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第320話「フィルハーモニア管弦楽団と映画音楽/アーネスト・アーヴィング(1878-1953)」
スティーヴン・ペティット著『フィルハーモニア管弦楽団』第2章「誕生と幼少期 1945-7」に次のような記事があります。
 映画スタジオは、仕事を求めている質の高い演奏家集団に興味を持っており、ミュア・マシソンのいるデナム・スタジオとアーネスト・アーヴィングの指揮するイーリング・スタジオの両スタジオは、1946年の初めにはフィルハーモニア管弦楽団を定期的に雇用するようになった。演奏家たちにとって、映画撮影は非常に楽しいものだった。彼らは現金で良い報酬を受け取り、困難な移動によってできるだけ多くの撮影セッションを埋めるために音楽を作り上げることができた。デナムはロンドン中心部から遠いため、朝の撮影セッションは早朝に開始しなければならなかったが、食堂では遅い朝食にベーコンと卵を提供していた。戦後の緊縮財政の時代には、これはまさに贅沢だった。この初期の数か月間、映画撮影セッションはオーケストラの財政にとって生命線であり、演奏家たちの忠誠心を保つのに役立った。
 アーネスト・アーヴィング(1878-1953)は、第2次大戦中は、立場こそ違えウォルター・レッグやデニス・ブレインもいたENSA(Entertainment National Service Association)に在籍して、通常のコンサートに加えイギリスの映画音楽に多大な貢献をしました。

 ロバート・マーシャルの「デニス・ブレインのレコード」に40本以上の映画音楽を指揮したことが記録されており、中でも有名なのがヴォーン・ウィリアムズの「南極のスコット」(1948)で2000年にPearlがCD化(GEM0100)。

 私は映画に詳しくありませんが、2011年に訳出されたスティーヴン・シュナイダー総編集の「死ぬまで観たい映画1001本」に2本、アーヴィングの音楽監督作が載っています。

Whisky Galore Main & End Title(1949)アーネスト・アーヴィング作曲・指揮/フィルハーモニア管弦楽団

ラヴェンダー・ヒル・モブ Main & End Title(1951)ジョルジュ・オーリック作曲 アーネスト・アーヴィング指揮/フィルハーモニア管弦楽団
2025年1月26日 17時27分

第319話「イギリス映画音楽の皇帝/ミュア・マシソン(1911-1975)」

 イギリス映画音楽の監督、編曲家、指揮者ミュア・マシソン(マシーソン、マシーズン)。アルチェオ・ガリエラとほぼ同期。約1000本の映画に関わったといいますから「イギリス映画音楽の皇帝」と称されました。

 ロバート・マーシャルの「デニス・ブレインのレコード」にはナショナル交響楽団のラフマニノフ、ピアノ協奏曲第2番のほかフィルハーモニア管弦楽団との録音が約30曲がリストされていますが、ジャンルの違いからかペティットの「フィルハーモニア管弦楽団完全ディスコグラフィー 1945-1987」では完璧に無視されました。

   Wikipediaにマシソンがベンジャミン・ブリテンに新作「青少年のための管弦楽入門」を依頼した、とあり映画のオープニングクレジットで Directed by Muir Mathieson と確認できます。指揮・解説はサー・マルコム・サージェント、オーケストラはロンドン交響楽団、レコードの「オーケストラの楽器」と同様1944年の教育法の施行により制作されたものです。

 サージェントは「青少年のための管弦楽入門」が20世紀を代表するクラシック音楽になるとは夢にも思っていなかったといいます。ロンドン響のメンバーに後にフィルハーモニアに入団するバスーンのセシル・ジェームズやヴィオラのハーバート・ダウンズがいるのも楽しいですね。
 映画に登場するホルンの1番は誰かしら。ロンドン王立音楽アカデミーでデニス・ブレインと同級だったホルンのジョン・バーデン(1921-2010)とは違うような気がする…
2025年1月12日 17時52分

第318話「映画音楽あれこれ」
 戦後イギリス映画が華やかなりし頃、クラシック・オーケストラがベンチャーとして映画音楽のサウンドトラックを録音した時期がありました。いずれもマーシャルの「デニス・ブレインのレコード」に載っています。

『逢引き』(1945)ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番 ミュア・マシソン/ナショナル交響楽団
The Woman in the Hall (1947)Abady ミュア・マシソン/フィルハーモニア管弦楽団
Captain Boycott (1947)William Alwyn ミュア・マシソン/フィルハーモニア管弦楽団
Take my Life (1947)William Alwyn ミュア・マシソン/フィルハーモニア管弦楽団
『オリヴァー・ツイスト』(1948) アーノルド・バックス作曲 ミュア・マシソン/フィルハーモニア管弦楽団
『ハムレット』(1948)ウィリアム・ウォルトン作曲 ミュア・マシソン/フィルハーモニア管弦楽団
The Passionate Friends (1949) Addinsell ミュア・マシソン/フィルハーモニア管弦楽団 
2024年12月29日 18時09分

第317話「オッフェンバック/歌劇「ホフマン物語」エピローグ 間奏曲(ホルン四重奏)」
 トーマス・ビーチャムとロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団が1950年8月21日、エディンバラ音楽祭でリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」を演奏する前の5週間、ロンドン西部、シェパートンの映画スタジオで「ホフマン物語」のサウンドトラックを録音したもの。










こちらはドイツ語歌唱版。私の持っているオランダ製DVDは色彩が今一つですが、ボーナスのドイツ語版CD2枚付きで重宝しています。また1951年1月26日に別にスタジオ録音された抜粋(6曲)は、LP未発売だったものを2003年、Sonny Classical Entertainment (UK)がCD化。










 SommのCDには映画の撮影に先立って映画監督のパウエルとプレスバーガーがシナリオの青写真に使う為に、全曲をビーチャム自身がピアノで録音したものの一部も収録。ビーチャムは指揮だけではなく映画の冒頭に短いバレエを入れたり、キャスティングや制作に多くの意見を出したそうです。

 サウンドトラックはSP、LP、CDで、映画はVTR、LD、DVD、Blu-ray、Blu-ray(4Kレストア版)とあらゆる媒体で発売されてきました。





ブライアン・イースデイル/バレエ『赤い靴』
 これもモイラ・シアラー主演、マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーの監督作品。1947年7月、ビーチャムとロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(RPO)がデンハム映画スタジオでサウンド・トラックを録音したもの(映画のオープニングクレジットではイースデイルが作曲・指揮とされている)。冒頭のホルンによるファンファーレが聞き物です。

 またマーシャルの「デニス・ブレインのレコード」には1948年7月20日にミュア・マシソンがフィルハーモニア管弦楽団を振って『赤い靴』の前奏曲とバレエ音楽の録音を記載していて、2000年には英PearlがCD化(GEM 0100)しています。
2024年12月15日 18時56分

第316話「クレンペラー ドキュメント OMNIBUS」
 珍しいオットー・クレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団のリハーサル風景を含むドキュメント。左からデニス・ブレイン、ニール・サンダース、アラン・シヴィル、アルフレッド・カーシューじゃないでしょうか。一瞬ですがともかく珍しい。


2024年11月10日 19時05分

第315話「デニス・ブレインRPO最後の演奏会/1954年4月7日ライブ録音」
 幸せは傍にありました!1954年4月7日、デニス・ブレインRPO最後の演奏会、モーツァルトの交響曲第39番変ホ長調K543のライブ録音だっ!

 2003年、英国ソニー・クラシカルより発売された「サー・トーマス・ビーチャム、モーツァルトを振る」(SMK87963)のブックレットにデニス・ブレインの友人グラハム・メルヴィル・メイソン (1933-2019) が面白いエピソードを書いている。

 1954年4月7日、ロイヤル・フェスティバル・ホールで交響曲第39番のリハーサルをしていたとき、サー・トーマス・ビーチャムは最近の音楽シーンを皮肉り、遅れてきた2番ファゴットが現れるのを待つ間オーケストラを楽しませた。作曲家のハンフリー・プロクター=グレッグ(1895-1980)はその一部を回想する。

 「…モーツァルトの小さなオーケストラや小さなピアノやフォルテという考えは、すべて大げさな戯言。モーツァルトは自分が手に入れられる最大のオーケストラを好み、ある日40台のバイオリンとそれに匹敵する残りの楽器を手に入れたときの彼の喜びが読み取れる。本物のモーツァルトには小さなオーケストラと小さな声が必要だという話はすべて、音楽学上のナンセンスで、ごまかし、異端、詭弁、衒学的、そして偽善の寄せ集めというものですな」
プログラム
モーツァルト : 交響曲第39番 変ホ長調 K543
シューベルト : 交響曲第4番 ハ短調 「悲劇的」
バラキレフ : 交響詩「タマーラ」
ロッシーニ : 「セミラーミデ」序曲
グレトリー : エア・ドゥ・バレエ〜歌劇「ゼミールとアゾール」(アンコール)
2024年11月2日 17時44分

第314話「RPO退団後の出演」
 デニス・ブレインの伝記「奇跡のホルン」の259頁に、1956年12月のとある日にもう一度だけロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(RPO)とビーチャムのために出演した。退団してからすでに3年近くたっていたが、この間もレコーディング・セッションにはごくたまに参加を続けていた、とあります。

「デニス・ブレインのレコード」の著者ロバート・マーシャルによれば、デニス・ブレインのRPO最後の演奏会出演は1954年4月7日、レコード録音は1953年12月と1954年4月下旬にかけてのPhilips録音が最後とされていて、それ以降のレコーディング参加や1956年の出演の詳細は不明のまま。

 Somm RecordingsのThe Beecham Collectionシリーズ、Somm-Beecham 29で一つの回答が出ていました。ブックレットの著者、グラハム・メルヴィル・メイソンは1956年12月6日のロイヤル・フェスティバル・ホールでのライブ録音、ワーグナーの序曲「リエンツィ」の管楽器首席奏者が、デニス・ブレイン(ホルン)、フィリップ・ジョーンズ(トランペット)、スタンリー・ブラウン(トロンボーン)、ジェイムズ・パウエル(テューバ)と明記しています。

 2024年11月2日 15時36分

第313話「CDリマスターの歴史/リヒャルト・シュトラウスの協奏曲第2番(1956年録音)」
初期盤輸入CD ソニーのCDプレーヤー一号機、黒いCDP-101を秋葉原で定価の168,000円で購入。CDも輸入盤は1枚4,500円していました。これも多分その中の1枚、USA製造のCDC-7 47834 2(1986年版リマスター)です。針音の無い再生音に感動し、「シュトラウスの第2番第1楽章の4'23"に紙筒のようなものを落とす音あり」とわざわざメモに書いてブックレット内に残しているほど。そのためレコードより音に迫力がなくなっていることに気づいていませんでした。





デニス・ブレインの芸術 1980年2月21日、東芝EMIがLP9枚組の「デニス・ブレインの芸術」(EAC-77378〜86)を発売して以来、BBC音源も入ったCD11枚組(CE25-5896〜906)を1989年8月23日に、さらにBBC音源は外れてロンドン・バロック・アンサンブルの音源が入ったCD12枚組の青い「…の芸術」(TOCE-8086〜97)を1992年12月9日に、さらにさらにCD13枚組の茶色い「…の芸術」(TOCE-9325〜37)を1997年1月22日に発売、とずいぶんお世話になりました。最後の茶色い「…の芸術」は、岡崎好雄氏による20bit/88.2kHzのマスタリングとあります。




EMI ICON 2008年発売。プロデューサーはワルター・イエリネック、バランス・エンジニアはハロルド・ダヴィッドソン、2003年マスタリング。











BIRTH OF A REGEND 2020年発売。フィルハーモニア管弦楽団/創立75周年記念歴史的録音集(24CD)。2019年、Studio Art & Sonによる24bit/192kHzリマスター。現状最新。










DENNIS BRAIN HOMAGE 2021年発売11枚組。なぜか2002年リマスターとあり以前のThe Great master of centuryシリーズに戻ってしまっている。本当ならちょっと残念。

以上聞き比べて最後にLPを聞きました。LPが最高です!









2024年10月26日 12時36分

 
第312話「1956/11/14,1956/12/23 RPOコンサート」
 1956年11月14日、ロイヤル・フェスティバル・ホールにおけるロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(RPO)演奏会。
Royal Philharmonic Society Concert
Mendelssohn : A Midsummer Night's Dream Overture
Beethoven : Symphony No.2
Liszt : A Faust Symphony
Alexander Young , Michael Rangton
Beecham Choral Society
 Richard Itter Collection Vol.1(ICAC 5148、4枚組、P2018)



 デニス・ブレインの伝記「奇跡のホルン」(スティーヴン・ペティット著、山田淳さん訳)214頁にブレインが一番警戒していたのは、ベートーヴェンの交響曲第2番の緩徐楽章のソロで、ある晩遅く友人のシドニー・クルストンに「こちらデニス。外しちゃったよ」、と電話したとあります。

 デニス・ブレインはRPOを退団後(退団日については1953年12月、1954年4月7日等諸説あり)もトーマス・ビーチャムからの依頼でしばしばRPOに出演した。この1956年12月23日、BBC Maida Valeでの演奏会はその一つと思われます。モーリス・パーカーによるビーチャム・カレンダーのコメントに「演奏会は録音されたが演奏が下手(poor)だったので中継されなかった」とあります。(BBCL 4099-2、P2002)

 Maida Valeコンサートのもう1曲はリムスキー=コルサコフ「金鶏」(BBCL 4084-2、P2001)
2024年10月20日 14時31分 

第311話「スポーツ趣味」
 四方山話第1話「我を律する」、卓球の話。

 デニス・ブレインはは一つの例外を除いて全てのスポーツを避けている。その例外とは「卓球」。理由はピンポンのボールはまず自分にダメージを与えることはないから。(米タイム誌、1953年7月6日号)

 一方ビル・リンチ&スティーヴン・ギャンブル著 A Life in Music (P.63)にあるロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団米国ツアーでのお話。

 1950年11月18日、ケンタッキー州レキシントンで、ケンタッキー・カーネル紙の音楽評論家、エド・コフマンは、メモリアム・コロセウムのバックステージでデニス・ブレインとジャック・ブライマーを見つけた。

 二人ともコロセアムに感銘を受けた様子。非常に若く見えるブレインは「とても広大ですね」、ブライマーは「音響が良かったけれども、こんなに広い場所は少し大きすぎました」とコメント。二人ともアメリカがとても気に入った様子。ブレインは 「こんなに広い国とは」ブライマーは「どの街も違うね」と。

 ブレインは「野球の試合を見たかった」とも。 彼はクリケットのファンなので野球の試合を観戦してクリケットと野球の違いをこの目で見たいと言った。彼はノースダコタ州とケンタッキー州でフットボールの試合を見ました。「アメリカのフットボールの試合は本当に楽しかったですが、それは英国のフットボールの試合ととても違っていました」その際別のオーケストラメンバーが観戦に加わって曰く「ボールではなく、選手(the man)を狙うんだ」

 またスティーブン・ペティット著山田淳さん訳の「奇跡のホルン」(1998年春秋社)の注釈(P.241)などによると、デニス・ブレインはデニス・コンプトンとジョン・エドリッチのファンであり、エドリッチはクリケット場がアビー・ロード・スタジオの近くにあったメリルボーン・クリケット・クラブ(MCC)でプレーしていた。アビー・ロードでのレコーディング中、デニスはリハーサルの休憩時間に、彼と同じくクリケット愛好家だったオーケストラの同僚と一緒に、クリケット場にスコアを見に行った、とあります。
 
 2024/10/9、第27回アジア卓球選手権大会(カザフスタン・アスタナ)、日本女子卓球(張本、伊藤、平野)、50年ぶりに中国を撃破し優勝しました。本当におめでとうございます!!

 続いて 2024/10/13、張本智和選手、中国選手を下して日本男子50年ぶりの金メダル獲得、アジア王者となりました!
2024年10月12日 17時02分

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