意が得られず、3ヶ月後にフルトヴェングラーが亡くなって、EMIはもとの「バイロイトの第九」を未亡人の同意のもとに発売したという訳です。

(参考:ジョン・ハント「フルトヴェングラーのバイロイトの第九」、ICRC1995年秋号)


554.552の。。

name: だいき - 2003年09月15日 20時36分51秒

552ですがHrはブヤノフスキーだったと思います。CDではムラビンスキーの真髄シリーズにてCD化されています。録音状態もムジークフェライン、オーストリアの録音はすばらしく非常にのびのびした音にて演奏されています。
72〜84まで2年毎に同楽団はウィーンに招待されていました。やっぱしすばらしい演奏は国柄を超えていいもんなんでしょうね。


553.(欠番)


552.ムラヴィンスキー・ウィーン・ライヴ1978

name: Favart - 2003年09月14日 23時54分21秒

以前、ムラヴィンスキー東京ライヴ(1973)のことを書きましたが、1978年ウィーン・ムジーク・フェライン・ザールでのライヴ録音、ブラームス/交響曲第2番のレコードを運良く見つけました(6月12〜13日オーストリア放送協会録音、メロディア原盤、日本ビクターのLP)。ムラヴィンスキー晩年の録音と思いますが、スケールの大きい、風格を感じる演奏でした。東京ライヴのショスタコーヴィッチのような緊迫感、集中力はありませんが、ブラームス独特のしみじみした情感がなんともいえません。’73東京ライヴよりも録音状態は更によく、レニングラード・フィルの分厚い音を見事に収録しています。ホルンはのびのびとした演奏で好感がもてます。ソフトでのびのびしていて、かすかなヴィブラートがあります。ブヤノフスキーでしょうか?
こんな名演奏、名録音のLPもたったの100円でした。もちろん無傷のピッカピカの新品同様。CD全盛の今では日本盤LPはゴミ寸前の扱いになっているようで悲しいやら嬉しいやら複雑な気持ちです。


551.キングズウェイ・ホール

name: 夢中人 - 2003年09月13日 14時55分47秒

Kingsway Hall, Great Queen St. London ブレインの時代から音響が良いことで有名なこのホール。1980年代はじめまで数多くのクラシック音楽のレコーディングが行われました。何でも建物の下を地下鉄が通っていたので、なかには電車の轟音が聞こえるレコードもあるとか。

その後所有者のメソジスト教会がDeccaかEMIに売却を持ちかけましたが、両社とも購入に踏み切れず、大ロンドン・カウンシルに売却されましたが集会所として使用するため内装を変えたため、その素晴らしい音響効果は失われてしまいました。

ホールは大ロンドン・カウンシル解散後、開発業者に売られ、閉鎖されたため荒れ放題となりましたが1999年に取り壊されて、現在は同名の四星の高級ホテルが建っています。

そのホールについてフィルハーモニア管弦楽団でブレインの同僚だったパーカッションのジェームズ・ブレイズ(1901-1999)が語っています。

「キングズウェイ・ホールといえばデニス・ブレインのことを思い出します。録音中、パートが休みで他のホルン奏者がじっと黙っているのに『オートカー』を読んでいたかと思えば、おもむろに雑誌を片付けてるやいなや素晴らしい音を吹いていましたね。」

久々「ブレイン四方山話」にブレイズによるデニス・ブレインの思いでを追加しました。


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