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第140話「実験的ステレオ録音〜ヒストリカル・ノート」
 EMIが1958年に初めて発売したステレオLPレコードは、トーマス・ビーチャム指揮によるR.コルサコフの《シェエラザード》とどこかで読んでいたので、1988年発売のオットー・クレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団のベートーヴェン/交響曲第7番のCD(EMI CDM 7 69183 2)の表紙に「1955年ステレオ録音」、とあるのに驚きました。さらに1991年、クレンペラー・エディションとして出た同じ交響曲第5、第7番は(EMI CDM 7 63868 2)はモノラル録音。一体これは・・・。ステレオ・バージョンの解説書に詳しくありますので抜粋をご紹介します。
 

 1948年、アメリカのコロンビア・レコードがそれまでのSPレコードをほぼ一夜でお蔵入りにしたLPレコードを導入した際、EMIはまったく不意打ちを喰わされたようだった。ほかのメジャー・レーベルも立ち直ってLP市場でビジネスができるのに1年以上を要した。こんなことはニ度とあってはならない、と次なる大きな進歩と考えられていた2チャンネル、あるいはステレオ録音に向けた競争が始まった。

 EMI開発研究所は、アラン・ブルームレイン(1903-1942)の原理に基づいた種々の機器を設計・製作した。それらはミドルエセックス、ヘイズの工場で初期テストされたのち、アビー・ロード・スタジオに搬入、別のコントロール・ルームに設置され、そこでステレオ録音はメインのモノラル録音と同時に、しかし完全に独立して行われることとなった。セッションは、1954年5月に始まり、11月にはビジネスとして成功を得られそうなことがはっきりした。そのためこれら開発動向をすべて秘密にしておくことが極めて重要となった。それは録音の当事者たちも例外ではなかった。「立体録音はいつも別の部屋で行われなければいけない。また結果を聞くために立体録音室に入れるのは、本当に選ばれたアーチストだけ」(テクニカル・マネージャー、H.A.M.クラークのメモより)1955年5月、ステレオ・ソニック・テープの発売が新聞に発表され、続いて公開デモが行われた。ステレオ・レコードのカッティングの問題という純然たる解決策がまだ見つからないため、これら初期のステレオ録音は、テープでのみ発売された。この(ベートーヴェンの)第7交響曲の録音は、1950年代中頃の数年だけ発売された。

 最初期のステレオ録音のほとんどでバランス・エンジニアだったクリストファー・パーカーは、録音中、ウォルター・レッグの独裁的な眼窩(がんか)から離れて、自由な裁量を与えられた。パーカーの記憶によると休憩時にレッグは数分間プレイバックを聞いたにもかかわらず、彼はステレオ録音にあまり、というより全く興味を示さなかった。それでも若い同僚の手によるサウンドについて必要なすべての決定を下したのだった。その際パーカーが説明しなければならない主な問題のひとつが、実験機器の信頼性の無さだった。つまり技術的なトラブルがかなり頻繁にあり、メインのレッグによるモノラル録音の進行に関係が無い限りはそれらは無視された。そのため作品の完璧なステレオ録音が取れたかどうかは、まさに運次第ということになりがちだった。これが最初期のステレオ録音があまり発売されない原因となった。

 
トニー・ハリソン、1987年

2010年06月13日 22時12分27秒

第139話「ロンドン・フィルハーモニー交響楽団」
 ロンドン・フィルハーモニー交響楽団 (Philharmonic Symphony Orchestra of London) は、米Westminsterがロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を使ってシェルヘンやロジンスキーと1950年代に盛んに録音を行った際の匿名(pseudonym)です。

 1998年に正規録音がCD化された際、「年代的にデニス・ブレインが録音に参加しているかも・・・」と淡い期待をいだいてティル・オイレンシュピーゲルなどを聴きました。同じ頃のレコード芸術誌に決定的証拠「ホルン・パートの写真」が掲載されました。1番ホルンはブレインではなくシヴィルでした。

 フィルハーモニア管弦楽団には、この手の紛らわしさはありませんが、1952年10月のヘンリー・パーセルの歌劇「ディドとエネアス」ではマーメイド管弦楽団、1956年1月のヘンリー・クリップスとのスッペ、ワルトトイフェルの序曲集ではフィルハーモニア・プロムナード管弦楽団という「別名」で登場したことがあります。
2010年06月06日 21時34分54秒

第138話「ウィーン楽友協会管弦楽団」
 デニス・ブレインがクオニアムでソロを吹くバッハのミサ曲ロ短調。1952年11月、合唱部分をウィーンで録音後、管楽器によるオブリガート・ソロ部分はロンドンでフィルハーモニア管弦楽団が録音しました。

 わりと最近までフィルハーモニア管弦楽団の名前は伏せられていて、あたかもブレインをはじめとする首席奏者たちがウィーンのオーケストラをバックに演奏したかのように表記されていましたが、実のところは二つの楽団による録音のパッチワークだったという訳です。

 ウィーンでのオーケストラは「ウィーン楽友協会管弦楽団」で、実はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団という説(ウィーン・フィルが本拠地とするウィーン楽友協会、いわゆるウィーン・ムジークフェラインを名前に冠しているという理由から?)と、カラヤンが当時頻繁に演奏していたウィーン交響楽団という説があります。

 レコード会社も罪なものですが、ロ短調ミサ曲はカラヤンの得意の演目で、ウィーン響での演奏会ではWestminsterの名盤、ワルター・バリリとのブラームスのホルン・トリオで知られるフランツ・コッホ (1888-1969)が登場していました。
2010年06月03日 20時18分28秒

第137話「オルガンを弾くデニス・ブレイン」
 1991年に東芝EMIから出たレーザー・ディスク(あるいはブレインの没後50周年にハンス・ピッカ教授が出したDVD)に英国空軍の軍服を着たデニス・ブレインが楽しそうにオルガンを弾く様子を描いた絵が入っています。同じく空軍軍楽隊にいて戦後ロンドン交響楽団に入団したジョン・バーデン(b1921)の妻イレーヌが描いた水彩画ではないかと言われています。
2010年05月31日 21時27分15秒

第136話「三つ目のコシ」
 スイスのCDレーベル、Guildmusic が1951年7月5日に行われたグラインドボーン音楽祭「コシ・ファン・トゥッテ」のライブ録音をCD化しました。指揮者のフリッツ・ブッシュとグラインドボーン祝祭管弦楽団(実体はロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団)は、その前年の1950年、同じオペラの抜粋をHMVに録音しており、その何れにもデニス・ブレインが参加しています(もう一つは、ヘルベルト・フォン・カラヤンとフィルハーモニア管弦楽団による全曲録音)。

 今回の音源は、英国の愛好家がBBC放送を78回転でアセテート盤に録音したものと、ドイツのコレクター所有の録音テープ。欠損している序曲は1935年のHMV録音から、第1幕の Un' aura amorosa の後半部分など全体で序曲を除く10分余りが1935年録音や同じブッシュによる1940年ストックホルム王立歌劇場でのライブ録音で補われている、とは言うものの新発見の全曲録音に違いはなく、1950年録音が出演歌手の専属契約の問題から、全曲ではなく抜粋となった経緯からも大変貴重なものです。

 注目のホルンのオブリガート付きアリア、第2幕の Per Pieta, ben mio については、主役のユリナッチ、ブレインとも好調で「乗り」が1950年のレコード録音を超えていると感じます。実際観客の拍手喝采がオーケストラの演奏終了を待たずに沸き起こりました。

 グラインドボーン・オペラの「コシ」は、1951年7月23日、今度はBBCテレビで中継されましたが、こうなってくるとブレインが参加した4番目の「コシ」としてDVDで陽の目を見る可能性もなくはないと思えてきました。
2010年03月07日 20時59分40秒

第135話「個人音源」
 スティーヴン・ペティットの伝記第2版(1989年)以降に発掘された音源をこちらに付け加えました。

 1952年秋のトスカニーニ・コンサートは、ウォルター・レッグが所有していた EMI の録音テープによることは既に知られていますが、ともかく個人所有の音源の場合は、経緯がさまざまです。

 昨年 Testment が出した1947年10月「リヒャルト・シュトラウス最後の演奏会」は、英国の鉄道技師で音楽愛好家のケネス・リーチ氏 (1892-1995) が、自宅でBBCのラジオ放送を4、5分毎に78回転のアセテート・ディスクを交換しながら録音したもの。

 2005年に Pearl が出した1954年6月コベント・ガーデン歌劇場、ワーグナーの楽劇「ジークフリート」の抜粋は、同じくラジオ放送のエアーチェックで誰とは判りませんが、ジョーン・サザーランド(b1927)の登場場面を33回転のLP盤に録音したものだそうです。
2010年01月11日 18時23分20秒

第134話「1953年5月4日、ベルリン、ティタニア・パラスト」
 ドイツ放送のアーカイビスト宛てに25年間疑問に思っていますと大袈裟な質問をしたところ、「余りたくさんの情報はありません」としながら親切な返信がありました。
録音日付:1953年5月4日
場所:ティタニア・パラスト、ベルリン

第1楽章 アレグロ 6:35
第2楽章 ロマンツェ、ラルゲット 4:10
第3楽章 アレグロ 3:35

RIAS交響楽団
ホルン: デニス・ブレイン
指揮者:パウル・ファン・ケンペン
 疑問が解決したこと、演奏記録がなお保管されていること嬉しく思います。

2009年12月15日 22時44分03秒

第133話「オーブリー・ブレインの知られざる同曲異演奏盤」
 オーブリー・ブレイン、アドルフ・ブッシュ、ルドルフ・ゼルキンのブラームス/ホルン三重奏曲といえば、歴史的名録音として評価が確定したものです。ヒストリカルの雄、英Testamentの復刻第1号もこれでした。いまさらその異演奏盤があるなんて信じられます?ともかく発売元の英APRのコメントをご覧下さい。

 伝説のホルン奏者、オーブリー・ブレインの知られざるSPレコード7面分が発見された。SPレコードは片面4分という時間制限があったため、戦前のアーチストによる長時間の録音は珍しく本当に貴重である。それはブラームスのホルン三重奏曲の未発売録音で、一風変わった由来を持つ。曲は1933年5月に録音され発売の承認も得た。しかしながら、工場でマスタリング作業の最中に、第5面に「ひび」が入ってしまい使用できなくなった。残念ながら第5面のテイクは1度だけだったため、レコードは廃棄処分となった。曲は同年11月に再録音され、発売されたが、その際、ゼルキンは前回のベヒシュタインに替えてスタインウェイを弾いていたし、ブレインはブラームスが作曲したのと同じ1865年に製造されたラウー・ラバイエ・ホルンを自分の車をバックさせたときに誤って壊してしまったため、まったく違う楽器を演奏していた。幸いにも、ブッシュがダメージを受けた第5面以外の全てのテスト盤を一組持っていた。その最初のオリジナル録音を初めて発表する(欠落した第5面は再録音で代替)。ここに2つのバージョンの音質を比較する機会を与えることが出来た。

http://www.aprrecordings.co.uk/apr2/showentry.php?id=122
2009年12月03日 21時55分37秒

第132話「知られざる放送録音(4)」
 シューベルトの「流れの上で」の二つ目の「ふし」がベートーヴェンの第3交響曲の第2楽章葬送行進曲から取られていることを最近知りました。ベートーヴェンの一周忌にあたる1828年3月26日、ウィーン楽友協会ホールで行われたシューベルトの生涯唯一の作曲リサイタルで初演されたことも…。

当時のプログラム
1. 弦楽四重奏曲第15番 ト長調 作品161 D887より第1楽章
2. 歌曲
 「十字軍」D932
 「星」D939
 「漁師の歌」D881
 「アイスキュロスからの断片」D450
3. 女声合唱曲「セレナード」D920
4. ピアノ三重奏曲第2番 変ホ長調 作品100 D929
5. 歌曲「流れの上で」D943
  ルートヴィッヒ・ティーツェ(T)、ヨーゼフ・ルドルフ・レーヴィ(Hr)、フランツ・シューベルト(Pf)
6. 歌曲「全能の神 」D852
7. 男声二重合唱「戦闘の歌」D912

 1954年4月6日、ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールでこのリサイタルが再現され、「流れの上で」をデニス・ブレインとリチャード・ルイス(T)、アーネスト・ラッシュ(Pf)が演奏。BBCがライブ録音をBBC Transcription Serviceで配信したものを1970年代に米ペレニアルが公然とLPにしました(PERENNIAL 2007)。

 シューベルトの八重奏曲の録音を残さなかったブレインは、その代わりにこの曲でアーチを描くような旋律、上品なトリル、とても音楽的なターン、とどこを取っても超一級の名演奏を聞かせてくれます。

 BBCは1998年から自前のアーカイブを元に壮大な BBC LEGENDS を制作してきましたが、1953年1月28日のラジオ・リサイタルでのピーター・ピアーズとノエル・ミュートン=ウッドとの演奏のみCD化して(BBCL4066-2)、音質が良いこのBBC TS盤を未だに登場させていません。
2009年11月29日 12時03分59秒

第131話「知られざる放送録音(3)」
 1984年3月のLP発売以来、いまだに釈然としないのが1953年5月4日、ブレインがベルリン放送交響楽団とモーツァルトの第3番を吹いたときの指揮者。

 ペティットのブレイン伝はパウル・ファン・ケンペン、LPの原盤を制作した伊ロンガネシ・ペリオディチはルドルフ・ケンペと記録していて、日本盤(RVC RCL-3319)の解説を書いた故三浦淳史さんは、1953年にブレーメンの主席指揮者に任命されたケンペンのバイオにRIAS響をふった記録がない、というのをその根拠にしていらっしゃいますが、そのバイオとやらの出典も明記されていません。

 ブレインはこの3日後にバーデン・バーデンの南西ドイツ放送(SWR)でもスタジオ録音らしき放送録音を残しています。第1楽章のカデンツは、同年11月のカラヤン/フィルハーモニア管弦楽団とのレコード録音で吹いたものと似ていますが、このベルリン自由放送(RIAS)は観客の咳が聞こえる演奏会の実況録音で、カデンツは父オーブリーが吹いたマリオン・ブレイン作風。第3楽章の終わりでは楽譜どおりのEsのオクターブではなく、華やかなアルペジオを吹いて聞く者を驚かせます。
 高校の先輩から尾埜善司先生の著書「指揮者ケンペ」のディスコグラフィーに上記イタリア盤が載っていると知らせあり。結局のところベルリン放送のアーカイビストに問い合わせてみるしかないだろうということになりました…
2009年11月20日 07時07分13秒

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