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第334話「音楽の友 落穂ひろい(1957)」
◎ベンジャミン・ブリトゥン《20世紀の作曲家 X》柴田 南雄
 (前略)「セレナード」では華やかなテノールと至難なホルンのパートが弦楽器群に対してひびきの対照を見せているが、とくに冒頭のホルン・ソロの「プロローグ」は旋律全体をピストンを使わず自然ハーモニックスで奏するよう指定されている。従って第7倍音(変ロ)や第11倍音(ヘ)の音程は純正調や平均律とは異なったものとなるので、ここにも音色の効果への彼の関心がうかがわれる。なお、これらの諸曲は、どれもしばしば演奏されている。
1957(S32)年5月号より
 昨年4月に続く詳細不明の発言。華やかなテノールと至難なホルン・パートをしばしばこなす名人とは一体誰なのだろう?
 2025年10月13日 15時26分

第333話「音楽の友 落穂ひろい(1956)」
◎三浦淳史 ブリトゥンの来日と彼の作品
 (前略)オペラでは「ルクリーシアの凌辱」が二期会によって上演されたし、歌曲では「セレナード」や「イリュミナシオン」がラジオ・リサイタルで紹介され、「神の仔羊」は東唱のレパアトリに加えられている。
1956(S31)年4月号より
 下線部はセレナードが既に放送されたことを意味しますが、記録は見つかっていません。ベンジャミン・ブリトゥンとピーター・ピアーズは共に東洋観光旅行中でNHKの招きにより1956年2月8日、空路来日し、9日にはピアーズ氏をピアノ伴奏し「ミケランジェロの7つのソネット」ほかを放送、さらにN響の棒をとり、自身の「シンフォニア・ダ・レクイエム」「イルミナシオン」「パーセルの主題による変奏曲と追複曲」の3曲を紹介したという。いずれでも「セレナード」は演奏されていません。
2025年10月11日 18時00分

第332話「音楽の友 落穂ひろい(1955)」
◎実験工房作品発表会
 1955年7月12日、山葉ホールで行われた実験工房作品発表会に出演したデニス・ブレインに師事する前の千葉馨さん。楽器を膝に置いて吹いておられる。
1955(S30)年9月号「ニュース・フラッシュ」の舞台写真より
◎戦後楽壇10年史年表
 音楽の友編集部による1945(S20)年から1955(S30)年までの音楽年表
 ここに掲載されたベンジャミン・ブリテンの作品は
 1953年7月18日、第一生命ホール、ラモー室内楽団と二期会、指揮/渡辺暁雄による室内オペラ「ルクリーシア」の初演
 初来日のサー・マルコム・サージェントと東京交響楽団の特別演奏会、1954年10月1日、日比谷公会堂、パーセルの主題による変奏曲とフーガ作品34はなぜか載っていない。
 もちろんセレナードも無い。
1955(S30)年11月号より
2025年10月11日 8時20分

第331話「音楽の友 落穂ひろい(1954)」
◎関響指揮者、朝比奈隆、ロンドン・ナショナル交響楽団を指揮
 1953年11月22日、ロイヤル・アルバート・ホールで日本人として最初の英国交響楽団を指揮。ロンドン・フィルハーモニー交響楽団のメンバーを含むロンドン・ナショナル交響楽団で、当日のプロはベートーヴェンの交響曲第5番他全3曲である。
1954(S29)年1月号「楽界ニュース」より
 
 ペティットのデニス・ブレイン伝ではナショナル交響楽団は、1947年9月にデッカとの録音契約を打ち切られた後、財源を失って解散に至った、とありますが朝比奈隆の指揮した同名の楽団は現在も活動中。
◎カラヤンを囲んで
 Q. あなたの創設されたイギリスのフィルハーモニア管弦楽団について伺いたいのですが。
 A. あれはレコーディングのために特に組織したオーケストラです。コロンビアがスポンサーとなって全部独立した楽員から出来ています。数年前に作ったものですが、そのわけは、録音するためにあちこちに飛んで歩く必要がない。指揮者さえ来れば、いつでもよい録音が出来る。そういう目的から作ったオーケストラでしょう。非公式には演奏会もしています。
1954(S29)年6月号より
2025年10月5日 8時58分

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