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最初から

第340話「1942年制作 映画『沿岸司令部』」
 ベンジャミン・ブリテンが1942年に手がけた映画音楽にRAF(イギリス空軍)オーケストラが関わっており、その首席ホルン奏者のデニス・ブレインのためにセレナードを作曲するきっかけとなったと言われます。残念ながらブリテンの音楽は見つかりませんでしたが、ヴォーン・ウィリアムズが作曲し、ミュア・マシーソン指揮するRAFオーケストラが演奏した映画を見つけました。
2025年11月3日 18時32分

第339話「音楽の友 落穂ひろい(1962)」
◎ブリトゥン「真夏の夜の夢」初演
 都民劇場第100回定期
 5/30 東京文化会館
 ジャン・ポッパー指揮
 スタッフ・クラブのメンバー
1962(S37)年7月号より
◎ハイライツ
 ブリトゥン「青少年のための管弦楽入門」
 渡邉暁雄(解説および指揮)
 日本フィルハーモニー管弦楽団
 コロムビア(S)ZS3301
1962(S37)年9月号より
◎楽界ニュース
 1963年度第6回大阪国際フェスティバルのオープニング・コンサートを飾るため来日の予定されていたフィルハーモニア・オーケストラは、都合により来日が不可能となり、代ってロンドン・シンフォニーが来日することになった。
 これはフィルハーモニア・オーケストラの内部紛争が原因で、フェスティバル協会側ではいろいろ検討の結果、一切の交渉を白紙に戻したもの。(後略)
1962(S37)年11月号より
2025年11月2日 18時45分

第338話「音楽の友 落穂ひろい(1961)」
◎訃報 ワルター・ゲール氏(指揮者)
 12月4日、イギリスのシェフィールド市で「メサイア」の指揮を終えた時、心臓マヒで倒れた。57歳。ボンで生まれ、シェーンベルグに学び、1932年渡英後、南米、ヨーロッパを舞台に演奏活動をしていた。  
1961(S36)年1月号より
掲示板の過去記事
第32話「セレナード初演異聞(3)」
2025年11月1日 17時26分

第337話「ブリテンのセレナード/LA初演」
1949年11月24日、フィルハーモニック・オーディトリアム、LA
 オーケストラ/ロサンゼルス・フィルハーモニック
 指揮/ベンジャミン・ブリテン
 テノール/ピーター・ピアーズ
 ホルン/シンクレア・ロット(1912-1995)
Copilotの回答。根拠は国際ホルン協会(IHS)発行の「ホルン・コール」2010年2月号
2025年10月28日 19時38分

第336話「音楽の友 落穂ひろい(1959)」
◎現代作曲家12人集 特集 現代音楽鑑賞のための手引き 三浦 淳史
(前略)日本で発売されているブリッテンのレコードは六曲しかない。オペラ「ねじの回転」とか歌曲では「セレナード」や「イリュミナシオン」あるいは「ミケランジェロのソネット」といった重要な作品は発売される見込みもないようだから、まず日本で容易に入手できる作品の中からテーマを見つけてみよう…
1959(S34)年8月号より
 「セレナード」の日本発売はとても恵まれない。まず1944年5月25日録音、1945年11月発売の Decca K1151-53 は終戦後間もなくで発売されようもない。その国内盤LPについてのgoshikinumaさんのお話はとても興味深い。1979年6月のLP Decca Eclipse ECM814もしかり、1992年3月のCD Decca 425 996.2 がポリドールからロンドン POCL3388 でようやく国内盤CDとして発売。
 むしろ1953年11月のデニス・ブレイン2度目の録音 Decca LXT2941(London LL994)の疑似ステレオ盤 Decca Eclipse ECS-507の輸入盤が日本国内で初めて流通した。2006年1月、Australian Eloquence 476 8470 でCD化。

2025年10月25日 16時44分

第335話「音楽の友 落穂ひろい(1958)」
◎現代音楽地図 特集20世紀音楽の理解 三浦 淳史
 (前略)ベンジャミン・ブリッテンの独創性が乏しいことを非難する批評家ですら、その音楽は広範囲の民衆に受け入れられる事実は、否定できない。戦後日本で「ルクリーシアの凌辱」「ピーター・グライムズ」「ねじの回転」と三作も上演されたことは、やはりブリテンの魅力を物語るものであろう。
1958(S33)年8月号より
 2025年10月13日 15時26分

第334話「音楽の友 落穂ひろい(1957)」
◎演奏会
関響の指揮者の朝比奈隆氏は、過搬招かれて北欧のストックホルム管弦楽団を指揮するため渡欧したが、これに入れ替わって、スェーデンの指揮者フリークベルク氏が関響を指揮するために来日した。1月の新春には帰国する。北欧、ヨーロッパ、ソ連、イスラエルの各オーケストラを指揮しているという経歴を持っている人で、チョット風変わりなお客であった。(中略)現代のスェーデンの作品でエリック・ラルソン、アルベーン等も日本に紹介するそうだが、こういう北欧の国々と音楽交流できるのも仲々興味深いし、これも平和な世の中のお蔭だと妙なところで感心してみる。
1957(S32)年2月号より
 デニス・ブレインが北欧楽旅した1956年10月7日、ストックホルムにおけるステン・フリクベル(フリークベルク)指揮スウェーデン放送交響楽団とのモーツァルトの協奏曲第2番がBISからLP3枚組『スウェーデン放送交響楽団の50年』中の1曲として発売されたことがあります。日本とご縁があったんですね。
◎ベンジャミン・ブリトゥン《20世紀の作曲家 X》柴田 南雄
 (前略)「セレナード」では華やかなテノールと至難なホルンのパートが弦楽器群に対してひびきの対照を見せているが、とくに冒頭のホルン・ソロの「プロローグ」は旋律全体をピストンを使わず自然ハーモニックスで奏するよう指定されている。従って第7倍音(変ロ)や第11倍音(ヘ)の音程は純正調や平均律とは異なったものとなるので、ここにも音色の効果への彼の関心がうかがわれる。なお、これらの諸曲は、どれもしばしば演奏されている。
1957(S32)年9月号より
 昨年4月に続く詳細不明の発言。華やかなテノールと至難なホルン・パートをしばしばこなす名人とは一体誰なのだろう?
 デニス・ブレインの訃報も見当たらなかったように思う。
 2025年10月13日 15時26分

第333話「音楽の友 落穂ひろい(1956)」
◎三浦淳史 ブリトゥンの来日と彼の作品
 (前略)オペラでは「ルクリーシアの凌辱」が二期会によって上演されたし、歌曲では「セレナード」や「イリュミナシオン」がラジオ・リサイタルで紹介され、「神の仔羊」は東唱のレパアトリに加えられている。
1956(S31)年4月号より
 下線部はセレナードが既に放送されたことを意味しますが、記録は見つかっていません。ベンジャミン・ブリトゥンとピーター・ピアーズは共に東洋観光旅行中でNHKの招きにより1956年2月8日、空路来日し、9日にはピアーズ氏をピアノ伴奏し「ミケランジェロの7つのソネット」「ディー河の粉屋さん」「サリー・ガーデンズ」「いとしのポリー・オリヴァー」「オリヴァー・クロムウェル」などを放送、さらにN響の棒をとり、自身の「シンフォニア・ダ・レクイエム」「イリュミナシオン」「パーセルの主題による変奏曲と追複曲」の3曲を紹介したという。いずれでも「セレナード」は演奏されていません。
2025年10月11日 18時00分

第332話「音楽の友 落穂ひろい(1955)」
◎実験工房作品発表会
 1955年7月12日、山葉ホールで行われた実験工房作品発表会に出演したデニス・ブレインに師事する前の千葉馨さん。楽器を膝に置いて吹いておられる。
1955(S30)年9月号「ニュース・フラッシュ」の舞台写真より
◎戦後楽壇10年史年表
 音楽の友編集部による1945(S20)年から1955(S30)年までの音楽年表
 ここに掲載されたベンジャミン・ブリテンの作品は
 1953年7月18日、第一生命ホール、ラモー室内楽団と二期会、指揮/渡辺暁雄による室内オペラ「ルクリーシア」の初演
 初来日のサー・マルコム・サージェントと東京交響楽団の特別演奏会、1954年10月1日、日比谷公会堂、パーセルの主題による変奏曲とフーガ作品34はなぜか載っていない。
 もちろんセレナードも無い。
1955(S30)年11月号より
2025年10月11日 8時20分

第331話「音楽の友 落穂ひろい(1954)」
◎関響指揮者、朝比奈隆、ロンドン・ナショナル交響楽団を指揮
 1953年11月22日、ロイヤル・アルバート・ホールで日本人として最初の英国交響楽団を指揮。ロンドン・フィルハーモニー交響楽団のメンバーを含むロンドン・ナショナル交響楽団で、当日のプロはベートーヴェンの交響曲第5番他全3曲である。
1954(S29)年1月号「楽界ニュース」より
 
 ペティットのデニス・ブレイン伝ではナショナル交響楽団は、1947年9月にデッカとの録音契約を打ち切られた後、財源を失って解散に至った、とありますが朝比奈隆の指揮した同名の楽団は現在も活動中。

◎カラヤンを囲んで
 Q. あなたの創設されたイギリスのフィルハーモニア管弦楽団について伺いたいのですが。
 A. あれはレコーディングのために特に組織したオーケストラです。コロンビアがスポンサーとなって全部独立した楽員から出来ています。数年前に作ったものですが、そのわけは、録音するためにあちこちに飛んで歩く必要がない。指揮者さえ来れば、いつでもよい録音が出来る。そういう目的から作ったオーケストラでしょう。非公式には演奏会もしています。
1954(S29)年6月号より
2025年10月5日 8時58分

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