第130話「山田淳さんのこと」 |
山田淳さんと知り合ったのは、このホームページが MOSTLY CLASSIC の連載記事「インターネット大世界」で取り上げられた1999年末のこと。山田さんは、既にその前年11月にペティットのブレイン伝の邦訳出版を実現されていて、わが国のブレイン研究の押しも押されぬ第一人者でしたが、前述の記事をお読みになって、一早くお祝いメッセージを下さったのです。2001年3月に始まったCD「蘇るデニス・ブレイン」の自主制作の際も、ご自分の経験を踏まえたアドバイスや、ブックレットへの寄稿、販路の紹介まで何かと面倒を見て頂いて本当にお世話になりました。ウラジオストクの総領事という要職に就かれた今でも、ブレインの節目々目で必ずお便りを下さいます。現地のオーケストラ「太平洋交響楽団」(山田さん曰く、「セロ弾きのゴーシュに出てくる『金星楽団』を思わせます!」)の常任指揮者とも早速懇意にされるなど、音楽生活も充実されているようです。そこで最新の私信の一部と写真をご紹介します。
当地はほんの2週間前まで綺麗な紅葉が見られたのですが、先週の土曜日になり突然初雪(いきなり30cm積もりました!)となり、気温も一気にマイナス13度まで急降下する等、いかにもロシア的な一足飛びの変化に戸惑っています。(思えば昔モスクワにおりました頃も同様だったのですが、何分「常夏」タイで丸4年も暮らして身体がすっかり耐寒性を失っております。)
(中略)
ウラジオストクは適度に「田舎」なものですから、小生調子に乗って時々地元の演奏会等でホルンを引っ張り出し「出演」致す場面があり、少し自重しませんと露日関係を根底から損なうことにもなりかねません!幸い写真だと音が聞こえないものですから、何枚か恥ずかしい光景を添付させて頂きます。(当地は基本的に世紀末フランスの亜流の「ロシア風」奏法←ヴィブラート全開の、正直申し上げてあまり趣味の良くないもの〜がまかり通っており、小生のようなF-シングルは殊更に「気違い沙汰」と思われます。しかし、何と言われようとも、クラリネットとホルンはあくまでヴィブラートなしで、固有の音色の美しさのみで勝負すべきである、というのが小生の信念であります。デニス自身も、楽器がラウーであること以外は徹底して非「フランス流」だったわけですし。)
(写真:ブラームスのトリオを演奏する山田淳さん)
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2009年11月08日 12時54分49秒
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第129話「知られざる放送録音(2)」 |
スウェーデン放送アーカイブのお宝、1956年10月7日、ストックホルム音楽アカデミーでのステン・フリクベリ指揮スウェーデン放送交響楽団とデニス・ブレインのモーツァルトの第2番がこの2月から高音質のウェブラジオで公開されました。
演奏は以前BISが5枚組LP「スウェーデン放送交響楽団50年(1936-1986)」(BIS LP-331/333)に収めていましたが、ウェブラジオはレコードには無い演奏後の熱狂的な拍手と楽員達による足踏みを延々と再生し、当時の会場の興奮ぶりを伝えています。http://www.sr.se/p2/p2arkiv/(現在公開停止中) |
2009年11月03日 19時04分00秒
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第128話「知られざる放送録音(1)」 |
ペティットによるディスコグラフィーのうち、シュミット=イッセルシュテット指揮北ドイツ放送響とのモーツァルトの第3番(1954年5月7日)は、実は第2番の誤りです。2006年、フランスのTahraが「モーツァルト稀少録音集」と題した4枚組の中の1曲としてCD化(TAH59598)しました。 解説書によると録音は大戦中、ベルリンでフルトヴェングラーの演奏会を収録したドイツ帝国放送局(当時)の録音技師、フリードリッヒ・シュナップ(1900-1983)によるものだそうで、一瞬ステレオと見紛う高音質です。 |
2009年11月03日 12時29分51秒
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第127話「母マリオンのレコード(5)」 |
マリオンの「ユグノー教徒」について書かれたブログ記事を見つけました。残念なことに、マリオンにとって名誉なものではありませんでした…
COLUMBIA 694 マイアーベア/歌劇「ユグノー教徒」から Friends One & All マリオン・ビーリー、管弦楽伴奏
幼稚に聞こえる。必要な技術が欠如している。
うーん、息子のデニスのレコードに「はずれ」は無いんですけどね!
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2009年10月22日 21時20分58秒
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第126話「母マリオンのレコード(4)」 |
グラモフォン1920年10月号に掲載された記事「レコードと歌手〜現代英国歌曲(2)」から
ラブ・イズ・メント・トゥー・メイク・アス・グラッド 全編エドワード・ジャーマンの世界。生き生きとして心地よい。マリオン・ビーリーが曲に豊かな音色と生気を注ぐ。
ハーマン・クレイン
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2009年10月18日 17時15分58秒
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第125話「母マリオンのレコード(3)」 |
英国のブレイン研究家、スティーヴン・ギャンブル博士にレコードの発見を報告したところ、当該レコードは父オーブリーの相続人、オードリー(兄レナードの未亡人)が所有するマリオン・ビーリーの5、6枚のレコードにも無いことが判明しました。
これは是非聞きたい、こちらも是非送りたいとなりましたが、如何せん我が家にはアナログ・レコードをCDに「録音」する機器がありません。そこでギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団のわが国いや世界一の研究家、木下直人さんに厚かましく作業をお願いしたところ、二つ返事で快諾を得ました。
(木下さんより) 現在はモノLPとSPの復刻は、Pierre Clement を使用しています。 明日にも部屋を掃除してから録音してみます。 緊張しますがこの緊張感は堪らなく快感ですよ。
100年ほど前に、英国で製造されオーストラリアに渡ったレコードは、木下さんの厚志により日本を経て、故郷に戻っていくことになりました。
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2009年10月10日 10時27分29秒
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第124話「母マリオンのレコード(2)」 |
オーストラリアからマリオン・ビーリーの10インチSPレコードがやってきました。
COLUMBIA 2640
(85938) My ain folk (Laura G. Lemon) (85939) Love is meant to make us glad (Edward German)
Miss Marion Beeley, Contralto With Piano
マリオンは1913年、ビーチャム歌劇団の地方巡業で、その年の秋に入団した首席ホルンのオーブリー・ブレインと知り合い結婚。レコードはそれ以前のものと思われます。ローラ・レモンの「マイ・アイン・フォーク 」は、現在では金管バンド用に編曲されて演奏されるようです。 |
2009年10月03日 13時18分18秒
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第123話「ブレイン先生」 |
どなたかイヴォンヌ・ブレイン(デニス・ブレインの奥さん)の住所をご存知ありませんか。彼女は私が小学生のときのピアノの先生で、大好きな先生でした。私は、いま小学校でピアノを教えています。私のやる気を起こしてくれたことへの感謝と、ベートーベンのソナタの楽譜を頂いて、今もまだ持っていることを伝えるために、お手紙を差し上げたいのです。
管理者応答:すぐメールでお知らせします。 Guestbook より |
2009年09月26日 21時35分20秒
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第122話「オケ・マンとしてのアイファー・ジェームス」 |
ICRC1995年秋号のジョン・スネイシャルの記事「ニクサ・パイ物語」に面白いエピソードを見つけました。「1959年9月、ジョン・バルビローリとハレ管弦楽団とニールセンの交響曲第2番「不滅」を録音した際のこと。1番ホルンのパート譜のミスプリントを訂正しました。ホルン奏者が何回吹いてもこの音はおかしいと言ってきたのです。」このホルン奏者こそアイファー・ジェームス(1930.8.30-2004.12.23)ではないかと思っています。 |
2009年09月23日 21時48分01秒
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第121話「母マリオンのレコード(1)」 |
デニス・ブレインの母親マリオン・ブレイン(旧姓ビーリー)は、コヴェント・ガーデン歌劇場でも活躍した歌手で、ワーグナーの楽劇にしばしば出演していたことから、力強くドラマチックな声の持ち主だったと想像できます。デニス・ブレインは、ホルンを父オーブリーに学びましたが、彼の雄大な低音は母親譲りだったのかも。ブレインの伝記にマリオンが「HMVのレコード録音にも何度か参加していた」とありますが、詳しいことは杳(よう)として分かりません。またレコードへの情熱が沸いてきました。
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2009年09月19日 11時39分06秒
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