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第290話「1956年9月6日ルツェルン国際音楽祭、田園・ブラームス第4交響曲」
 スイスのバーゼル放送アーカイブから1956年ルツェルン国際音楽祭でのヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団(PO)のライブ演奏が飛び出してました。「世界で最も録音されたオーケストラ」と言われるもののブレイン時代の PO のライブ録音は極めて珍しく、同じ音楽祭(1954)でのフルトヴェングラーとの第9に続く大録音です。

 ただ1954年音楽祭は伝記、写真等でデニス・ブレインの参加が確認されていますが、1956年はそれら「物証」が無く、第1ホルンがデニス・ブレインかどうかに耳を澄ますことに。田園をビーチャム(1952)、カラヤン(1953)、ブラームスの第4をトスカニーニ(1952)、カラヤン(1955)、クレンペラー(1957、第1ホルン:アラン・シヴィル)と聞き比べましたが…。判別不能(涙)。

思い余ってスイスのルツェルン音楽祭websiteに問い合わたところが…

 すぐに返事が来ました!
 この度は、カラヤンのCDボックスセットに関心をお寄せいただき、誠にありがとうございます。当時のプログラムを確認しました。1956年ルツェルン国際音楽祭でのフィルハーモニア管弦楽団のホルン・セクションは下記のとおりです。

デニス・ブレイン
ニール・サンダース
アラン・シヴィル
アルフレッド・カーシュー
オーブリー・ソンガー
アンドリュー・マクガヴァン

 残念ながら、誰がどのコンサートで演奏したかは記されていませんが、CDをお楽しみください!

 
1956年ルツェルン国際音楽祭の演奏会記録は、こちら
ルツェルン音楽祭公式サイトは、こちら
auditeカタログは、こちら
2024年1月7日 20時46分

第289話「ブラームス/ホルン三重奏曲変ホ長調作品40〜アルテュール・グリュミオー物語」
 1947年11月20日、デニス・ブレインがアルテュール・グリュミオーのヴァイオリンとデニス・マシューズのピアノとでブラームスのホルン三重奏曲を全曲録音し、スタジオで演奏ポーズをとる3人の写真も撮影された。ところがそのレコードは発売されず、原盤は1955年に廃棄されたとも言われている。

 グリュミオーは、ブレインと同じ1921年生まれ。幼少の頃から天才と言われ才能を発揮したものの、ナチス・ドイツへの協力を拒んだために、ヨーロッパでの演奏機会は限られていた。それを戦時中コロンビア・レコードの芸術部長でENSA(軍人慰問奉仕協会)の音楽監督、ウォルター・レッグが見出して、1946年12月にはアルチェオ・ガリエラ指揮フィルハーモニア管弦楽団とメンデルスゾーンの協奏曲を、さらに1947年までに上記ブラームスを含む約20曲を録音。ところがそれ以降、コロンビアへの録音はぷっつりと途切れてしまい、1953年にはフィリップスと専属契約を結ぶに至りコロンビア録音は忘れさられてしまった。

 ここからは私、夢中人の妄想ではあるが、グリュミオーは契約上のことでレッグの怒りを買ったのではないか。それもスター奏者デニス・ブレインの二度目のチャレンジで完成したレコードを発売もせず、廃棄してしまうくらいの激しいものだったのではないかと。
       
録音日付 録音場所演奏者レコード番号  
1945/1/5 ロンドン
EMI第3スタジオ
アビー・ロード
デニス・ブレイン(hr)
ハリー・ブレック(Vn)
デニス・マシューズ(pf)
CAX 9147録音未了
1947/11/20 ロンドン デニス・ブレイン(hr)
アルテュール・グリュミオー(Vn)
デニス・マシューズ(pf)
CAX 1027
CAX 1028
CAX 1029
CAX 1030
CAX 1031
CAX 1032
CAX 1033
CAX 1034
未発売
1957/2/15 ロンドン
BBCスタジオ
デニス・ブレイン(hr)
マックス・サルピーター(Vn)
シリル・プリーディー(pf)
BBC REB 175 1974年5月発売
  戦前の名著、あらえびすの「名曲決定盤」に紹介されたブッシュ、ゼルキン、ブレインによるブラームスのホルン三重奏曲。1933年録音のSPレコードでブレインというのはデニス・ブレインの父親オーブリー・ブレイン。このレコードにも逸話があります。
2023年12月24日 13時04分

第288話「クレンペラーとの確執/録音未了に終わったヒンデミットのホルン協奏曲」
 生誕100周年だった2021年以降、これといった話題も無く月日が流れました。この夏ワーナーがオットー・クレンペラーのリマスター・エディション(全95枚!)で録音未了に終わったヒンデミットのホルン協奏曲(第1楽章の一部、テイク3)を発売したことを、今頃察知しました。
     
録音日付 作曲者曲名第1ホルン奏者
1954/10/5,6
1954/11/24
モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」ハ長調 デニス・ブレイン
1954/10/7 ヒンデミット ホルン協奏曲 録音未了
1954/10/7,8 ヒンデミット 「高貴なる幻影」組曲 エドモンド・チャップマン
1954/10/8,9 モーツァルト 交響曲第29番イ長調 エドモンド・チャップマン
1954/10/9 ブラームス ハイドンの主題による変奏曲 エドモンド・チャップマン

 ペティット著、山田淳さん訳の伝記では、午前中の協奏曲の録音現場から逐電したブレインが、レッグの説得で午後からのセッションに何事も無かったように来た、とありましたが、米国のロバート・マーシャル博士は、ディスコグラフィー「レコードのデニス・ブレイン」でブッキングシートの調査により第1ホルンはエドモンド・チャップマンとしています。

 クレンペラーの遅いテンポにブレインがついて行けず、曲と自分自身の価値を奪われると感じ、せっかくの機会を反故にした曰く因縁の録音が遂に陽の目をみたことになります。
2023年12月03日 19時46分

第287話「ケルトの遺産/吹奏楽のためのオドンネル兄弟の音楽」
 漸く陽の目をみました。メーカーのMPRSからは「デニス・ブレインのライブラリーから」というタイトルの興味深いディスクも発売中。


2023年11月12日 15時43分

第286話「1952年トスカニーニ演奏会/ブラームス交響曲第1番」
 フィルハーモニアの楽団員の一人が、デニス・ブレインにどうしてこれまで試みたことの無い方法でフレーズを吹いたのかと尋ねました。ブレインは頭を振りつつ、「なんだかあの指揮者は、言葉やジェスチャーも一切無しに、僕のスコアへのアプローチを変えてしまったんだ」
     
指揮者 第1楽章第2楽章第3楽章第4楽章
カラヤン
1952/7/31
13'59" 9'16" 4'59" 17'21"
トスカニーニ
1952/9/29(L)
12'33" 8'43" 4'15" 17'50" *
カンテッリ
1953/5/11(L)
12'57" 8'29" 4'31" 16'16"
カンテッリ
1953/5/22
13'08" 8'50" 4'37" 16'42"
クレンペラー
1957/3/28
14'06" 9'25" 4'42" 16'00"
(L):ライブ録音
* 演奏 16'30" に長い拍手と歓声が続いたもの

 上記は4人の指揮者による演奏時間の比較ですが、いかに集中力のある演奏だったかがお分かり頂けると思います。
2023年7月9日 10時11分

第285話「レコード芸術1997年12月号読者投書箱/僕のブレイン没後四十年」
 ロンドンの地下鉄ノーザン線のハムステッド駅に妻と共に降り立った僕の胸は激しく高鳴った。僕はイギリスの誇る天才ホルン奏者デニス・ブレインの面影を追って、またしてもロンドンにやって来た。

 今年は彼の事故死からちょうど四十年であり、葬儀はハムステッド教会で行われたと伝記で読んでいたので、是非そこへ墓参りをしたいと考えていた。さらに、イギリスのコレクター向き雑誌ICRC創刊号の記事で、デニス・ブレインのハムステッドの自宅に記念標識が掲げられたとあり、詳しい住所を知った。

 旅に先だってその住所の未亡人宛に墓の所在確認の手紙を出したが、突然の見知らぬ日本人からの便りに返事が来る筈もなく、ただ宛て所知らずで手紙が戻らなかったことにますます意を強くした。

 ところがどうだろう。漸く辿り着いた教会の埋葬者名簿にデニス・ブレインの名前が無いではないか。さらに、教会を出た後、今度は近くにある筈の自宅を妻と手分けして必死で捜したが雑誌に出ていた番地がどうしても見つからない。界隈をうろついている間に幾度かパトカーの巡回に遭過し、次第に日も傾いてきて、僕も妻も諦めざるをえなくなってしまった。

 墓参りは叶わなかったが、サウスケンジントンにあるナショナル・サウンド・アーカイブでは貴重かつ幸福な時を過ごせた。ここでは予約によりBBCの歴史的放送録音が聴けるのだ。

 デニス・ブレインの伝記の付録に放送録音を含むディスコグラフィが付いており、これでBBCサウンド・アーカイブに保存されている放送録音が年月日と共に検索できる。これらを全てナショナル・サウンド・アーカイブに問い合わせてみると一曲を除いて取り寄せ可能というのだ。果たしてロンドン滞在最終日、僕と一期一会のBBC秘蔵のデニス・ブレインの放送録音は素晴らしく、リスニングルームでの数時間は、あっという間に過ぎていった。

(埼玉県浦和市 42歳)

ナショナル・サウンド・アーカイブで聴いた音楽

●リサイタル 1953.1.28録音
シューベルト/流れの上で
ヒンデミット/ホルンとピアノのためのソナタ 第1楽章
●オールドバラ音楽祭から 1956.6.21
B. ブリテン/《事件の核心》からファンファーレ、火、それで闇の中から、そして雨は振り続ける
●デニス・ブレイン管楽アンサンブル 1957.8.24 エディンバラ音楽祭から
ベートーヴェン/ピアノと管楽器のための五重奏曲
マリピエロ/ダイアローグ第4番
デュカス/ヴィラネル
マレ/ル・バスク
P. R. フリッカー/管楽五重奏曲
●Music to Remember D.ブレインの現代初演 1957.1.21 BBCミッドランド録音
ハイドン/ホルン協奏曲第1番
2023年6月3日 9時38分

第284話「レコード芸術1994年1月号読者投書箱/デニス・ブレイン行脚」

 音楽之友社の「レコード芸術」が2023年7月号をもって休刊するというニュースを目にしました。それこそレコード→テープ→CD→ダウンロードといった媒体の変化とともに、現在のようなインターネット環境の無い頃から、いつも貴重な情報源として愛読させて頂きました。

 中でも読者投書箱やレコード相談室はコアな愛好家の方々が寄せられる投書、例えば平成4年12月号北野雅之さんの「オケマンとしてのデニス・ブレイン」や平成5年10月号青田伸夫さんの「《四つの最後の歌》讃」などにはに大変啓発されたものです。

 私も幾度か投書を取り上げて頂いたものですから、ふたつここに再掲させて頂きます。レコード芸術の皆様、本当にありがとうございました。

 昨夏、勤続十五年の特別休暇を頂載し家内と念願のイギリス旅行に出掛けることが出来た。格安フリープラン旅行の表向きのテーマは、ロンドン・エジンバラ歴史散歩としたが、家内には内緒の裏テーマは、天才ホルン奏者デニス・ブレインを行脚することであった。以下、旅のメモをまとめてみた。

七月十六日(晴)
半日二階建バスでロンドン市内を観光後、午後からは地下鉄一日乗車券をフル活用し「ホール巡り」を行なう。
一、ロンドン・コリシアム
 公演中ののオーストラリアン・バレエの《コッペリア》の前売り券を買う。その際情報雑誌 What's on? に出ていたディスカウント広告記事を出し、割引きして貰うのに四苦八苦する。
二、ロイヤル・オペラ・ハウス
 古代ギリシャの白亜の神殿の様な威容と思いきや存外大きくないが、私の如き初心者には敷居が高い。
三、ロイヤル・フェスティバル・ホール
 眺めの良いテムズ河畔にあるコンクート制き出しの戦後派ホール。中に音楽関係書物を扱う売店がある。
四、 ロイヤル・アルバート・ホール
 折りしも、プロムスが行われており、四日後のBBC響の前売券最低ランクの四ポンド(安い!)で購入する。
 この辺りで家内の我慢も限界でプッツンしてしまったのでホール向かいのハイド・パーク内で夕食とし、その後、近くのハロッズでお買い物となる。
 音楽ショップHMVでのCD採りは急遽中止である。

七月十七日(晴)
 ヒースロー空港よリエジンバラヘ飛ぶ。機内で美味しいイングリッシュ・ブレックファーストを味わう。
 このスコットランドの古都は、真夏なのに秋の風情といった趣きで、ホリールード宮殿見学後、お土産にセーターを買っても全然不思議ではない。
 街角で熱々のフィッシュ&チップスを買い腹ごしらえし、 エジンバラ城見学をした後、昨日のホール巡りの続きでアッシャー・ホールヘの道を急ぐ。
 一九五七年八月三十一日このホールでのフィルハーモニアo公演でオール・チャイコフスキー・プログラムを終え、口ンドンの自宅に向け、愛用のトライアンフを駆った運命の夜!
 私は、ホールの車寄せの階段をフラフラと登り、中で感無量で立ちつくした。暫くすると、帰りの飛行機の時間が迫り、本当に後ろ髪をひかれる思いでホールを後にする。さようならアッシャー・ホール、本当にさようならデニス・ブレイン……。

七月十八日(曇のち晴)
 ロンドン塔見学後、メリルボーンの王立音楽院(RAM)に行く。ここでデ二スは父オーブリーに師事した。
 赤煉瓦と白壁のツートンカラーのドアを思わず開けてしまい、気難しそうな受付の人に入館の詩可を請うが、返事は冷たく「NO!」。なお未練がましくしていると、わざわざ近寄ってきて立派な入学案内をくれた!
 上気しながら戦前の雰囲気を残す町並みをウィグモア・ホールに向かう。
 ホールは丁度改装中だったが、ここでブリテンがデニスの才能の為に書いた《セレナード》が初演されたのだ。

七月二十日(晴のち嵐)
 大英縛物館へ行く。私が写真ばかり撮っているので、家内はお冠である。
 広い館内を足を棒にして回り、最後に写本室で大作曲家の自筆譜を見るうちに、何とブリテンの《セレナード》を発見し疲れが吹き飛んでしまう。(昨年英デッカでブレインの演奏がCD化された為、聴くこともできる。)
 夜(といっても、イギリスの夏はなかなか暮れない)、予て手配したアルバート・ホールのプロムスに行く。
 バルコニー席に陣取ると、アリーナと呼ばれる一階は、以前テレビで見た通り立見である。中にはビニールを敷いて横になっている者もいる。
 最初はシベリウスの一番。途中で雨が降ってきたらしく、屋根をたたく雨の音が喧しい。雷鳴がオーケストラと共演している。
 BBC委嘱作の初奏をはさみ、仕舞にこのホールで、フルトヴェングラー/POで初演されたR.シュトラウスの《四つの最後の歌》を聴く。
 帰り道、周囲のイギリス人は、少々の風雨には一切頓着せずワイワイと歩いている。
 私は秋風のそよぐような老シュトラウスの音楽を頭で鳴らしながら、当時のデニスに思いを馳せる。

(埼玉県浦和市 38歳)
2023年6月3日 8時33分

第283話「ブラームス/女声と2本のホルン、ハープのための四つの歌 作品17」

 先日「憧れのデニス・ブレイン」のYouTubeに私が2002年に制作したCD「蘇るデニス・ブレイン」の収録した数曲を公開しました。そのほとんどが後年、木下直人さんに再度トランスファーして頂いたもので、ほとんど加工を加えていません。

 また題名の曲は本来ドイツ語歌詞ですが、CDブックレットの最終稿の締切直前に英語歌唱であることがわかり、急遽週末に英国のスティーヴン・ギャンブルさんに英語歌詞の聞き取りをお願いし、翌週初めの締切に間に合わせたという冷や汗ものの思い出のある曲です。

歌詞対訳はこちらです
2023年5月14日 20時34分

 
第282話「オドンネル兄弟吹奏楽集(新録音)」

英国発。ブレイン時代のイギリス空軍中央音楽隊楽長 R.P.オドンネルとその兄弟による知られざる吹奏楽作品の録音が進行中。クラウドファンディングにより11月には製品化。楽しみです。

https://www.crowdfunder.co.uk/p/the-wind-band-music-of-the-odonnell-brothers
2022年8月6日 10時54分

第281話「デニス・ブレイン生誕100周年/眠れる森の美女 」
 フィルハーモニアを作った人々の一人、ジョージ・ウェルドン(1908-1963)が1956年3月から5月にかけて録音したバレエ「眠れる森の美女」の全曲盤。オリジナルは、Columbia 33SX1095/6、1958年に廉価盤(Classics for pleasure)CFPD 4458で再発され、1988年6月に同じ番号でCD化したもの。

 バレエ全曲はかなり長いので、普通はカラヤンの組曲で十分かもしれませんが、なんたってウェルドン盤はステレオ録音。第2幕冒頭の第10番 Entr'acte et Scéne の4本の狩のホルンはウェルドン盤でしか聞けません。

 でも一番のお勧めは、第17番 Panorama。リラの妖精とデジレ王子が小舟でオーロラ姫の眠るお城に向かう場面の最後あたりで8分音符ふたつ(G、C)。伸びやかで柔らかくて本当に素晴らしい。  
2021年6月13日 19時32分

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