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230.ブラームスの作品17

name: Favart - 2002年11月04日 21時47分54秒

リリング指揮ゲヒンゲン聖歌隊のレコードを見つけました。(日本コロムビアOS-2254-MC。1969.10。、Horn:マインツ・ローハン、カール・ルートヴィヒ。、ベーレンライター・ムジカフォン原盤)
ホルンの演奏は別にして、ヘンダーソンよりもリリングの指揮の方が気に入りました。特に第1曲と第2曲のテンポがリリングの方がゆっくりで、この曲の持ち味をより正確に引き出していると思いました。へンダーソンの録音はSPレコードなので演奏時間(速さ)の制約があったかもしれません。戦前と戦後の時代的な演奏の違いもあると思います。
なお、レコードにドイツ語の歌詞と日本語の翻訳が載っていました(石井不二雄氏訳)。夢中人様はご覧になったでしょうか。

いえ、リリングの盤は存じません。ちなみに私はCDばかりでジョン・エリオット・ガーディナー/モンテヴェルディ合唱団、Hr:アントニー・ホールステッド、クリスティアン・ラザフォード(フィリップス、PHCP-20219)、ステファン・パークマン/デンマーク放送(DR)交響楽団、Hr:Per McClelland Jakobsen, Leif Lind(Chandos、CHAN 9806)、リチャード・ヒコックス/ロンドン・シンフォニー・コーラス、Hr:Franck Lloyd, Stephen Sterling(Virgin Classics、5 61469 2)を聴きました。第1曲はDRの演奏が最もゆったりしていて私のお気に入りです。ホルンはヴィブラートの全くない、かといってとても豊かな表情をつけるので、デニス・ブレインを想起させます。以上の盤は全てドイツ語歌唱ですがロイ・ヘンダーソン/ノッティンガム・オリアナ合唱団の歌う歌詞はTroutbeck神父が英訳したもので、Novelloから出版もされましたが現在では入手困難なため、スティーヴン・ギャンブル博士が聞き取りにて書き上げてくれたものです。 夢中人

229.狩人の月

name: 夢中人 - 2002年11月04日 16時57分13秒

スティーヴン・ペティット著山田淳さん訳の伝記に「戦時中にジョン・バーデンのために書かれた親しみやすい小品」としてギルバート・ヴィンターのホルンとオーケストラのための《狩人の月》という曲をデニス・ブレインがしばしば演奏した記述があります。そこで山尾敦史さんの『英国音楽入門』でヴィンターの名前を探してみましたが載ってない。それでジョン・バーデンって誰?、ギルバート・ヴィンターって何者?となります。それも《狩人の月》というどこか謎めいたとてもロマンチックなタイトルのせいだと思います。

ギルバート・ヴィンター(1909-1969)。BBCワイアレス・バンド、ロンドン・フィルハーモニーでバスーン奏者。王立音楽院教授。第2次世界大戦中、イギリス空軍(RAF)中央音楽隊々員、のちに空軍バンド指揮者。戦後、BBC専属指揮者。ブラスバンドのための作品が多い。ジョン・バーデン。バリー・タックウェルが1955年に入団するまでロンドン交響楽団(LSO)首席ホルン奏者。その後ロンドンでスタジオ・プレーヤーとして活躍しました。

《狩人の月》は1942年、ヴィンターがRAF飛行訓練管区音楽隊と演奏旅行中に作曲され、LSOのバーデンと作曲者自身の指揮により初演。曲名は最初「ダイアナとの1日」でしたが、狩猟の女神ダイアナを連想し難い、という理由で変更されました。デニス・ブレインの録音(ヴィレム・トースキー指揮BBCコンサート管弦楽団。1957年6月16日)は、BBCアーカイヴに残されていてロンドンのナショナル・サウンド・アーカイヴで聴くことが出来ます。

デニス・ブレインはフィルハーモニアとロイヤル・フィルハーモニー(1954年まで)の首席奏者ですが、LSOやBBC交響楽団にもしばしば独奏者として登場しました。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の共演者リストにも記載がありますので、本来ライバルであるロンドンのビッグ・ファイヴ全てに登場した訳です。その人気の程が偲ばれます。



228.LSOの写真

name: Favart - 2002年11月03日 19時23分01秒

10/25のLSOの練習風景画見つかりました。(3枚)
残念ながらホルンは写っていません。
10/30の朝日新聞の音楽評(10/23オーチャード・ホール、バルトーク&マーラー)ではオケの「(オケのレベルが高く)ちょっと他に比肩できる団体はないように思う。」とベタホメでした。


227.ロゼッティのホルン協奏曲

name: goshikinuma - 2002年11月03日 11時46分12秒

202で書きこんでありますが、バボラークによって新たに4曲録音されましたので、注目したいところです。私は20歳のころ二短調の曲をLPから何度も聴きながら楽譜に記譜して吹いたものでした。モーツァルトより吹きやすかったと思います。
 さてロゼッティは16曲書いたらしいのですが、これはどうやら不確かなようで、グラモフォンのCD−ROMからタックウェルのCDの解説をよみましたら、ソロは10曲2つのホルンのための協奏曲は5曲とありました。ソロの曲は恐らく楽譜が現存するのが10曲なのかも知れません。ということはバボラークが4曲録音したことで10曲がそろったことになりますが、まだ出るかもしれません。

 一応10曲をあげてみますと

 1. ヘ長調 バウマン/シュレーダー/アムステルダム合奏団

 2. ニ短調 ペンツェル/フェルバー/ヴュルテンベルク室内
        バウマン/シュレーダー/アムステルダム合奏団
 
 3. 変ホ長調 バウマン/シュレーダー/アムステルダム合奏団

 4. 変ホ長調(kaul 3:39)
         タックウェル/イギリス室内

 5. ホ長調(kaul 3:42)(原曲:ジョヴァン二・プント)
         タックウェル/イギリス室内
         バウマン/タルミ/フィルハーモニア・フンガリカ
     〜変ホ長調版(カール・シュターミッツ編)
         ティルシャル/ヴァイナル/プラハ室内
 
 6.ホ長調(Kaul 3:44)
         タックウェル/イギリス室内

 7.変ホ長調(Kaul 3:35/murray C40)
         バボラ―ク/バイエルン室内    

 8.変ホ長調(Kaul dest/murray C43Q)
         バボラ―ク/バイエルン室内 

 9.変ホ長調(Kaul 3:40/murray C47)
         バボラ―ク/バイエルン室内 

10.ホ長調(Kaul 3:45/murray C52)
         バボラ―ク/バイエルン室内 

  以上10曲揃いました。なお調べましたら、
  トンプソンがニンバスに2の二短調を録音していました。
  もうひとつズビニェフ・ズークが4の変ホ長調を録音していました。
  このズークのCDにはドープラの1番の協奏曲、ヒンデミットの協奏曲、
  そしてシェックの協奏曲がおさめられていますので、のどから手が出そう
  です。

 また2本のホルンのための協奏曲はティルシャル兄弟が
   
  1.変ホ長調  アルトリフテル指揮ドヴォルザーク室内(1987)
  2.変ホ長調  ヴァイナル指揮カペラ・イストロポリターナ(1989)
  3.変イ長調  ヴァイナル指揮カペラ・イストロポリターナ(1989)

  この3曲を録音しています。1はスプラフォン、2と3はナクソス録音

 タックウェルでプントの協奏曲を4曲聞きましたら、ロゼッティと作風が
 よく似ていましたので、とても楽しめました。


226.デニス・ブレインのバルトーク

name: 夢中人 - 2002年11月02日 20時59分07秒

CATOさんに感化されて1日デニス・ブレインのいるフィルハーモニア管弦楽団によるバルトーク(1881-1945)を聴いて過ごしました。曲はオーケストラの為の協奏曲(1943)、ヴァイオリン協奏曲第2番(1937/1938)。演奏は順にヘルベルト・フォン・カラヤン(EMI、CDM 5 66596 2、P1998)とウィルヘルム・フルトヴェングラー/ユーディ・メニューイン(EMI、CDH 7 69804 2、P1988)です。

フィルハーモニアの演奏記録に1950年12月11日、フルトヴェングラーの演奏会でオーケストラの為の協奏曲がありますが、デニス・ブレインはトーマス・ビーチャムのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団米国演奏旅行中でした。協奏曲の録音とともにフルトヴェングラーが現代音楽を否定するものでないことの稀少な例証です。

スティーヴン・ペティット著『フィルハーモニア管弦楽団』に「プレーヤーの観点から言うと細かい(detailed)アプローチは図らずも予想もしない結果を生む、ということが意義深い。例えばバルトークのオーケストラの為の協奏曲。フィルハーモニアは、カラヤンとのレコーディング・セッションよりもカンテッリとの演奏会リハーサルから学んだ。」とありますがカラヤンとの録音は、自身3度行ったうちの1回目。日付が1951年12月1、1952年11月28、29日、1953年7月21、22日に亘っていて相当入念に行われたことが伺われます。演奏会でも1953年6月22日以降、1955年の米国演奏旅行などで頻繁に取り上げました。その第2楽章でニール・サンダースとの二重奏による短いソロ、またヴァイオリン協奏曲の第2楽章ではブレインの鋭いアタックが聴けます。

ほかに舞踏組曲(1923)/イーゴリ・マルケヴィッチ(Testament、SBT1060、P1995)、オーケストラとヴァイオリンの為の二つの肖像第1番(1910)/コンスタント・ランバート/ヨゼフ・シゲティ(DANTE、LYS085、P1996)など。後者は1910年作曲とありますので、バルトークが片思いに終わったチューリヒの女性ヴァイオリニストの為に書いた、というのは夢中人の想像です。


225.さっそく問い合わせます

name: CATO - 2002年11月02日 1時25分48秒

Favart さん問いあわせ先の情報有難うございました。試みます。

LSOについて、ついでにもう少し感想を述べます。
ワンパターンですが、LSOを前回聴いたのは、30年近く前の大阪国際フェスティバルでした。指揮者はアンドレ・プレビン(39歳のアンネゾフィ・ムターと75歳で最近5回目!の結婚とか)で、ジョン・リルがチャイコフスキーのピアノ協奏曲を弾いた日です。あの時は弦がクッキリと綺麗にそろっていることと、トランペットが乾いた独特の音を出したのが印象深かったです。プログラムではトランペット主席はピーター・スネルと、記載があったような記憶があります。
 一方、今回は会場が異なったこともあるためか、トランペットの音が前と違うなあという印象が強かったです。勿論世代交代したんでしょうが、私の思い込んでいたLSOのトランペットの音ではありませんでした。世代のついでに、楽器も代わったんでしょうか。30年前ウォルトンの交響曲で爆発していたホルンは相変わらずの音で安心でしました。


224.忘我の境地

name: Favart - 2002年11月01日 22時14分40秒

をさまよわれたCATO様、JR東海の問い合わせ先は下記のとおりです。
早めに探した方が出てくる確立が高いですよ。
大 阪 06-6452-3730 6:00〜24:00
そんな私もつい最近、半年分の定期券を落としてしまいました。(6万円弱)
2年ほど前も紛失したことがあり度胸がついていましたが運良くでてきました。(ホッ!)
「指揮の芸術」の1950年のBPOのフルートは知らないおじさんばかりでした。ニコレはいないようで、ハンス・ペーター・シュミッツ風のおじさんもいましたが識別できません。デムラーも顔を知らないし、残念!
ティル・オイレンシュピーゲルのホルンはなかなか上手でした。


223.残念なことに

name: CATO - 2002年11月01日 21時13分01秒

LSO日本ツアーのプログラムを買ったのに、新大阪でわさび漬けとともに新幹線の棚に置き忘れてしまいましたので、「第1ホルンはデイヴィッド・パイヤットだったのでしょうか?」のご質問にお答えできません。よほど疲れていたんでしょうか、飛行機とか新幹線では寝付けない私が見覚えのある大阪の風景を見て慌てて目を覚まして降車したからです。痛恨!


222.東京音楽紀行

name: CATO - 2002年10月31日 22時44分07秒

いつもながらの書き流しです。
 はるばる大阪から出かけ、東京オペラシティーで念願のブーレーズを聴いてきました。29日のプログラムF:スクリャービン、シマノフスキ、ウェーベルン、バルトークです。東京オペラシティーコンサートホールはホールもロビーも音楽に集中できるような無駄の無い造りで、気に入りました。
 私は楽しむというよりも、それ程遠くない距離でブーレーズが20世紀の音楽を振っていることに心が高鳴り、瞬く間の二時間でした。また、途中で斜め前の席にポリーニがやってきて、彼も聴いていました(ポリーニとブーレーズが一度に視野にはいるとは)。休憩時間に禁煙の一階から外へ出てタバコが吸えましたが、なんと、そこの灰皿傍にポリーニが居て吸っていて、吸殻を捨てるとき同じく捨てようとしたポリーニの黄金の腕に接触してしましました!!!!(残念ながら黄金の吸殻は水没後で回収できませんでした。)
 一番期待していたウェーベルンは、生で演奏すること自体がLSOといえども極度に緊張を要することがよく判りました。大編成といえども、シーンとした中でトランペット、ホルンに要求される繋ぎと持続と孤高のアタック。みんな終わってほっとして拍手しているようでした。勿論私も極度に緊張しました。下手な演奏なら意味不明のガラクタになりかねない曲ですから。
 プログラム最後は、バルトーク「中国の不思議な役人」。それまでの緊張から解放されたような、LSOの音の奔流でした。ビオラとチェロの退き際に少し遅れて退いてゆくLSOのホルン群の素晴らしさ。ブーレーズに反応できて有り余る性能でした
 そして、アンコールはラベルの「亡き王女のためのパバーヌ」。まるでブーレーズが私のために設定したような〆にひたすら感動しました。立派な音のホルンも、アンコールでのご愛嬌にふさわしく途中で軽くポキッと外してくれました。
 興奮で寝付き悪く、ぼけた頭で翌日仕事を済ませて、新幹線までの時間を渋谷のタワーレコードでつぶしました。掲示板で話題になった、バボラークとブヤノフスキーが平積みで、私はバボラークを求めました。いまこれを書いている横で鳴っています(感想は後日に書きます)。十一月三日は渋谷店でバボラークのミニ演奏とサイン会とかで、ジャケットはサイン券入りでした。
 やはり、東京の音楽界はすごかった。

CATOさん、いろいろとエキサイティングな一夜だったようですね。第1ホルンはデイヴィッド・パイヤットだったのでしょうか? 11月1日 夢中人

221.初めて、買ったクラッシツクのLPがデニス・ブレイン。

name: 西澤寧洋・ヤスヒロ - 2002年10月30日 4時43分25秒

私が小学校6年の頃、私の家庭教師が信州大学のオーケストラでホルンを吹いていて、このレコードは良いから親に買ってもらいなさいと言われ、言うがままに購入したのが、カラヤンとのモーツアルトホルン協奏曲のLP・東芝EMIでした。それからクラツシック小僧になり、デニス・ブレインのファンです。レコ芸で、このページの事を知り、僭越ながら書き込ませて頂きました。

西澤さん、書き込みありがとうございました。私は西澤さんとほぼ同年代の人間で、思えばブレインとの付き合いも随分長くなりましたが、イギリスと日本の違いはあるものの僅か数年だけでもブレインとこの世で生を共に出来たことを密かな喜びとしています。ひょっとするとブレインの音楽やその周辺の出来事に自分のルーツ或いは生まれた頃の時代背景を探し求めているのでは?と感じることがあります。 夢中人

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