ホームページへ

次の話ホームページ前の話

第170話「さあ、目を開けろ」
 ブレイン時代のフィルハーモニア管弦楽団の録音にモーツァルトの三大歌劇が無いのはとても残念ですが、オペラ・アリアの録音は盛んに行っていて、1950年3月14日、イタリアのバリトン、ティート・ゴッビ(1915-1984)と当時サドラーズ・ウェルズ歌劇の音楽監督だったジェームズ・ロバートソン(1912-1991)が「フィガロの結婚」の重要なアリアをふたつ録音しています。

 第1幕の第9曲「もう飛ぶまいぞ、この蝶々 Non piu andrai」は Testament が早くにCD化しましたが、もう一つの第4幕の第27曲「さあ、目を開けろ Aprite un po' quegli occhi」は1枚もののCDでは未だ出ていません。最後の2本のホルンのファンファーレは、誰よりも格好良い。
 こちらは1955年7月エクサン・プロヴァンス音楽祭でのハンス・ロスバウト指揮パリ音楽院管弦楽団、ロランド・パネライのフィガロ
2012年01月15日 22時20分03秒

第169話「酔っ払い道具談義」
J
K「最近B♭(ベー)シングルがええと思いますわ」
O「そうなん」
K「デニス・ブレインや千葉馨もベーシングルでしたし」
O「ベーシングル、A(アー)替管用親指バルブ付き言うやつやろ」
K「ゲシュトップキーすね」
O「ヴィラネルでゲシュトップキー使うたんやろか」
K「ほんまですね」
O「上昇管て知ってるか」
K「聞いたことありますけど、どんなんですか」
O「5番目のバルブでB♭(ベー)管が全音上がってC(ツェー)管になるんや」
K「ややこし。何かのまじないですか」
O「B♭管の(1番バルブを押下する)実音Cは妙に音程が低いし、(1、2番バルブを押下する)G(ゲー)は高いやろ。そやから開放で吹けるようC管にする訳や」
K「僕F/B♭(エフべー)のダブル・ホルンで普段B♭管で吹いてますけど実音Cは低いんでF管の開放で吹いてます」
O「偉いな。フランスなんか3番バルブを押さえるとC管に上昇するのもあったんやて」
K「え!3番バルブですか。指使いどないなりますの」
O「よーせんわ」
K「そういやベーシングルでFナチュラル替管て聞いたことあります」
O「ブレインのビデオに写っとったくねくねしたやつな」
K「上昇管吹いてみたいです」
O「結局ホルンはFということちゃうか」

^

過去記事 酒酔い話「初期のホルン」
2012年01月09日 08時56分09秒

第168話「フィルハーモニア管弦楽団ブッキングシート」
 マーシャル教授の「Dennis Brain on Record」とスティーヴン・ペティットのブレイン伝の中のモーツァルトの29番の録音に関する挿話との不一致についてご両人に問い合わせをしました。するとペティットさんが大変ご親切にもフィルハーモニア管弦楽団ブッキングシートの当該部分を教えてくれました。これを見たマーシャル教授、ヒンデミットの《高貴なる幻影》を彼のブレイン・ディスコグラフィーに付け加えるべきとの考えになりました。
1954/10/5&6 モーツァルト/41番 ブレインとサンダースがホルンとして出演契約
1954/10/7(午前) ホルン協奏曲のセッションは取り止め
1954/10/7(午後),8&9 《高貴なる幻影》 ブレイン/1番ホルンただし7日以外。
「ウォルター・レッグ曰くブレインは午後のセッションに来るよう説得された」との注釈あり
1954/10/8&9 モーツァルト/29番 チャップマンとサンダース
2012年01月08日 10時35分24秒

第167話「1954年10月」
 ロバート・L・マーシャル教授の「Dennis Brain on Record」(1996)は、EMIのブッキングシートを調査した結果、オットー・クレンペラーのフィルハーモニア管弦楽団との初録音でデニス・ブレインが1954年10月7日以降参加しなかったことを明らかにしました。

 スティーヴン・ペティットの伝記には「(プロデューサーの)レッグは夕方のセッションの曲目をヒンデミットの別作品である《高貴なる幻影》組曲に変更し、デニスの方もリハーサルに戻ってあたかも何事もなかったかのように振る舞うことを約束した」あるいは、レッグの細君だったエリザベート・シュワルツコップによる回想録『レコードうら・おもて』にはレッグが「デニスに電話して、夜のセッションに来てくれないと困る、それも、何事もなかったように振舞ってくれと頼んだ」ともあります。伝記にはさらに「悪戯なデニスは、29番のリハーサルで終楽章の弦楽器による急速なスタッカートの音階をこっそり一緒に(しかも完璧な正確さで)吹いたりしていた」ともあります。

 いずれにせよ真実を知りたいものです。まずはもう一度CDを聞いて確かめることにします。
1954/10/5&6 モーツァルト/交響曲第41番「ジュピター」 Columbia 33CX1257 / Testament SBT 1093
1954/10/7 ヒンデミット/ホルン協奏曲 Columbia 未発売(録音未完了)
1954/10/7&8 ヒンデミット/《高貴なる幻影》組曲 Columbia 33CX1241 / EMI CMS 763835 2
1954/10/8&9 モーツァルト/交響曲第29番 Columbia 33CX1257 / Testament SBT 1093

1954/10/9 ブラームス/ハイドンの主題による変奏曲 Columbia 33CX1241 / EMI CDM 764146 2

(S.ペティット/フィルハーモニア管弦楽団完全ディスコグラフィーより)
2011年12月25日 23時40分07秒

第166話「オペラ・バレエ音楽集/ダッタン人の踊り」
 ブレイン時代のフィルハーモニア管弦楽団が録音した「ダッタン人の踊り」は3種類。ヘルベルト・フォン・カラヤンの「オペラ・バレエ音楽集」(1954年録音)とニコライ・マルコのもの(1953年録音)がCD化されています。曲の頭に「ダッタン人の娘たちの踊り」を附したものがカラヤン盤、歌劇「イーゴリ公」の序曲などと一緒に組曲にしたものがマルコ盤で、それぞれデニス・ブレインの精妙な演奏が聞けるのですが、ことカラヤン盤「ダッタン人」の「娘達の踊り」の最後の4本のホルンによるハーモニーが身震いする程の美しさです。
2011年12月22日 22時35分22秒

第165話「父オーブリー恐らく最後のレコード録音」
 デニス・ブレインはホルストの代表的な管弦楽曲「惑星」を録音していません。その穴を父オーブリーのいるBBC交響楽団とサー・エードリアン・ボールトによる録音(1945年1月2〜5日)が埋めています。

 ギャンブルさんのディスコグラフィーによると父オーブリーは「惑星」を4回録音していて、作曲者との録音では逸話も残っています。その4回目がBBC交響楽団での録音で、第2次大戦終了前HMVにいたウォルター・レッグがプロデュースしたもの。父オーブリーはその年7月、プロムズのリハーサル中に倒れてオケマンの第一線から引退しましたので、「惑星」が父オーブリー最後のレコード録音となったようです。

 それから息子のデニスが戦後レッグが立ち上げたフィルハーモニア管弦楽団で華々しく活躍するという流れになります。

ホルスト/惑星、ウォルトン/行進曲「王冠」ほか
BEULAH 2PD12(現在発売中のものはCDR盤です)

ボールトの「惑星」に関する過去記事

2011年09月23日 08時41分00秒

第164話「ヒストリック・シューベルト / ザ・グレート」
 マサチューセッツ州、ブランダイス大学のロバート・マーシャル名誉音楽教授が1996年「デニス・ブレインのレコード」を著したとき、1600種類の録音があるとされていました。その後音源の発掘が相次いで、現在では1800種類の録音があると言われています(*)。

 「最も録音されたオーケストラ」フィルハーモニア管弦楽団をはじめロンドンの複数のオーケストラに在籍し、最もレコード録音が活発な時代を生きたデニス・ブレインですから、ブルックナーやマーラーの5番とでも言わない限り、大概の曲は録音が残されています。

 にも拘らずホルンが大活躍する曲で残念ながらデニス・ブレインの録音が無いものが幾つかあります。交響曲では、シューベルトの第9「ザ・グレート」、メンデルスゾーンの第3「スコットランド」、シューマンの第3「ライン」などがそうです。そのうちのシューベルトは幸い父オーブリーのいたBBC交響楽団とサー・エードリアン・ボールトが1934年に録音していて、その穴を埋めています(BEULAH 1PD32)。

* 2011年9月、米国ニュー・イングランド・ホルン協会発行「コルヌコピア」より

 ボールトの「ザ・グレート」に関する過去記事

 シューベルトの第9は、初演指揮者のメンデルスゾーンがロンドン・フィルハーモニー協会で1844年に英国初演を行う計画がありましたが終楽章が演奏困難のため中止に。後にサー・オーガスト・マンズ指揮、クリスタル・パレス・オーケストラが第1から第3楽章までを1856年4月5日に、第2から第4楽章までをその翌週演奏したと言います。
2011年09月07日 21時36分49秒

第163話「サー・トーマス・ビーチャム&RPO / シューベルト / 交響曲第2番」
 18才(1814年)のシューベルトの習作を堂々とした名演奏に仕立てたサー・トーマス・ビーチャムの真骨頂。特に第2楽章は楽しい変奏曲で繰り返し聞いています。

 マーシャルの本に載っていますので、2本のホルンはデニス・ブレインとイアン・ビアズということになりますが、兎も角、達者なホルンです。

 初演は1877年10月20日、サー・オーガスト・マンズ(1825-1907)指揮、ロンドンのクリスタル・パレス・オーケストラと言いますから英国と少なからず縁がある曲なんですね。
Sony Classical SMK87876
1954年5月28日録音
2011年07月18日 19時30分02秒

第162話「サー・トーマス・ビーチャム&RPO / モーツァルト / 後期6大交響曲」
 「デニス・ブレインのレコード」のロバート・マーシャル教授によりますと、サー・トーマス・ビーチャムとロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(RPO)によるモーツァルトの後期6大交響曲の録音のうち、ブレインが録音に参加しているのは、39番と40番以外、即ち、35番「ハフナー」、36番「リンツ」、38番「プラハ」と41番「ジュピター」だとあります。

 ところが下記のとおり、38番と41番以外はブレインがRPOを退団後の録音であり、聞く限りにおいてもその特徴を認められません。さらに、モーツァルトを得意としているビーチャム&RPOのレコードが「ジュピター」を除き邦盤が出たことがない、つまり(極端に言えば)日本ではいまひとつ人気がない、とされているのは何故かを考えてみました。

 それはレコード会社(CBS)がモーツァルトの最高権威者ブルーノ・ワルターを擁しておりニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団やワルターの録音専用オーケストラ、コロンビア交響楽団と偉大な文化的遺産とされる一連の交響曲を録音し、日本の音楽評論家もこぞってモーツァルトはワルターが最高の名盤と繰り返し述べていたこと。

 昭和43年以降はそれまで日本コロムビアから出ていたCBS関係のレコードはソニーから出ることになったけれどもビーチャム&RPOのレコードは遂に1枚も発売されることなく現在に至っている、ということではないでしょうか。

 私は、「プラハ」が好きでビーチャムのCD(Sony SMK87963)を愛聴していますが素晴らしいですよ。だってあのデニス・ブレインが吹いているんですもの!

第35番ニ長調K.385「ハフナー」 1954.4.30-5.1録音
第36番ハ長調K.425「リンツ」 1954.5.1
第38番ニ長調K.504「プラハ」 1950.4.18
第39番変ホ長調K.543 1955.10.26-27
第40番ト短調 K.550 1954.4.27
第41番ハ長調K.551「ジュピター」 1950.2.22
2011年07月03日 20時38分25秒

第161話「サー・トーマス・ビーチャム&RPO / モーツァルト / パリ交響曲」
 ビーチャムとRPOのCBS録音がまだ「謎」だった頃、イタリアの海賊盤CDレーベル、テオレマがモーツァルトのレクイエムを出していました。レクイエムにホルン・パートはありませんが、第4曲のトゥーバ・ミルム(妙なるラッパの響き)で通常トロンボーンで吹かれる旋律をチェロで弾く点がユニーク。ソニーのCD(Sony SMK89808)は、さすがオリジナルでテオレマ盤では再現されなかった木管楽器の細やかなニュアンスが感じられます。

 それにおまけと言うにはあまりに素晴らしい交響曲第31番「パリ」の第2楽章アンダンテ。たった一度だけ、デニス・ブレインがとてもかわいいトリルを吹いていて、あまりにも素晴らしいので聞きながらもう1回!もう1回!と決して叶わぬお願いをしてしまいます。
2011年06月08日 21時53分50秒

次の話ホームページ前の話