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第150話「英国空軍(RAF)儀式のための音楽」
 デニス・ブレインが在籍していた頃の R.P.オドンネル指揮、英国空軍中央音楽隊による非常に珍しい録音が英ビューラーから発売(今のところダウンロードのみ)となりました。これまでは第2次世界大戦中に英デッカが録音したナショナル交響楽団のレコードを復刻したものが、ブレインのオーケストラ録音として「最古」のものでしたが、演奏家としての最初のキャリアである軍楽隊のレコードは初めてです。早くこの耳で全容を確かめてみたいものです。
Beulahのコメント
 1941年冬、英国空軍省は軍職員録音による特製のレコードを発売した。録音は「連合戦隊の国歌とトランペット・コールを含む儀式」「晩餐会のための音楽」「日曜の夜会」の三部構成。オリジナル以来、初出。

2010年11月03日 13時25分36秒

第149話「特注の2本入りケース」
 坂本直樹さんから「totoro's roomで見ました」と某オークションにデニス・ブレインのホルン・ケースが出ていると一報頂きました。

 これはまさしくデニス・ブレインが1950年、サー・トーマス・ビーチャムとロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の米国演奏旅行にあたってラウーとアレキサンダーの両方を持って行くことにし、ペティット著、山田さん訳の伝記によれば「尖った角が狭いバスの通路で他の団員の足にぶつかるため、演奏旅行中はさんざんに悪評を被った」あの2本入りケースではありませんか!

 ケースには、その後も使用していたと想像される手書きの「デニス・ブレイン フィルハーモニア管弦楽団 ロンドン」のほかBOAC(英国航空の前身)の荷札が付いています。



 坂本さん、お知らせ本当にありがとうございました。

《ケースの詳細》
高さ   :48.5cm
幅    :35.5cm
底の長さ:88cm
重さ   :12kg
製作   :パックスマン兄弟社
2010年10月31日 20時17分12秒

第148話「父オーブリーのブラームス・トリオ旧録音」
 息子デニスの協奏曲録音にSPとLPの新旧録音があるように、父オーブリーのブラームスにも旧吹込と電気吹込と両方の録音があります。

 旧吹込によるナショナル・グラモフォン・ソサエティ(NGS)盤は、英グラモフォン誌が1923年から1931年までの短い間、主に室内楽のレコードを制作・頒布していたもので、ペティットの伝記では「録音バランスが劣悪なため、しばしばホルン・パートが聞き取れない」とありますが、録音年代相応と考えます。

 最近英 Pristine Classical がNGS盤を体系的に復刻しました→ここ
 「旧吹込」とは大きなラッパ(ホーン)で音を収集し、それと対になったサウンドボックス内の針がワックス盤に振幅を刻んでいく録音方式、「電気吹込」とは現代と同じマイクロフォンやアンプ、電磁式カッターヘッドによる録音方式。
2010年10月09日 16時21分46秒

第147話「第九事始(フィルハーモニー協会と英国初演)」
 ベートーヴェンの第九交響曲は、1824年5月7日、ウィーンのケルントナートール宮廷劇場で初演されましたが、曲は元々ロンドンのフィルハーモニー協会が委嘱したもの。

 その英国初演は、1825年3月21日、ニュー・アーガイル・ルームズでジョージ・スマート卿(1776-1867)の指揮するロンドン・フィルハーモニー協会。当夜のプログラムは、第1部がハイドン、モーツァルト、ヘンデルに続き、ライヒャの管楽五重奏曲、モーツァルトの歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」のアリア「あなた、許して」、ケルビーニの歌劇「二日間」序曲、第2部が第九交響曲。ホルン・セクションはヘンリー・プラット、チャールズ・タリー、ジョゼフとピーターのピトリーディズ兄弟。イタリア語歌唱だったようです。
アーサー・サール
ベートーヴェンの「合唱」交響曲:フィルハーモニー協会とジョージ・スマート卿
2010年、電子大英博物館ジャーナル

ロイヤル・フィルハーモニー協会公式ホームページ

 因みにフィルハーモニー協会の4番ホルンに1894年、デニス・ブレインの祖父A.E.ブレインが入団。
2010年09月23日 22時17分28秒

第146話「第九事始(板東俘虜収容所での日本初演)」
 ベートーヴェンの第九交響曲は、1918(大正7)年6月1日、徳島県にあった板東俘虜収容所でヘルマン・ハンゼン指揮徳島オーケストラにより日本初演されたことが知られています。収容所という閉ざされた世界のことなので、文献の研究の末のことと思いますが、かつて昭和50年代の書物では1919(大正8)年10月、徳島市新富座でパウル・エンゲル指揮エンゲル・オーケストラが日本で最初に演奏したとされていました。

 収容所のドイツ人たちは、1914年に勃発した第1次世界大戦に参戦した日本とドイツによる青島(チンタオ)要塞攻防戦で捕虜となったものですが、ハンゼン(1886-1927)が砲兵隊の軍楽隊長であったのに対し、エンゲル(1881-?)は上海パブリック・バンド(後の上海交響楽団)のヴァイオリン奏者ながら応召した人物です。

 明石からは淡路島を挟んで徳島はすぐそこですので板東の地を訪ねてみることにしました。
【参考文献】
林啓介著『板東俘虜収容所<第九交響曲のルーツ>』阿波文庫、昭和53年5月
榎本泰子著『上海オーケストラ物語〜西洋人音楽家たちの夢』春秋社、平成18年7月


 現在は「ドイツ村公園」となっている板東俘虜収容所跡。左側門柱に「第九日本初演の地」とあります。当時収容所には3つのオーケストラと複数の合唱団があって、自分達で楽器や楽譜を調達、女声パートを編曲して男声が歌うなど苦心があったそうです。




 演奏が行われた兵舎(バラッケ)は既にありませんが、当時の給水塔が残っていました。収容所跡の北側には鳴門市ドイツ館があって楽器や演奏会のプログラムを展示。南側には映画『バルトの楽園』のロケセットが移築保存されています。ほかの写真もあります。
2010年09月18日 22時11分21秒

第145話「第九事始(邦人初演と船橋栄吉)」
 ブレインとの関連はありませんが、1924(大正13)年11月29日、上野の東京音楽学校奏楽堂でのベートーヴェンの第九交響曲の邦人初演でバリトン独唱を務めたのが船橋栄吉(ふなはし えいきち 1889-1932) 。わたしが育った街、明石市の出身です。市の東部、大蔵谷宿の旅館の跡取りだったそうです(写真は現在の大蔵中町界隈)。故郷とわが国音楽史とのかかわりに気づかせてくれたのは2002年々末からの神戸新聞文化生活部(執筆当時)、山崎整(ただし)さんによる連載記事「牧場の朝」と船橋栄吉です。
2010年09月14日 23時10分43秒

第144話「恩人、木下直人さんの新譜」
 昨年発売されたギャルド・レピュブリケーヌ1961年日本公演の解説書で、さらなる音源の発表を力説されていた木下さん。門外不出の放送録音がこの世に出るのに50年近くを要した以上、その実現にはかなりの歳月が必要と思っていたところが一昨日、フローラン・シュミットの秘曲「ディオニソス」の初復刻を含むデュポン楽長時代のギャルド吹奏楽団の2枚組と1961年来日メンバーであるブーティーユらによるミヨー「ルネ王の暖炉」などギャルド木管5重奏団のディスクがグリーンドア音楽出版から出ますとの連絡を頂きました。

 復刻にはご持論である録音時期に合ったものが必要ということで、世界的にも稀少なフランスのPierre Clement製のカートリッジを使用して、音楽を殺すノイズ・キャンセレーションを一切かけない形での発売とか。

 平成13年9月、「蘇るデニス・ブレイン」のときは安価なプレーヤーでは盛大なノイズが出るブレインのレコードも、木下さんのお宅の装置で再生するとちっとも気にならなかったのが昨日の事のように思い出されます。期待のディスクです。
 木下さんについての記事はこちらもご覧下さい。
2010年09月11日 09時32分44秒

第143話「ピーターと狼」
 フィルハーモニア管弦楽団の「ピーターと狼」、ピーター・ユスティノフ(1921-2004)のナレーション、埋め草が「おもちゃの交響曲」とくればカラヤンのものと思いますよね。以前独エレクトローラから出たCDは、ロミー・シュナイダーのドイツ語ナレーションでちんぷんかんぷんだったので早速注文しました。落手したアルバム「子供のクラシック」(英Sanctuary Records CD RSN 3027)は最近のデジタル録音(指揮フィリップ・エリス)。あらら、これは外れと思いきやユスティノフのナレーションなかなか楽しかったです。
 因みにカラヤンの「ピーター」初演奏は、1949年1月ウィーン交響楽団とでナレーションは、ウィーン国立歌劇場の花、イルムガルト・ゼーフリート(1919-1988)。フィルハーモニア管弦楽団との唯一のレコードは、「ばらの騎士」収録の最終日に録音されました(それがデニス・ブレインが吹いている根拠かな)。国内盤のナレーションはJAL123便の事故で亡くなった坂本九さん(1941-1985)。

2010年07月22日 22時24分42秒

第142話「アルプホルンの吹き方」
 オズボーンの「ヘルベルト・フォン・カラヤン」第39章に、1954年のルツェルン音楽祭のおりにデニス・ブレインがカラヤンにアルプホルンの吹き方を伝授した、とあります。これは他の本にはないエピソードであります。
2010年06月20日 20時31分59秒

第141話「実験的ステレオ録音〜あえてオリジナルのモノラルで」
 ベートーヴェンの第8やブラームスの交響曲の幾つかなどでブレイン時代のフィルハーモニア管弦楽団がステレオ録音を残しているのは、本当に幸いというものです。それとは逆にウォルター・レッグが当時まだ主流だったモノラルで残した名録音を是非にと再びこ世に出したのが、妻君のエリザベート・シュワルツコップ(1915-2006)でした。

 1995年11月、いままでにないプロジェクトが企画された。デーム・エリザベート・シュワルツコップが、1956年12月ロンドン、キングスウェイ・ホールで自身主要歌手として参加した録音、リヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」の新しいCD化を監修するという。EMIのアビー・ロード・スタジオにおける3日間、毎日10時間から12時間もの作業には、80歳のシュワルツコップと、シニア・トランスファー・エンジニアのアンドリュー・ウォルターのほか、元独エレクトローラのエンジニア、ヨハン=ニコラウス・マッテス博士が参加した。目的は、この39年前の録音をオリジナルのモノLPの音に出来る限り忠実に再現することだった。

 この録音でプロデューサーのウォルター・レッグとバランス・エンジニアのダグラス・ラーターは、モノラル録音制作だけを担当したと言われる(1957年12月発売 Columbia 33CX1492/5)。実験的なステレオ版は、全然別の部屋でバランス・エンジニアのクリストファー・パーカーが制作。1959年12月に発売されたステレオLP(Columbia SAX2269/72)には、いくつかモノラルと違うテイクがあり、レッグが承認しなかったと言われている。

アラン・サンダース ICRC 1996年冬号より抜粋


 今では当たり前のステレオ録音も「1957年から58年にかけては、アーティストからギャラの増額を要求されないように、レコード会社は内密で行っていた」というのはリチャード・オズボーンの著書「ヘルベルト・フォン・カラヤン」の一節です。
2010年06月19日 12時09分00秒

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