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第120話「1950年RPO米国公演〜もう一つシカゴにて」
 我々は演奏会の後、イタリアン・レストランに行きました。そして、ブレインは本当にスパゲッティを頼み、演奏会や音楽全般のことについて話ました。私は数週間後、アメリカで2番目にブリテンのセレナードを演奏する予定でしたので、作品の成立に関わったブレインに何かアドバイスはないか尋ねました。ブレインは、とても喜んで話してくれましたが、彼の本当の関心は、窓の外に見えるアメリカ車であり、それらが何馬力かとか、どれくらい大きいのかを言いたげでした。
シカゴ響ホルン奏者談(?)
2009年06月28日 14時11分28秒

第119話「1950年RPO米国公演〜シカゴにて」
 昨夜(1950年11月26日)シカゴでデニス・ブレインは、モーツァルトのホルン協奏曲第2番を吹きました。彼のホルンは、古いフランスのラウーであちこちに凹みとはんだ付けの痕がありました。でもその音色は、たとえ本人でも他の楽器では出せないものでした。私たちは、演奏会の後、シカゴ響の有名なホルン奏者、フィリップ・ファーカスの家に招待されました。こんな集まりではお決まりで、話題は楽器のことに向かいました。

 「もちろん」ファーカスが言いました。「君は、フランス製のピストン式ホルンだけど僕らは違う。アメリカじゃあまずドイツ製のロータリー式だね。変えるのは難しいと思うんだろうけど」当時ブレインはちっとも困っていないようだったので、私はそれはありえないと思っていました。ところが、彼はあっさりと笑って頷(うなず)いたのです。

 夕食後、我々はファーカスの自宅の仕事場に連れて行かれました。棚には20数本もの光輝く、見たことのない楽器が並んでおり、いずれもファーカスが検査中や彼のアドバイスで試作中のものでした。そばには当時まだあまりなじみのない、小さな緑色のメーターに音を表示し、見るだけで音が合っているかどうか判るチューニング装置「ストロボスコープ」も。それが静止していたら合っているし、波形が乱れていれば、合っていないということらしい。

 デニス・ブレインは、順番に楽器を取り上げて試してみることに。笑いながら上下に音階を吹いてみたところ、ストロボスコープは全ての音で静止しました。「くそっ!」とファーカス。「まだ未完成品なのに。そんなものである筈がない!」いかにもそうでしたが、ブレインは、楽器がフランス製でも、ドイツ製でも、たとえ中国製であっても鳴った100分の1秒後にピンポイントの精度で常に音程を修正することができたのです。事実ブレインはその後、この棚には適当ものがないと言いました。

 興味深いことに、約3ヵ月後、彼はドイツ製ロータリー式ホルンに変わりました。私は、古いラウーの音色が好きでしたので残念でした。でも本当にオンボロだったのです。

ジャック・ブライマー著 From Where I Sit, 1979 より
2009年06月27日 17時06分53秒

第118話「1950年RPO米国公演〜ボストンにて」
 トーマス・ビーチャムとロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(RPO)がボストンに来たときのことです。私はボストン・シンフォニー・ホールの舞台裏にリハーサル前のデニスを訪ねました。時間になると、デニスはリハーサルを聞いていくよう言いました。客席に入ったところ、ほかに誰もいないため、かなり目立つ感じ。ビーチャムが私の方を振り向いて、じっと見つめているのに気がつきました。すぐにボストン響のスタッフがやってきて、私はつまみ出されてしまいました! エド・グリック(Yahooホルン・メーリング・リストより)
2009年06月19日 22時29分17秒

第117話「宮田四郎さんのお話(3)〜N響時代最後の演奏会」
 宮田さんの5年間のN響時代最後の演奏会は、ホルスト・シュタインの指揮でブラームスの第2交響曲の3番ホルンでした。第1楽章冒頭で1、2番に続いて出る3、4番で3番のGからHに上がるところで、生憎Hの音が出ませんでした。終演後、失敗を悔いているところに千葉さんがやって来ました。「良い音色だったね」と声をかけてくれたのです。
2009年06月17日 22時48分22秒

第116話「宮田四郎さんのお話(2)〜冨田勲/ジャングル大帝」
 1974年から東京交響楽団の首席奏者として活躍された宮田さん。全くのあてずっぽうで遠鳴りのホルン・ソロが印象的なNHKテレビジョン「新日本紀行」のテーマ曲を吹かれましたか?とお訊ねしました。宮田さん曰く「あれは僕じゃない。(同じ冨田勲の)ジャングル大帝はN響に入る前に吹いたけどね」「!」
2009年06月16日 21時58分06秒

第115話「宮田四郎さんのお話(1)〜千葉さんのモーツァルト/ホルン協奏曲全集」
 千葉馨さんが日本人として初めての、そして今もなお唯一のモーツァルトのホルン協奏曲全集。宮田さんは1969年12月14日に行われた第2番と第4番の録音で伴奏ホルンの1番を吹かれました。2番は薗 清隆(その きよたか)さん。千葉さんのレコードは大阪万国博で盛り上がった1970年初冬にはもうカタログに載っていました。
2009年06月15日 22時23分22秒

第114話「元N響、宮田四郎さん」
 今日NHK交響楽団で千葉馨さんの同僚だった宮田四郎さんのチャペルコンサート(西神戸教会)に行ってきました。

 宮田さんは、16才でホルンを始められ、東京芸術大学で学ばれた後、1968年、NHK交響楽団に入団。5年後ドイツに留学。帰国後は、東京交響楽団で11年にわたり活躍されたり、いくつもの音楽大学でホルンを教えられました。現在は全国各地の教会でホルンを演奏されています。

 プログラムには原曲はコロラチューラ・ソプラノで、パリ警視庁音楽隊のコルネットソロの名演で有名な「アレルヤ」が。現在でも毎日3時間練習されているとかで、年に一度の演奏会前にしか練習しない私は本当に頭の下がる思いでした。

 面白いお話もお伺いしましたので、改めて書きたいと思います。

プログラム

モーツァルト/ホルン五重奏曲第2、第3楽章
フォスター/夢見る人、ナポリ民謡/わが太陽
サンサーンス/ロマンス
ゴスペルソング/我が魂よ、主をほめよ
日本民謡メドレー お江戸日本橋、さくら、あんたがたどこさ
モーツァルト/アレルヤ
ベルトゥロー/フランス民謡「フレール・ジャック」変奏曲

(アンコール)

アメイジング・グレイス

ピアノ:竹村久美子さん
2009年06月14日 20時40分20秒

第113話「ミュージック・プリザーブド」
 TestamentやSommなど英国のレーベルが最近ライブ演奏録音のCD化に力を入れています。その音源を提供しているのが、1989年、ジョン・トランスキーがバービカン音楽図書館内に開設したミュージック・パフォーマンス・リサーチ・センター(現在Music Preserved)。過去のライブ演奏の収集と公開、演奏家の著作権保護を目的とする団体です。そのオンライン・カタログから飛び出して欲しい音源をピックアップしました。

●フィルハーモニア管弦楽団

ドビュッシー/海、組曲「聖セバスチャンの殉教」
シューマン/交響曲第4番ニ長調

グイド・カンテッリ
1954年9月9日
アッシャー・ホール(エディンバラ)

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ラヴェル/スペイン狂詩曲

ヘルベルト・フォン・カラヤン
1955年10月18日
ロイヤル・フェスティバル・ホール

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ストラヴィンスキー/春の祭典

イーゴリ・マルケヴィッチ
1951年
BBCスタジオ、メイダ・ヴェイル

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ストラヴィンスキー/組曲「火の鳥」

イザイ・ドブロウエン
1951年7月11日
ロイヤル・フェスティバル・ホール

●ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲

ニコライ・マルコ
1950年
ロイヤル・アルバート・ホール

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モーツァルト/ドン・ジョヴァンニ第2幕

フリッツ・ブッシュ
マリオ・ペトリ、ヒルデ・ザデック、ドロシー・マクニール、レオポルド・シモノー、ジェレイン・エヴァンス、スザンヌ・ダンコ
1951年6月30日
グラインドボーン歌劇場

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シベリウス/交響曲第1番ホ短調作品39

トーマス・ビーチャム
1952年8月17日
アッシャー・ホール

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ストラヴィンスキー/組曲「ペトリューシカ」(1947年版)

イーゴリ・ストラヴィンスキー
1954年5月27日
ロイヤル・フェスティバル・ホール

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ラヴェル/ダフニスとクロエ第2組曲

ニコライ・マルコ
1950年
ロイヤル・アルバート・ホール

 ブレイン時代のフィルハーモニアとRPOによるストラヴィンスキーの三大バレエなんてワクワクしませんか?
2009年02月07日 10時38分53秒

第112話「ケネス・リーチ・コレクション」
 数年前から大英博物館附属、ナショナル・サウンド・アーカイブ(NSA)に K H Leech によるBBC放送のエアチェック録音によるアセテート盤の膨大なコレクションが寄贈されたことが知られるようになりました。キーワード検索で3,100個を数えるコレクションの中にオーブリー・ブレインまたはデニス・ブレインをソリストとしたエセル・スマイスのヴァイオリンとホルンのための二重協奏曲が含まれていたものですから、直ぐに熱心家たちの熱い眼差しが注がれるようになりました。

 カタログは内容が不完全で、演奏者や楽曲名すら特定できない場合が多いものの、カール・ランクル指揮フィルハーモニア管弦楽団とソプラノのセナ・ユリナッチ独唱によるリヒャルト・シュトラウスの四つの最後の歌(1952年7月12日)、ドホナーニのピアノ、クラリネット、ホルンと弦楽のための六重奏曲(1949年12月30日)がデニス・ブレインの演奏による録音の新たな発見となったのです。

 このほか家庭交響曲など1947年10月のリヒャルト・シュトラウス音楽祭の実況放送があるらしいことを、伝記作者のペティットが指摘して半信半疑の思いでしたが、ついにそれが作曲者没後60年の今年、Testamentから世に出されました(SBT2 1441 Richard Strauss The Last Concerts)。

 Leech氏のアセテート盤は損傷がひどい上に、音楽が細切れで、あくまで歴史ドキュメントとして聞くべきものですが、若くて絶頂期にあるデニス・ブレインを捉えた貴重な録音に違いはありません。
2009年01月31日 12時13分29秒

第111話「私のブレイン没後50周年」
East Midlands Horn Festival 2007 The Horn Player 2006年12月号のイベント予告ページの「人生に一度のチャンス」なる見出しが目を引きました。

 来る2007年3月25日、東ミッドランド・ホルン・フェスティバルでマイケル・トンプソンの独奏によるピーター・マックスウェル・デイヴィスの新作 "The Salute to Dennis Brain" が世界初演される。ブレインの没後50周年を記念するこの作品への支払は、公募50名一人50ポンドの寄付によって賄われ、作曲者のサイン入り楽譜に予約者全員の氏名が印刷されて贈呈される。既に半数以上の予約が集まっているが、すぐに電話かメールを、という内容。すぐさま連絡を取りました。

 結局予約購読者にはなれませんでしたが、翌年春先に音楽祭の主催者から楽譜が送られてきて、それを命日の9月1日に仲間を集めて50名収容のスタジオで演奏するという思いがけない展開となりました。
2008年11月3日18時36分28秒

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