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第220話「マルケヴィッチ/青少年のための管弦楽入門」
Columbia 33CX1175 イーゴリ・マルケヴィッチ&POの「青少年のための管弦楽入門」の録音年月日が1952年9月11、13日と1954年6月8日と離れているのを奇異に思っていましたが、その答えをアラン・サンダース著『ウォルター・レッグ 1906-1979/言葉と音楽』に見つけました。

 レッグはマルケヴィッチの「管弦楽入門」のナレーションを作曲者のベンジャミン・ブリテンに依頼していたらしく、1952年10月3日付けのブリテンの手紙で、マルケヴィッチのレコーディングに協力したいのは山々なのだが、作曲のためにオールドバラを離れられない。そのかわりピーター・ピアーズならアメリカでナレーションの経験があるし、きっと上手くやると思う…。かくして Columbia 33CX1175 は、1955年初め頃に発売となりました。そういえば、1963年のブリテンの自作自演盤(LSO)でもナレーション無しでしたね。
2015年10月13日 20時55分

第219話「マルケヴィチEMI録音全集」
 この9月に発売された鬼才イーゴリ・マルケヴィッチの18枚組。Disc 9と Disc 10はブレイン在籍中の録音初CD化です(「動物の謝肉祭」のみ2度目)。特に Disc 10には「動物の謝肉祭」や「ピーターと狼」「青少年の為の管弦楽入門」と何れも少年の頃から親しんできた音楽なので待ちわびていました。

 「動物の謝肉祭」と「青少年の為の管弦楽入門」は中学校の音楽鑑賞で聞いて以来楽器やオーケストラに興味を持ちました。亡くなったデンマークのケル・モセンさんもオーケストラの楽器の教育用レコードは沢山収集されていらっしゃいました。

 このボックスにはTestamentの以前の復刻の全てが入っていますし、最近相次いで出たヘルベルト・フォン・カラヤン(ステレオ版)、オットー・クレンペラー(SACD)のハイドン変奏曲と聞き比べる楽しみもあります。

 ブックレットDisc 6の最後の幻想序曲「ロミオとジュリエット」は、1954年3月、パリ、メゾン・デ・ラ・ミュチュアリテ(共済組合会館ホール)録音ではなく、1959年2月17日、ロンドン、アビー・ロード・スタジオ録音です。
2015年10月04日 13時06分47秒

第218話「メユール《若きアンリの狩》序曲」

  サー・トーマス・ビーチャム、ベルリオーズ、グレトリー、メユール、マスネを振る(2001年、Sony SMK91167)のグラハム・メルヴィル・メイソンによる解説文にロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のフルート奏者ジェラルド・ジャクソンが語った《若きアンリの狩》に関する話が載っています。
 オックスフォードとかの巡業でサー・トーマスは近年とみにご執心の曲目を取り上げました。その一つがオフステージのホルンを必要とするメユールの《若きアンリの狩》序曲。毎度おなじみとなった頃、ある演奏会でデニス・ブレイン率いるホルン・セクションが自分たちの狩のホルン・コールを、いつもと違った場所でやってみようと決めました。演奏前にそれを知らされなかったビーチャムは驚いたものの何も言いませんでした。ただ次の演奏地では予め注意が出されました「皆さん、今回は世界一周観光旅行は禁止です!」
 デニス・ブレインが1955年7月23日、BBC講演リサイタル「初期のホルン」でこの《若きアンリの狩》の主題をモダン、ナチュラル、ゴムホースの3種類のホルンでもって見事に吹き分けてみせたのはご承知の通りです。
(YouTubeの演奏は、Michel Swierczewski 指揮 Gulbenkian Orchestra によるものです。)
2015年09月05日 09時53分

第217話「クレンペラー&PO、1955年録音《英雄》(SACD)」
 カラヤンとアメリカに演奏旅行に出かける前の1955年10月3日から7日、オットー・クレンペラーと録音したベートーヴェンの交響曲第3、7、5番のSACD盤第1弾。その前年に録音した《フィデリオ》のための序曲4つのうちレオノーレ第1と第2が付くのはart盤と同じですが、英国Warnerのホームページでは見当たらないので、日本でのみ発売のようです。

 ペティットさんの『フィルハーモニア管弦楽団/1945〜1985業績記録』(Robert Hale,1985)によりますと、そのあと10月18日に行われたツアー出発前演奏会で、ウィリアム・ウォルトンの新しい編曲による英国国歌が演奏され、デニス・ブレインのシグナルを合図にホルン・セクションが派手にベルアップして凄かったみたいですね。
2015年07月11日 21時47分

第216話「スティーヴン・ペティット(1945-2015)」

1999年夏、ロンドン、パックスマンにて
1999年夏、ロンドン、パックスマンにて(山田淳さん撮影)

 英国ホルン協会誌「ホルンプレーヤーズ」最新号がデニス・ブレインの伝記作家スティーヴン・ペティットさんが、2015年3月に亡くなったことを伝えました。

 彼の著作無くして、今日の自分はなく、ただただご冥福を祈るのみです。

 1976年、ロンドンのロバート・ヘイル社より出版されたペティットさんのデニス・ブレイン伝 Dennis Brain A biography がこの日本で紹介されたのは、恐らく1980年10月に発売された日本コロンビアのLP「デニス・ブレインの芸術」OW-7218-BS の三浦淳史さんによる解説文ではなかったかと思います。それまでは三浦さんの著作でブレインのドラマチックな生涯における数々のエピソードに触れていましたが、いつか原著で読みたいものと思うようになりました。

 当時はもちろんインターネットはなく、洋書の入手はあまり一般的ではありませんでした。年月は流れ1991年になったある日、新聞で群馬県にお住まいの外国人の方が洋書を取り寄せるサービスをされているのを知りました。飛びつくように注文し届いたのがその1976年初版本。辞書を引き引き訳文を書き記すのと、付録のディスコグラフィーを片手に秋葉原、御茶ノ水界隈のショップを徘徊してブレインが録音に参加したディスクを漁る日々が始まりました。

 伝記の和訳が進むにつれ、芽生えた仄かな目標がその出版。とはういうものの素人翻訳は亀よりも遅く、終えたのは1999年春となりました。そんなある日、近くの書店でうず高く積まれた「奇跡のホルン/デニス・ブレインと英国楽壇」に遭遇。奥付に1998年11月20日の日付と、訳者に山田淳さんのお名前。軽い目眩を覚えました。

ペティットさんと山田淳さん
2015年07月04日 09時13分

第215話「デニス・ブレインがそこにいる」
 カラヤン&フィルハーモニアのハイレゾ版ベートーヴェン交響曲全集のために外付けハードディスク(3TB)を入手しました。windows media playerは未だFLACファイルの再生に対応していないようですし、結局オーディオ装置にPCをUSB接続してSonyのHi-Res Audio Playerで再生することに。今のところ500〜600枚もあるCDが中心で、ハイレゾ音源の配布状況も歴史的音源についはまだまだこれからと思われますので、満足できる環境になったと思っています。

 肝心のベートーヴェンですが、素晴らしいです。3番のスケルツォの弾む弦、うわーっと盛り上がる音楽はCDでは味わえません。演奏を目の前にして聞く、まさに「デニス・ブレインがそこにいる」感じです!  
2015年05月02日 8時36分

第214話「レジナルド・ケルのいた頃」
 初期のフィルハーモニア管弦楽団の管楽器セクションが完成したのは、1949年春、ウォルター・レッグのロイヤル・フラッシュの一角だったオーボエのシドニー・サトクリフが入団、あるいは1950年のフルトヴェングラー演奏会のあと、2番ホルンのニール・サンダースが入団したことではないかと思います。

 ただそれまでの録音がだめということはそんなことは全然なくて、レジナルド・ケルの参加した録音は、ヴァイオリンのハイフェッツのように「別格」の味わいがあります。

 ケルは1948年11月に渡米してしまったのでそれまでの録音、例えばジュスキントの「魔弾の射手」序曲、クレツキの「悲愴」、クーベリック&フルニエによるドヴォルザークのチェロ協奏曲あたりが小生の見立てです。 
オペラ歌手のようなスタイル
2015年03月07日 13時51分

第213話「癒しのオーディオ」
 カラヤンのリマスタードSACDから選りすぐりの1枚がこの「モーツァルト、ベートーヴェン名演集」。協奏交響曲でサトクりフ、ウォルトン、ブレイン、ジェイムズが「聖子ちゃんがそこにいる」ように聞けたら夢のようですね。実際オーボエの音色がデニス・ブレインの芸術やTestament盤よりも酸味が強い感じ。2枚組アルバムの最後のプログラムが≪フィデリオ≫の Abscheulicher! Komm Hoffnung 「悪者よ、どこへ急ぐのだ〜来たれ、希望よ」なのも嬉しい。

 僕は円盤がないと心もとないたちですが、ベートーヴェンのハイレゾ版交響曲全集はダウンロードと家庭内ネットワークでの再生を計画中。
2015年02月28日 11時09分

第212話「ブリテンのセレナード〜三つの録音」
 デニス・ブレインが英国空軍中央音楽隊にいた1943年初演され、その翌年1944年5月25日と10月8日に録音、1945年に発売。指揮者は作曲者自身、プロデューサーはボイド・ニール。

 日本ではLPレコードの発売予定が中止されたこともあり、1993年のCDが初登場となりました(この辺はgoshikinumaさんがご自身のウェブサイト『ホルンの部屋』で面白いお話をされています)

 写真は2011年発売、豪ユニバーサル盤「ピーター・ピアーズ デッカ初期録音集」。初CD化にあったチリチリノイズは無くなっています。アルバムにはセレナードのほかに、ブレインが「無人島レコード」に選んだブリテンの「サリー・ガーデン」が入っているのも嬉しいですね。


 二つ目は、1953年11月25日〜27日、ちょうどカラヤンとモーツァルトの四つの協奏曲と管楽器のための協奏交響曲を録音した直後のもの。プロデューサーはジョン・カルショー。

 プロローグの最強奏の「鳴り」がフレンチ・タイプと違うのが判ります。








 1953年7月30日、プロムスでのライブ録音。指揮者は音楽隊で同僚だったジョン・ホリングスワース。エピローグ、ちょっと変かな。











セレナードに関する過去記事
2015年02月15日 20時47分

第211話「我が家にもやってきたハイレゾ」
 1982年、フルトヴェングラー&フィルハーモニア管弦楽団のセブンシーズ盤CD≪ルツェルンの第9≫が「歴史的録音」ジャンルへの扉を開いてくれたように、2014年、同じ演奏のAudite盤SACDと街の電器屋さんの歳末売り出しに載ったハイレゾ・コンポーネントの広告が、私を「ハイレゾ(解像度の高い音楽)」の世界に誘いました。

 NHKの「おはよう日本」でSONYの装置で「赤いスイトピー」を聞いた記者の方が「聖子ちゃんがそこにいる」と言っていたこともハイレゾ導入の後押しとなりました。

 やってきたのは本体とリモコンが重箱と箸箱のようなマルチオーディオ・プレーヤー MAP-S1 のブラックとスピーカー SS-HW1。これに以前からあるTechnicsのターンテーブルシステム SL-1200MK4を MAP-S1 に繋ぐためオーディオテクニカ製フォノイコライザー AT-PEQ3。レコードを鳴らす場合、CDよりもだいぶレベルを上げないといけないのが玉に瑕かな。

 SACDでなくてもカラヤンの新リマスターのCDなど毎日聞くのが楽しみです。
ルツェルンの第9(SACDハイブリッド)
2014年12月28日 13時02分

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