憧れのデニス・ブレイン

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570.ミケランジェリのガルッピ (返信

name: KEITH - 2003年09月30日 19時29分51秒

こちらこそはじめまして。不躾な投稿への返信と本の紹介ありがとうございます。

ミケランジェリはライブでは遅めのテンポでガルッピを弾いたのですか。 アンコールでもやはり同じガルッピをやったのでしょうか。 きっと十八番中十八番だったのでしょう、イタリア人のミケランジェリが弾くイタリア古典派の曲、一種独特な陶酔で弾かれる氏のライブで聴かれて至福の時であったことと想像致します。 左手がドソミソで始まるアルベルティバスのこの曲の楽譜を見る限りは難しそうには思えないが、本譜と写譜の問題があるかもしれませんが、ミケランジェリは追加削除訂正を随所に行っていて、出来あがった音楽はとても心地よく聞こえます。 スカルラッティでも、特にカデンツで音の補充追加をしていて、他のピアニストには見られない独自の美の探求されているのが素敵であります。 

他のサイトで次のように書かれている方がおられましたが、まさに私もその口。
「ベートーベン/ソナタ N0.32,0p,111・ガルッピ/ソナタNO.5・スカラッティー/3sonatas、ベートーベンはパスして、もっぱら、ガルッピとスカルラッティーをきいてます。」

もし、氏が弾いたガルッピが他に記録としてあるようでしたら、ご教示下さい。 (古い録音に一楽章だけ他のガルッピのソナタがあるようですけど)

ガルッピはモーツァルトよりも50年早い生まれで、彼の「ソナタ」にはモーツァルトも真っ青の作品がいくつもあるように思います。(関孝弘氏演奏のCDと校閲の楽譜) おそらくモーツァルトはイタリアに3度旅行に行っているようですが、イタリア古典派のオペラや鍵盤楽器を勉強したのではないかと推察します。 多楽章ソナタを書いたガルッピからモーツァルトは少なからず影響受けたと想像します、ガルッピのメロディを借用しているという話を聞いたことがあります。


569.ウォルサムストウにて(続々々々)

name: 夢中人 - 2003年09月30日 17時26分47秒

1956年のサー・エードリアン・ボールト/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団とのレコーディング・セッションでリスト博士の日頃の教えを試すときがきました。

8月の暑さ厳しいおり、オーケストラがテイク1に向け「トゥオネラの白鳥」を練習していたときのことです。外の芝生に通じるホールの二重ドアが全部開いていて通行騒音のレベルが高くこのままだとまずNGとの判断でした。

そこで私は舞台からホールに降りてドアをそおっと閉め始めました。最後の1枚になったときサー・エードリアンの口が開きました。「ボールトのどなり声」については話や本で知っていましたが、ホールの一番奥にいてもその音はまるで大砲の玉のように私に直撃しました。

「スネイシャル君!もしそのドアを閉めたら私もオーケストラも帰るからね!」

リストの教えに従ってボールトには何も答えずドア閉め作業を遂行しました。それから落ち着きはらって舞台の方に振り向くと、オーケストラ全員にはよい気晴らしとなった様子。

舞台に戻るとサー・エードリアンの顔はほとんど茹蛸のように真っ赤。その彼に「サー・エードリアン、もしドアを閉めませんと録音ができませんのでわれわれスタッフも失礼するところでした。この曲の録音が終わったら次の曲の練習の間またドアを開けますので」

破顔一笑のボールト「あーそう!とても結構だけどかなり大変そうだね」

実際いつもはホールに座っているボールトの運転手が作業を手伝ってくれましてセッションは何事も無かったように進んだのでした。

(ICRC1995年春号、ジョン・スネイシャル「パイ・ニクサ物語」より)


568.ミケランジェリのガルッピ

name: Favart - 2003年09月30日 0時18分51秒

KEITHさんはじめまして。
ミケランジェリのガルッピを聞いていると自由闊達、変幻自在、まるでモーツァルトのピアノ・ソナタを聞いているような気分になります。磨きぬかれた音色、洗練された解釈、すばらしい演奏だと思います。レコードは1965年録音でミケランジェリ自身による自宅録音のようですね。イタリア(あるいはスイス)の山荘での録音だったと思います。レコードのガルッピは東京での演奏会よりもっとテンポが速く、これまたすばらしい演奏です(録音がややモガモガしていますが)。
東京でのベートーヴェンのソナタOp7、シューマンの謝肉祭も忘れられない名演奏です。(これらの曲の方が強く印象に残っています。)
ミケランジェリの本:「ベネデッティ・ミケランジェリ---人間・芸術家・教育者、リディア・コズベック著(音楽の友社1992年)


567.#545 ガルッピ 

name: KEITH - 2003年09月29日 19時06分23秒

#545投稿された方、ミケランジェリのガルッピを聴かれたとのこと、なんと幸せな方でありましょう。がっかり痛恨どころか、ミケランジェリファンなら最高の瞬間だったにちがいありません。 それはイタリンコンチェルトとの方が有名かもしれません。 しかし、20世紀の最高のイタリアピアニストがイタリア音楽史上忘れ去られた大切な作曲家ガルッピの曲を蘇らせた功績は計り知れない、実演でどうひいたのか、確か1964年に録音に残した第五番のハ長調の3楽章のソナタを楽譜に照らし合わせて(全音から出ている)聴いてみれば、ミケランジェリの素晴らしさを改めて認識されることと思います。 


566.ジャック・ブライマー逝く

name: 夢中人 - 2003年09月29日 17時22分03秒

クラリネットのジャック・ブライマーが2週間前に亡くなったことを知りました。

彼のモーツァルトの協奏曲録音に関する思い出話です。

「トミー(ビーチャム)の録音は演奏会とかなり違いました。もっとゆっくりしていて、より研究されていましたがスタイルとダイナミクスはオリジナルのままでした」

「何週間もときには何ヶ月もレコーディングが中断して、場所もスタジオやら何処やらに移りました。でもいつもテンポや音響状態はピタッときましたね」

(アラン・ブラックウッド著「サー・トーマス・ビーチャム」、バリー&ジェンキンズ社、P1994)

軍隊とロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を通じ同僚としてデニス・ブレインを知る稀少な存在でしたので合掌し、協奏曲とベートーヴェンの第8交響曲のメヌエットを聴きました。

ジャック・ブライマー(1915.1.27-2003.9.16)

英空軍に体育教師として入隊後、軍楽隊で演奏。RPO(1947-63)、BBC(1963-71)、LSO(1971-86)で何れも首席クラリネット奏者。ロンドン・ウィンド・ソロイスツ音楽監督。RPOの前任者、レジナルド・ケル同様美しいヴィブラートをかける。

9月18日付訃報(英ガーディアン)

565.女王陛下の軍楽隊のレコード

name: 夢中人 - 2003年09月28日 23時30分00秒

CATOさんお勧めのコンスタンティン・シルヴェストリ/ボーンマス交響楽団の名レコードをプロデュースをしたのがブライアン・カルヴァーハウスでグレナディア・ガーズ出身です。

彼の「作品」で馴染み深いのが吹奏楽のレコードでヴィヴィアン・ダン中佐(1908-1995)/王立海軍兵学校軍楽隊(ザ・バンド・オブ・H.M.ロイヤル・マリーンズまたはロイヤル・マリーンズ・スクール・オブ・ミュージック)や作曲家の娘、イモージェン・ホルスト(1907-1984)/王立空軍中央軍楽隊(ザ・セントラル・バンド・オブ・ザ・ロイヤル・エア・フォース)との録音があります。そのホルストとの録音に纏わるカルヴァーハウスの思い出話。

セッションにおけるイモージェン・ホルストの指揮は的確かつ正確ながらグリーンスリーヴズの出てくる第2組曲の終曲「ダーガスンの幻想曲」で欲しいリズムの高揚がうまく出ていないように思えました。すると彼女は突然指揮棒を置き、驚くバンドのメンバーたちの目の前で欲しいリズムを踊ってみせました。

(ICRC1995年秋号、ブライアン・カルヴァーハウス「プロデューサーの肖像」より)


564.信憑性なき推測(560関連)とよだれのでそうな話

name: Favart - 2003年09月27日 23時42分31秒

「1953年録音のセレナード(ECS507)は根拠はないけれども擬似ステレオではないか」と書き込もうとしたら、すでに擬似ステレオと判明とのこと。やはり、ですね。でも、当時ののDECCAのLXTはとてもしっかりした音質で、あえてステレオを望む必要もない思います。ステレオよりモノラルの方が音楽がよく分る気がします。
少なくとも擬似ステレオの再発のECSよりLXTの方が格段に良い音でしょう。
R.シュトラウスの方は1954年ライヴ録音はドイツのオケに合わせてドイツ風の音色にしたのでは?もしかするとこの年も1953年と同じように税関に楽器がひっかかってありあわせの楽器で?
ちなみに1954年の出来事を吉田秀和さんが新聞に書いていて興味深く読みました
(9/17朝日新聞の音楽展望)。「トスカニーニは演奏会の最中に記憶が失われ、即座に指揮棒を置き二度と帰らなかった。・・・ワルターが老齢で演奏会をやる気力がなくなった・・・。そして11月にはフルトヴェングラーが急逝。3人の巨匠が相次いで姿を消す年になった。」とのこと。しかし、うらやましいことに吉田氏は3人の最晩年の指揮に接する機会があったとのこと。特にフルトヴェングラーのバイロイトの第九(ベートーヴェン)がよかったそうな。それにE.フィッシャー/シュナイダーハン/マイナルディのブラームスのピアノ・トリオもザルツブルクできいたそうな。巨匠不在(?)のいまどき、よだれのでそうな話でした。

擬似ステレオはEMIエレクトローラの専売と思っていましたらトスカニーニの日ビクター盤LPにもSTEREOの文字が。当時の各社の「ともかくステレオで」みたいな雰囲気を感じました。

音色は演奏者が作るもの。それでも楽器がかなりの割合で演奏者の音色を特徴付けるのでシュトラウスの1番、1954年ライヴ録音はアレキサンダー・ホルン。1956年録音は明るくパリッとしたところが1947年録音のラウー・ホルンと似ている、と妄想しています。

9月28日、夢中人

563.雑記

name: CATO - 2003年09月27日 1時27分17秒

的な事しか書けませんが、少々。
23日は、大阪シンフォニカー交響楽団を聴きに久しぶりにフェスティバルホールに出かけました。バイエルン放送交響楽団の主席バイオリンのシュルツによる、指揮と弾き指揮で、全チャイコフスキーのおなじみの曲群でした。プロに失礼な言い方になりますが、大阪のオケは30年前に較べて各段に上手くなりました。これは実感です。特に席が良かったのかもしれませんが、管絃打楽器のバランスがいいです。一曲目がエウゲニオネーギンのポロネーズでしたが、フェスティバルホールを心地よく響かせる無理のないいい演奏と思いました。この曲は先日ご紹介したシルヴェストリ10枚組の中にもあり、シルヴェストリ=ボーンマスの定番の一つで、弦をクッキクッキと強く弾かせ、管にも強いアタックを要求していて、くっきりとした見事な演奏です(1966年録音)。シルヴェストリ=ボーンマスをフェスティバルで聴きたかったものです。
大阪のオケではフェスティバルから定期公演を他に移す傾向があるようですが、改めてこのホールの響きのよさを大阪シンフォニカーに教えられました。

夢中人さんの「562」で1956年、シベリウスなどが出ていたので、このあたりを見てみました。
シベリウスは1957年に92歳で亡くなりました。1957年はカラヤンが49歳、ミシェル・シュヴァルベがコンサートマスターに、オーボエのローター・コッホ首席奏者に就任し、この年、来日。Gグールドが最初のヨーロッパ演奏行。ハチャトリアンがガイーヌ改訂版を、バーンスタインがウエストサイド物語を発表。そして、ブレインが・・・。
疾風怒濤の時期と感じました。

CATOさん、お話ありがとうございました。

1966年のボーンマス響。演奏、録音ともまさにミラクル!イタリア奇想曲の結びの速さときたらフィルハーモニアの第5交響曲並み以上!イギリスの地方オーケストラにしてこの輝き、本当に素晴らしいですね。 夢中人

562.ウォルサムストウにて(続々々)

name: 夢中人 - 2003年09月27日 0時20分20秒

1956年6月、サー・エードリアン・ボールトとロンドン・フィルハーモニー管弦楽団による最初のヴァンガード録音のときの話。いくつかの素晴らしい名演奏があり一度ならずオーケストラは極限状態なまでになりました。

その1曲「ポヒョラの娘」のスコアの見返しにカレワラ伝説に関連した詩がドイツ語で印刷されていました。

ボールトがオーケストラにこの詩を大声で訳しながら読み上げてから言いました。「オーケストラの諸君の中でこの詩がこれから録音しようとしているものとどんな関係にあるのか話せる人はいますか?」 「・・・・」

それからボールトはこの作品を燃えるように演奏し始めました。コントロールルームでのプレイバックののち、プロデューサーはかなり興奮気味にこのテイクを語りました。「私は子供の頃からクーセヴィッキーとボストン交響楽団のSPレコードを聴いて育ちましたが、サー・エードリアンの演奏はそれと同じ位です!」

ボールトは悲しそうな顔で言いました。「あーそう。シベリウスに suspended animation(辞書的には人事不省、仮死の意)とあるよね。僕はこれが全く何のことか判らないのだがね。」

(ICRC1995年春号、ジョン・スネイシャル「パイ・ニクサ物語」より)

 (もちろん夢中人も判りません。)


561.ウォルサムストウにて(続々)

name: 夢中人 - 2003年09月25日 0時17分27秒

1955年3月から5月にかけてのサー・エードリアン・ボールトとロンドン・フィルハーモニー管弦楽団によるレコーディングの中にスッペ序曲集(全8曲)というのがありました。

ある時ボールトは明らかにスッペはもう飽き飽きという様子でプロデューサーに言いました。「いいかねリスト君、私はスッペなんか生涯一度もやったことはないッ!」

プロデューサーのリストはボールトがBBC交響楽団を指揮した「軽騎兵」のSP盤を持っていて、その素晴らしいのが今回序曲を全部録音するきっかけですと伝えたもののレコードのことは明らかに忘れている。

あくまで想像ですが残りの序曲ではボールトがほんの少しやる気を出したように思います。

(ICRC1995年春号、ジョン・スネイシャル「パイ・ニクサ物語」より)


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