290.美しい音 | |
name: | Favart - 2002年12月18日 0時25分29秒 |
「ブレインの音は左程魅力的ではないし、いわゆる“ロマンチック”な音でもない。」と簡単に言い切ってしまうのは暴言と思います。自説を展開するための踏み台にブレインを使ってしまったようにとれます。Ib Lanzky-Ottoの理想の音はどんな音だったのでしょう。例にあげた奏者の中にフランス系の奏者がいないのは彼らに関心がなかったからでしょうか。1977年頃はテヴェ、ヴェスコーヴォは現役時代と思いますが。
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289.デニス・ブレインの音 | |
name: | 夢中人 - 2002年12月16日 23時21分15秒 |
1977年、ハートフォードでの第9回国際ホルンワークショップでストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の首席ホルン、Ib Lanzky-Ottoが行った「美しい音は果たして大切か」といういくぶん挑発的な講演の中でデニス・ブレインを語った部分が大変面白いので引用します。 「理想的な音という点について、私の最も理想とするホルン奏者は、どうもデニス・ブレインではありません。ブレインの音は左程魅力的ではないし、いわゆる“ロマンチック”な音でもない。それでも彼ほど成功したホルン奏者はほかにない、独特の音色です。それではブレインと他の奏者では一体どこが違うのでしょう。 まずブレインの場合、その音楽性:“アゴーギク”(音楽エネルギーの干満)とフレージング。大切なのが音の扱い方。それと次の7つの要素が重要です。 1.いかに音を始めるか 2.いかに音を終わるか 3.しなやかさ(flexibility) 4.音色の変化:その瞬間に必要とされる音の扱い方を変化しうるかどうか 5.ダイナミックレンジ 6.強さ(intensity) 7.イマジネーション デニス・ブレインのように、以上の要素を兼ね備えた奏者は、“描出力 Interpretative-capacity”といったレベルに達しています。このレベルにおいて最も重要となるのが音です。それでは何故聴いても感動できないホルン奏者と理想的な音ではないのに人を魅了するホルン奏者がいるのでしょう。 タックウェル、ブヤノフスキー、ペーター・ダム、ゲルト・ザイフェルト、アイファー・ジェームズ、アラン・シヴィル、ヘルマン・バウマンといったホルン奏者はそれぞれ大変異なった音の理想を持っていると判りますね。でも彼等すべてに言えることが“描出力”を持っていて、音を出すことで聴く人たちに音楽を面白く、生き生きとさせる力がある、ということ。 誰も曲を感動的に演奏をするために、個々人が持つ如何に演奏されるべきかという理想に従う必要は無いんです。 デニス・ブレインのように吹きたいという大きくて暗い音を出す若いホルン奏者が、ブレインの音をコピーしようと努力することは全く大きな間違いです。何故なら彼はブレインと違った胸、口腔、唇などを持っているんですから。もしどうしてもデニス・ブレインのように鳴らさないといけないなら、やるべきことはホルンでブレインがやった通りにすること!ブレインのレコードを出来る限り沢山聴いて、彼が他の奏者と違うように音を出しているところを、正確に分析するよう。 要はルールは自分自身で作ること、つまりホルンの演奏は音の良し悪しではなく、音の扱い方の良し悪しなんです。(以下略)」 ちょっと後半ブレイン自体から離れてしまいました。 |
288.[282]の訂正ほか | |
name: | CATO - 2002年12月16日 7時44分25秒 |
題名が違っていました。許光俊「世界最高のクラシック」です。 それと、私の「ドライブ感」という言葉は、醒めたクレンペラーの演奏にしっくり来ず、うまく伝わらないと思いますが、いい言葉が出てきません。まあ、スケールが違いまっせ、ということです。 |
287.Over The Hills and Far Away | |
name: | Favart - 2002年12月15日 23時19分38秒 |
夢中人様、283の件、ありがとうございました。「1946年から1952年にかけての英HMVと米Columbia(CBS→Sony Classical)録音」が私が聴いた録音に該当するかどうか分りませんが、私の耳には「Over The Hills and Far Away」はブレインのように聞えます。また、夢中人様が行かれた丘の件、立ち入ったことをうかがってすみませんでした。ディーリアスの音楽を考える上で役に立ちました。私もイギリスは女房と一緒に行きました。ロンドン近郊だけですが、北のほうも興味が湧きます。 話は違いますが、今、グラインドボーン音楽祭の「カルメン」を見ています。年末の放送はモーツァルトでなく「カルメン」の間違えでした。(12/28前0:45〜NHK-BS2) またまた、別の話ですが、Raoux Single F が売りに出ています。 |
286.ベー7のホルンは泣かせますね | |
name: | CATO - 2002年12月15日 22時06分38秒 |
ベスト盤、早速のご教示有難うございます。 いつもながらの言い方ですが、昔7番も経験しました。第二楽章の、パーパパ、パーパパと単調に進めるところ、第三楽章でトランペットとともにゆっくりと壮大にぶち上げるところなど、奏者を興奮させてしまうような力がありますね。とてつもないエネルギーを感じさせる曲です。フルトヴェングラー/BPOのライブでは金管の名人達といえども、上気してエネルギーに巻き込まれて、なだれ込みを繰り返している感じです。 第一楽章、第四楽章の末尾などヒステリックな搾り出しを要求する高音の聴かせどころも満載で、ブレイン(1955年録音、クレンペラー盤)の音がいかなるものかが楽しみです。 |
285.私のベートーヴェン7番のベスト盤 | |
name: | 夢中人 - 2002年12月15日 20時33分09秒 |
ナショナル交響楽団/アナトール・フィストラーリ(1944/45年録音)、フィルハーモニア管弦楽団でアルチェオ・ガリエラ(1950)、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1951/52)、オットー・クレンペラー(1955)、グイド・カンテッリ(1956)の5種類で太字がCD化されています。 演奏云々ではなくデニス・ブレインの音をより鮮明に聴くという観点で考えました。 最新盤(EMI CDM 5 66795 2、P1998、the klemperer legacy)にブレインが亡くなった後の1957年全曲録音からではなく、ブレインがいてステレオの従来実験的録音と位置付けられていた1955年録音を入れたEMIの英断に敬意を表し、クレンペラー盤に一票入れます! カンテルリ盤(EMI CZS 5 68217 2、P1994、artist profile)も楽員の集中力を感じる演奏で同じくステレオなのですがCD再生音の優秀さで一歩譲ります。もし最新の技術でCD化されたらすごく迷いそうですね。 |
284.クレンペラーとブレイン | |
name: | CATO - 2002年12月15日 15時10分54秒 |
多分組み合わせは良くないでしょうね。クレンペラーは、ここにブレインあり、というような聞かせ場は許さなかったと想像できます。というか、曲の中のホルンの聴かせどころの名人芸なんかにまったく興味がなかった人だと思います。 私はいわゆるクレンペラー派ではありません。例えば1943年のフルトヴェングラー/BPOライブとクレンペラー/フィルハーモニアの録音(1960)でベートーベンの7番を聴けば、「どちらもすごい」としかいいようがありません。 ところで皆さん、ブレイン生前のベー7のベスト盤を推薦いただければ有難いです。 |
283.ディーリアス/幻想序曲「丘を越えて遥かに」 | |
name: | Favart - 2002年12月15日 13時31分47秒 |
ディーリアスという作曲家がいることは前から知っていましたが、ブレインの魅力にひかれて初めて聴いてみました。ビーチャム/RPOの「MUSIC OF DELIUS,ALBUM2」(SERAPHIM S-60212)。「Over The Hills and Far Away」は独特の雰囲気、情緒をもった曲で、ブレインの独奏はとても魅力的でした。ホルンの出番が多く、ホルンの独奏曲のような気がします。このレコードには、この曲の他に「Florida Suite」と「Dance Rhapsody No.2」が一緒に入っています。こちらも独特の雰囲気、情緒の曲でしたが、ホルンはやや影が薄くブレインでないような気がしますが、夢中人様、いかがでしょうか? 少し前に夢中人様がブロンテの「嵐が丘」(?)のモデルになった家を丘を越えて歩いて訪れた話が書いてあったような気がしますが、今探しても見つかりません。「丘を越えて遥かに」とかかわりがあるのかどうか教えて下さい。その時はどなたかと一緒だったようですが、どんな話でしたっけ? このレコードのジャケットのデザインはなかなかしゃれています。グレーっぽい茶色の背景に月のような大きな黄色の円形があり、その中にフロリダの風景(川、船、木々)が緑色モノトーンであしらわれていて、幻想的な雰囲気を醸し出しています。音楽の内容を表すようなデザインです。 CATOさん、ブレインとクレンペラーはあまり相性がよくないようですね。
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282.クレンペラー | |
name: | CATO - 2002年12月14日 19時53分21秒 |
まず始めに、ブレインの口腔構造について素人がくだらない医学的な珍説を述べたことを深くお詫びします。私自身、膝の不調にずっと悩む身で、もし誰かが音楽の掲示板で膝の手術の失敗などと書くと気分を著しく害すると思います。扁桃腺で悩む方、手術失敗を蒙った方、私のデリカシーと常識不足を深くお詫びします。 さて、クレンペラーです。ずっと彼には別格の畏敬の念を抱いていましたが、最近、許光俊さんの「最高のクラシック」(光文社新書)で、ずばりのクレンペラー観を拝見して、早速2枚買い足しました。ロマンチック序曲集(EMI toce 55435)とシューマンの3,4番(EMI toce 59123)です。「アウリスのイフィゲニア」の堂々たること、許さんの書かれるとおりの涙ものです。この曲は30年近く前吹いた曲です。こんなとんでもない表現も可能である曲であったことを、クレンペラーが示してくれています。シューマンのラインも昔やりました。クレンペラーがやる第5楽章のスケールの巨大さ!テンポがゆっくりでは片付かないドライブ感の巨大さ。強いて言えば、いくらコピーしても、キース・リチャードとロン・ウッドの掛け合いギターのドライブ感は出しようがないことに似ているんでしょうか(飛躍!?)。 ブレインとクレンペラーのエピソードには興味があります。今後「奇跡のホルン」に書かれていないようなエピソ−ドを探索してみようと思います。 |
281.更に更にブレインの右手 | |
name: | 大山幸彦 - 2002年12月14日 10時42分14秒 |
cato様、「珍説」案外そのとうりかも知れません。いずれにしてもかなりの音圧に耐えられる口内構造が必要でしょうね。 F管の細管ピストンというのは、かなり早く、絞った、圧の高い息を使用しないと吹けません。多分ブレインの音圧はかなり高いものだったと思います。 右手を使用する奏法は、管内の圧を高めるのでしょうが、たぶん右手を使用しなくても圧を確保できる奏法でないと、あのドライヴ感はでないと思います。テヴェ、ドウヴェミ、ヴェスコヴォ、フルニエ、セサロッシ、ヴァンドリューシュしかり。 その奏法はさほど難しいとは思わないですが、歯並びや唇の薄さといった条件は必要だと思います。 |