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240.いよいよ明日は

name: 夢中人 - 2002年11月14日 23時32分21秒

デニス・ブレインのイヴェントです。1957年9月1日の事故で押し潰されたアレキサンダーB♭シングル・ホルンをPaxmanが未亡人のために完璧に復元したものを、何故か今年になってPaxmanが売りに出し、結局落ち着くべきところ(デニスの出身校、王立音楽院)が買取った、という曰く因縁のある楽器が主役。それで、マイケル・トンプソンがモーツァルトのフラグメントK.494aを、リチャード・ワトキンスがプーランクのエレジーを吹く予定。

スティーヴン・ギャンブル氏が昼夜の演奏会と映画を見る、またブレイン家の人々やイギリス・ホルン界の長老に会って話もする、と言って今からソワソワ。もとより行けない夢中人のために後で詳しい話を聞かせてくれるよう頼みました。


239.ギャグで笑えないのは残念

name: 夢中人 - 2002年11月12日 23時52分41秒

以前中古レコード店でホフナング音楽祭(1956・1958・1961)の国内盤CDを見つけて、箱が少々汚れていたので入手しなかったことを今でも悔いています。というのも輸入盤(EMI CMS 7 63302 2、P1989)で充分雰囲気は伝わってくるし、昔YAMAHAで買った数冊のホフナングの漫画本(Dobson)も棄て難い。でも「しゃべり」で爆笑となった場合、悲しいかな夢中人は理解できないので笑えない。

同様に、最近でたBBCレジェンドのシリーズでもサー・トーマス・ビーチャム/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のディスクには必ずと言って良い程ビーチャムのスピーチが入り、聴衆が大受けしているのを聞いてつい疎外感?を感じてしまいます。あァ、話が判ればどんなに楽しいだろうなあ!

ところで現在、イギリスのスティーヴン・ギャンブル氏との共同で「オーブリー・ブレインのレコード」を発展させた「名ホルン奏者、オーブリー・ブレイン(1893-1955)」を作成しています。出きれば11月15日の王立音楽院主催の記念行事に間に合わせたいと考えています。


238.35歳でホルン奏者は辞めて・・・

name: CATO - 2002年11月10日 13時53分02秒

昨夜掲示板のログを見返してみて、なんか私が雑感を述べ始めてから、書誌学的、実証的な掲示板の格調にキズが付き始めたのではと反省していました。

「35歳でホルン奏者は辞めて」。バボラークも当然、ブレインの絶頂期での死を意識しているんですね。ほんと、ブレインのような器楽奏者はいないんですね。


237.“水撒きホース協奏曲”

name: Favart - 2002年11月09日 21時40分39秒

の日本初出レコードを見つけました。「ホフナング音楽祭(1956年&1958年)」(東芝EMI株式会社EAC-80398)で、ノーマン・デル・マー指揮ホフナング音楽祭管弦楽団、王立軍楽学校のバンド、テューバ四重奏団、他の演奏です。1956年11月13日の演奏会は“水撒きホース協奏曲”の他に「ジェラード・ホフナング氏のスピーチ&不味(まず)るか!?」、「有名協奏曲」(切りはり・ごった煮・ピアノ協奏曲)の3曲がが収録されていました。ユーモア好きのイギリス人らしい音楽会です。
イギリスではプロムスやグラインドボーン音楽祭などもあり、うらやましい次第です。いつの日にか行って聴いてみたいですね。11/15の演奏会も近くなりましたが、イギリスはあまりにも遠い。

夢中人です。関連投稿

夢中人のレオポルド・モーツァルトの場合
Favartさんの新聞記事があります。

236.Baborak - Bach

name: CATO - 2002年11月08日 2時14分42秒

 バボラークのバッハ無伴奏ホルンをききながら仕事した一週間でした(幸か不幸か在宅主体で仕事する環境は今年一杯で、来年から通勤族にもどります)。バボラークのバッハはタワーレコード売り上げランキングでクラシック3位という凄さですね。確かに話題性もあるし、何しろ吹奏楽、オーケストラ人口の多さを考えると、この程度は売れても不思議ではない気がします。私が居た頃の高校のブラスバンド(35年ほど前)ではアルトホルン(いわゆるアルト)が主体で、金持ちの息子が自前のフレンチホルンを持っていました。今ではフレンチホルンが備品にあって当たり前の環境です。よって、多くの若いホルニストはバボラークに興味津々でしょう。
 
 さて、彼の無伴奏ホルンについてです。まるで、テナーサックスを思わせるような、暖かくて弾むような音色は独特で魅力的です。しかし、私の第一の感想は、彼しかできないような芸当には思えないということです。楽器の改良とか練習方法の改善で、プロで彼程度の技術は、現在珍しくはないと思います。やはり話題性が彼にバッハ録音という機会を与えたと思います。
 私はこの録音のおかげで、バッハ無伴奏を再発見できました。バッハのメロディ−は作ったのではなく、万人に快さを与える音の組み合わせとして人類にセットされているものを、バッハは苦も無く掘り起こしたという意見がありますが、ホルンで聴くと、なんとも必然的な音の転がりがよく判ります。特に第二番など、そのよさに今回改めて気づきました。ただし、彼はこの珠玉の音の転がりを淡々と処理しすぎているように思えます。例えば、もっとレガート、もっとねちっこく引きずりがあったほうがいいのにと思う箇所が少なくありません。まあ、好みの問題ですが、ブレインが残しているような、バリッとした強い低音なんかもあったほうがいいような。
 夢中人さんご紹介のインタビューで、バボラークの今後が想像付きます。BPOでのステータスを維持しつつ、ホルンの可能性を積極的に開いてゆく。今後続々と出るであろうスタンダード曲の録音が楽しみです。特にBPOメンバーとの室内楽が。ただし私としては、その若さでリッチなBPOの親方として安住せず、ホルンの可能性を追求し続けて彷徨し、例えば日本音楽探求のために数年は大フィルで吹く(無理やなあ)などという求道者であってほしいです。スタンダード以外に、世界の先端的音楽の大家がこぞって彼に曲をささげるようになってほしい。そのためには、BPOとスタンダードでしっかり稼いでほしい。
 

インタビューの最後に今後レコーディングを15時間分、それもチェコの作曲家をひとつのメインとしてやりたい。35歳でホルン奏者は辞めて指揮をしたい、とも語りました。ロゼッティの廉価盤新譜、バッハの無伴奏の次はサイモン・ラトル/BPOとの共演といって欲しいですね。 夢中人

235.バボラークとのインタビュー

name: 夢中人 - 2002年11月07日 22時43分38秒

国際ホルン協会誌「ホルン・コール」2001年5月号に ラデク・バボラーク(b.1976)とのインタビューが掲載されました。最年少(18歳)でチェコ・フィルハーモニー管弦楽団に入団した天才がホルンとの出会いから如何に練習したか、ドイツへ行った経過、今後の予定などを語りました。

バボラークのベルリン・フィルハーモニー入団をあたかも巨人軍の松井秀喜選手が大リーグに行くのを喜ばないような感覚で捉える守旧派(夢中人)は、彼がどうして故国チェコを離れたかについて大変興味があります。

Assia Metzger「二十歳でドイツのミュンヘン・フィルハーモニーに行かれましたがどうしてですか?」
バボラーク「第1にドイツでは音楽家はオーケストラからの給料で生活できます。残念なことにチェコ共和国では出来ません。第2に当時ミュンヘン・フィルの音楽監督がセルジュ・チェリビダッケだったこと。本当に彼の棒の下で演奏したかったんです。不幸にもミュンヘンに来る1週間前に亡くなってしまいましたが。(略)」

現在の音楽活動の話題を挿んで、インタビュアーはさらに執拗に尋ねます。

A「チェコに帰る機会はありますか?最近のチェコでの芸術方面はどんな状況ですか?」
バ「いつもプラハに帰ります。文化的にみた状況は現在大変困難です。共産主義の初期の頃からたくさんの音楽家がカナダやほかに移住しました。プロの音楽家は目一杯働いても少ししか報われない。で生活のために他の仕事をしないとやっていけない。その結果多くの人がダメになって良い仕事が出来ない。」
A「ジョバンニ・プント(ヤン・バツラフ・シュティッヒ)など17、8世紀のチェコやババリアのホルン奏者は世界一と思われていますよね。まだホルン演奏はチェコ伝統のものと考えられますか?」
バ「シュティッヒは私が生まれた街から15マイルのところに住んでいました。もちろん皆誇りにしています。また、その一帯は不思議で特別場所です。でもそのことがホルン奏者にどんな影響があるんでしょうか。僕には判りません。」

大変現実的かつクールな答。そんな彼の持論、ホルンは子供のとき F シングルで始め、上の A までが F 管それより上が B♭管で勉強するのが良い、これまたオーソドックスな考えです。


234.シュテフェックのモーツァルトは

name: goshikinuma - 2002年11月07日 22時37分00秒

シュテフェックのモーツァルトですが、よく聴きましたら、トリルは普通のバルブトリルでやっていました。して見るとあのティルシャルのトリルはきれいです。
 ちなみにCDのレーベル名にスが抜けました(スプラフォンです・・)
 ステファンスカの23番は聞き物でした。


233.シュテフェックのモーツァルト

name: goshikinuma - 2002年11月06日 22時07分18秒

夢中人さんこんばんわ
 ペンツェルの情報ありがとうございました。彼の写真をはじめてみました。61年までゲヴァントハウスに在籍してたそうですが、シューマンの4本のホルンの協奏曲にダムがソリストで演奏した録音に名前が無かったのが残念ですね。
 ペンツェルのCDはもう1枚持っていました。
   ハイドン/カッサシオン二長調
     〃 /2本のホルンのための協奏曲変ホ長調
   ライヒャ/3本のホルンのための三重奏曲
      ペンツェル、レックスット、グリュ―が―(Hrn)
          ミューラー=ブリュ―ル/ケルン室内管弦楽団

  さて、シュテフェックのホルンは多分にアンチェル/チェコ・フィルで
 聞かれると思いますが、まだ確認はしていません。先日図書館から借りて
 きたピーターと狼では恐らく吹いていると思います。ズデニェク・ティルシャルが
 首席になったのは1968年(23歳)ですから、それまではシュテフェックと
 思って間違いないでしょう。
  シュフェックがモーツァルトの3番を録音したのは1966年でした。まさに
 チェコのホルン、いやボヘミアの伝統的なヴィヴラートのきいた演奏です。ティルシャルもそうですが、あの独特のトリル(リップトリルかも)が特徴的です。
 久々に聞きましたが、ボヘミアのホルンの代表的な演奏ですね。ティルシャル兄弟は良い後継者ですね。ディヴォキーもそうですが、バボラ―クがドイツへ行ったのはボヘミアのホルンの伝統を継ぐ気がなかったのだろうと思います。

  アンチェルのモーツァルト
   1.魔笛序曲
   2.ピアノ協奏曲第23番 ツェルニー=ステファンスカ(P)
   3.ファゴット協奏曲  カレル・ビドゥロ(Fg)
   4.ホルン協奏曲第3番 ミロスラフ・シュテフェック(Hrn)
      アンチェル/チェコ・フィル
            (プラフォン 11 1935−2 001)
     2は55年、3は52年録音のモノラルです。
     1は60年、4は66年録音でステレオでした。

  ホルンも独特ですが、クラリネットの音もヴィヴラ―トのきいた独特の
  音が特徴でした。


232.ブラームスの作品17のドイツ語の歌詞の翻訳

name: Favart - 2002年11月06日 0時26分55秒

230の件、ちょっとだけご紹介します。(石井不二雄氏訳)

第1曲 ハープの豊かな調べが聞え
ハープの豊かな調べが聞え、
恋心と憧れが更に高まる。
心に深く沁みて不安を感じさせ、
目には涙をあふれさせる。

おお流れ落ちよ、涙よ、
おお震えつつ鼓動せよ、心よ!
恋と幸福は墓に沈んだ、
人生は失われてしまったのだ!
              (フリードリヒ・ルーベルティ詩)


231.ブレインのモーツァルト

name: goshikinuma - 2002年11月05日 19時08分29秒

ホルンコンチェルトを聴いてみました。モーツァルトです。ペンツェルのCD、アブ・コスターのナチュラルホルン、ホルステッドのナチュラルホルンと3枚聴いてからブレインのモノラル(ART 5669502)を聴きました。
 なんとも違う世界に入ってしまったような錯覚に陥りました。ブレインの最も魅力的な響きが聴かれました。いったいどうすればあんな演奏できるのでしょうか。息継ぎがわからない、低音から高音までむらなくスムーズに吹いてしまう・・・
レガート、スラー、スタッカート、タンギングも美しい、たくさんのモーツァルトを聞きましたが、ブレインに近づいたホルン吹きはいたのでしょうか。いや、誰も近づこうとは思わなかったのでしょうか。自分のホルンを吹くことに専念しているのでしょうか。

 エーリッヒ・ペンツェルはベルンハルト・パウムガルトナー/ウィーン響との共演でしたが、モーツァルト全集としてはステレオ初期であり、ドイツ人ではじめて全曲を録音した人でしょう。同じ頃イギリスではシヴィルがクレンぺラーと録音していましたし、タックウェルはマークと録音していました。

 ペンツェルはハイドンの協奏曲を2曲とも録音していましたが、CD化を望みたいですね。グラモフォンにはモーツァルトの協奏曲を2曲(2&3番)とロンドを
ハンス・ワラット/ゲヴァントハウスと録音しています。LPで所有していますが、CD化は無理でしょうね。ミューラー・ブリュ―ル/ケルン室内とはモーツァルトのロンドを録音していました。ペンツェルはVOXにロゼッティの二短調も録音しています。これはCD化されました。ヴィンシャーマンとのテレマンの協奏曲もCDで聴きたいし、コンソルティウム・クラシクムと演奏したモーツァルトの五重奏曲なんかは私が初めて聞いたLPですから懐かしいです。

エーリッヒ・ペンツェルのテレマン、モーツァルト、とても親しみのある楽しい演奏、という印象です。ご紹介のディスクのほかイ・ムジチの1回目のブランデンブルグ協奏曲第1番のソロがありました。フランツ・コンヴィチュニーの頃のライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席だったことを知りました。当時のホルン奏者で忘れられない人にカレル・アンチェルの頃のチェコ・フィルハーモニーのミロスラフ・シュテフェクがいます。その独特のイントネーションはティルシャルにも片鱗が見られましたが、バボラークには綺麗サッパリありません。 夢中人

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