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10.The Heart of the Matter

name: 大トトロ@totoro's room - 2002年01月28日 21時49分46秒

「流れの上で」の件に関連してアルバート・リンダーのご紹介ありがとうございました。私にとってこの曲との出会いはBISのアルバム(Ib Lanzky-Otto氏の演奏も入っています)からでした。
また私のサイトの中では紹介していませんでしたが、「流れの上で」に関して
Richard Lewis (T), Ernest Lush (P), Dennis Brain (Hr)
という音源もあるようです。

話は替わって標題の件、私のサイトの中ではまだ紹介していないのですが、Boosey & Hawkes 刊の "Three Songs - from THE HEART OF THE MATTER" の楽譜を持っています。しかしながら音源がありません。「BBCのお宝を聴く」で Three Songs を含む "The Heart of the Matter" 全体を紹介されていましたが、今ひとつ曲のイメージが湧きません。何か音源をご存知ありませんでしょうか?

THE HEART OF THE MATTER(事件の核心)は、ペティットの伝記にありますように、1956年オールドバラ音楽祭からの実況中継によるラジオ番組のタイトルです。番組は、ホルンの短いファンファーレを前後に、テノールとピアノ、ホルンによる短い歌曲を途中に挟み、デーム・イーデス・シ(ッ)トウェル(1887-1964)が自身の詩を朗読する形で進行します。シトウェルは、北ヨークシャーの貴族出身の女流詩人で、「詩における音楽性」を追求するため、音楽を絡めた詩の朗読会をよく開いたと言います。この辺りは、英米文学の世界ですので余りボロが出ないうちに止めますが、ロンドンのナショナル・サウンド・アーカイヴで聞いたBBCの同番組テープによりますと、シトウェルの声は、低く、強く、男性にも劣らぬ声量を持っていました。

詩の内容は、私の低いヒアリング能力ではいささか難解でしたが、僅(わず)かに「ヒロシマ」とか「アトミック・ボンブ(原爆)」とかいう言葉が耳に入りましたので、戦時下のイギリスにおける時事問題を扱った内容では、と推測します。ブリテンの音楽は、いわゆる歌曲と放送音楽の中間に位置するのでしょうが、ホルンの妙技性も「セレナード」に比べ少しく地味と感じましたので、やや我慢しながら聴いていたというのが本当のところです。

CDは、テノール/ニール・マッキー、ピアノ/ロジャー・ヴィグノルズ、ホルン/バリー・タックウェル、語り/サー・ピーター・ピアーズという1985年BBC制作の録音からのCD化(EMI CDC 7 49257 2、P1987)があり、カンティクル第3番「なお雨は降り続ける」も入っていました。

バリー・タックウェルさて、このバリー・タックウェルですが先年引退を報じられて、やはり時の流れを感じました。1931年3月5日、オーストラリアのメルボルンに生まれ、13歳でホルンを始めて、僅か2年後、15歳の時、当地のヴィクトリア交響楽団と、追ってシドニー交響楽団と契約した、まさに誰かと同じような天才でした。1950年にイギリスに渡って、ハレ管弦楽団、スコティッシュ国立管弦楽団、ボーンマス交響楽団と渡り歩くうち、そのデニス・ブレインと知り合って、大いに示唆を得たと言います。

1955年、首席奏者としてロンドン交響楽団(LSO)に入団。1963年、イギリスからの初めてのオーケストラとして、また1964年、楽団創立60周年(DIAMOND JUBILEE)世界演奏旅行の訪問先として再来日し、イシュトヴァン・ケルテスの指揮でモーツァルトの2番の協奏曲を吹き、聴衆を唸らせました。

1968年、LSOを退団してソロイストとなり、1972年には単独で来日しました。その折り、西宮の教会で大阪テレマン・アンサンブルとのタックウェルのリハーサルを見られる、というのでバンドのラッパの先輩に連れていって貰いました。実は、初めて買ったLPレコードが彼のシュトラウス(ケルテス/LSO、キングSLC1857、P1970)で、胸のすく竹を割ったような音色に魅せられて何度も聴いておりましたので、ドキドキしながら見学したのを覚えています。曲はハイドンのニ長調の協奏曲で、レコードではかなり音を割った印象が強かったのが、今度はツーッと絹糸を引いたような音色でしたので、さすがにプロの演奏家はスゴい、と舌を巻きました。

レコードも多く、モーツァルトだけでも、1961年(LSO/ペーター・マーク)、1971年(ASMF/ネヴィル・マリナー)、1983年(ECO「吹き振り」)、さらにもう一度1990年(フィルハーモニア「吹き振り」)にも録音しました。私のお気に入りは上記シュトラウスと、ひたすらレガートで酔わせる1979年「シンギング・ホルン(邦題)」/ジェローム・カーン名曲集(EMI)の2枚。現在はイギリス・ホルン協会の会長さんとして活躍されています。

2002年2月2日 夢中人

9.掲示板改装後

name: 大トトロ@totoro's room - 2002年01月27日 0時21分39秒

・・・初めて書き込みます。

私のHPの中で「歌とホルン」のための作品を紹介しているページ
で、歌詞対訳に関して貴ページを紹介しています。つきましては
対訳ページの直接リンクを使用させて頂いています。宜しくご了承
の程お願い致します m(._.)m

それで、勝手なお願いなのですが、ブリテンのセレナーデの対訳を
加えて頂けませんでしょうか? 宜しくお願い致します m(._.)m

大トトロ様、歌とホルンのための作品編、早速拝見しました。シューベルトの「流れの上で」にかける熱情がひしひしと感じられ、またCDのリストでは、親愛なる国、デンマークのホルン奏者、アルバート・リンダーのアルバム(MUSIC FOR FRENCH HORN BIS CD-47)を掲載されておられるのを大変嬉しく思いました。

欧米のプレーヤーが来日してホルン協奏曲を演奏したのは、1964年、創立60周年記念世界一周演奏旅行で訪日したロンドン交響楽団のバリー・タックウェル(モーツァルトの2番、指揮イシュトバン・ケルテス)が最初ではないかと思っているのですが如何でしょうか?アルバート・リンダーは、それに遅れること数年、1970年代始めにNHK交響楽団に客演し、モーツァルトの3番を演奏しました。

アルバート・リンダーリンダーは、1954年から1957年まで、ザルツブルグ・モーツァルテウム管弦楽団のソロ・ホルンを務め、名匠ハンス・スワロフスキー/ウィーン国立歌劇場管弦楽団とのモーツァルト協奏曲全曲盤(Vanguard)が有名。1937年コペンハーゲンに生れ、コペンハーゲン、ウィーン、ザルツブルグでホルンを勉強し、すぐにヨーロッパ各国の主要オーケストラでソロを取るようになりました。

その演奏評に、�狒農欧蕕靴�ホルンの才能�瓠淵灰撻鵐蓮璽殴鵝法↓狎騎量吉罎覆覬藾奸▲�ラシックの伝統に基づいたフレージング。デンマークの音楽家に大喝采�瓠淵蹈鵐疋鵝法↓爛▲襯弌璽函Ε螢鵐澄次∪簗�なる音色と完全無欠なテクニックを披露…チケット完売の祝祭劇場で、聴衆この若き名人を拍手と熱狂で圧倒�瓠淵競襯張屮襯亜法↓爛妊鵐沺璽�人、アルバート・リンダーは、表情に富んだ技巧、類稀なリズムの落着き、無限のニュアンス、微妙な音色によって先人を凌駕�瓠淵献絅諭璽屐謀�。

さてN響アワーでテレビ放映されたモーツァルト。リンダーは頬に美しい銀色の髭を蓄えて登場しましたが、上記の数々の好評にも拘らず、意外や不調。 それを目の当たりにしたホルン初心者の私「ホルンて難しいんだなあ」と、さも人ごとのように思ったことを覚えています。

2001年1月27日 夢中人

8.弘法も筆の誤り

name: 夢中人 - 2002年01月26日 8時18分23秒

70年代初頭のNHKFM放送、ザルツブルグ音楽祭〜ラファエル・クーベリック指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会は今でも忘れられません。ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の第3楽章スケルツォ、あの有名なホルン三重奏で首席のロランド・ベルガーが最高音E♭を派手に外してしまったのです。それからが大変で、怒ったように特大の音で吹き捲くりました。

曲が終わって、解説者のNHK交響楽団正指揮者、森正さんが「あのウィーン・フィルでもあんなことがあるんですねえー」と嘆息されていました。後年(1984年)、ウィーン・フィルがロリン・マゼールと来日した際、渋谷のNHKホールで同じ曲をやりまして、ホルンが6本もいて、トップはやはりベルガー。今度はスケルツォのトリオも完璧、かつ昔ラジオで聴いたのと同様、ホールはウィンナ・ホルンの大音響で埋め尽くされました。今回は大勝利でしたが、正直やれやれという思い。

ところで昨日、旧掲示板で教えて頂いたDuttonの新譜「グリラー弦楽四重奏団モーツァルトの五重奏を弾く」(CDBP 9717)を漸く入手し、デニス・ブレインのホルン五重奏曲を聴きました。オリジナルのSPはDECCA、K1138-39でこれまでDECCA(LONDON)やPearlからCD化されましたが、やはりMichael Duttonのトランスファーはちょっと別格です。冒頭でホルンは篭(こも)っているかな?と思った瞬間、ヴァイオリンが素晴らしく飛びこんで来ました。ノイズをほぼ完封しながら音楽が力を失わない、いつもながらのスゴさ。

DuttonのCDはAR8742-45というマトリクス番号を使っており、この盤は第1楽章、頭から3分付近で デニス・ブレインが下降音階の最初の音、Aを外すのですが、私はこれを大発見と勘違いしました(→ブレイン四方山話、第28話「変なレコード」)。既に以前キングから国内盤CDが出た際に、とかく話題になったようなのです。

今までにBBCやヨーロッパの放送局のアーカイヴに残るデニス・ブレインの生演奏が掘り出されて、そのどれもが完璧なのは驚くべきことなのですが、そんなデニス・ブレインが音を間違えるのが商業レコードで残っている、というのが凄い。実は上記DECCA盤に加えて、もう1枚。「グラインドボーン祝祭オペラ1950/モーツァルト/コシ・ファン・トゥッテ(抜粋)」(Testament SBT1040)のTrack 16にありますフィオルディージのアリア「お願い、恋人よ、お許し下さい」のリハーサル録音。

ペティットの伝記はデニスがその難しいホルンのオブリガートをあまりにも素晴らしく吹いたため、指揮者のフリッツ・ブッシュが「今度は私だけのために」と頼んだ、という有名なエピソードを伝えており、CD本編はそれを再現しますが、Testamentはその「おまけ」で、 Even Homer sometimes nods (弘法も筆の誤り)と言いたかったのでしょうか。

7.ナチュラル・ホルン

name: 夢中人 - 2002年01月23日 23時41分22秒

ナチュラル・ホルンヘルマン・バウマンがナチュラル・ホルンを使用したモーツァルトの協奏曲全曲LPが出たとき、かなり話題になりました。伴奏のニコラス・アーノンクールとウィーン・コンツェントゥス・ムジクスがメキメキと売りだし中でしたし、とにかくモーツァルトが譜面にいろいろな色のインクを使ったり、「うすのろ」とか「もう少しだ、頑張れ!」と書き込みを残したあのイグナーツ・ロイドケープの演奏を現代に蘇らすことをすぐ連想させましたから。

ところがバウマンもアーノンクールも生真面目な演奏な上、やはりクロマティック・ホルンに慣れた耳には、ナチュラル・ホルンのいささかギクシャクとした演奏は心地良く聞こえなかったようです。バウマンは1978年に再度モーツァルトの全曲を今度はモダン楽器で、ザルツブルグ・モーツァルテウムのオーケストラと録音しましたから、以前のナチュラル・ホルンによるLPは内心ベストとは思っていなかったのかも知れません。

実は、似たような話が里(明石)でもありました。里のヘルマン・バウマン(清水君)はモーツァルトの2番の協奏曲を、それも吹奏楽伴奏でチャレンジしたのですが、ゲネプロの段階でナチュラルを断念しました。ご存知のとおり、自然ホルンで半音階を鳴らすには右手をベル(朝顔)に突っ込んで、音をストップした状態にします。それで音色も変わるし、何より音量が極端に落ちるので、大編成の吹奏楽伴奏ともなると、音が後ろの方まで聞こえない、ということに直前になって気が付いたという訳です。

デニス・ブレインはレコード録音こそしませんでしたが、BBCラジオ3での講話「初期のホルン」でナチュラル・ホルン(ラウー)を吹いています。それもあのブリテンのセレナードの冒頭プロローグを。またアンヴィル映画社のベートーヴェン/ホルン・ソナタの最初の解説でも。何れもちょっとだけですが、ナチュラル・ホルンを親しみやすく紹介したのは彼が最初でした。

6.ホルントリオ雑感

name: KAZU@支店長 - 2002年01月23日 22時15分36秒

オーブリー・ブレインこちらの掲示板には久しぶりの書き込みです(こんなところで油売ってないでサイト更新しろ!と社長[夢中人様]に怒られそうですが…)。

私、昨年の夏に将来有望な若手ヴァイオリニスト(現在ヴェルサイユ音楽院[かつてあのテヴェ氏も教鞭をとっていた学校]に留学中)のコンサートにゲストとして参加して、この曲を演奏しました (コンサートの写真が彼のサイトに掲載されています。

この曲はトリオでありながら4楽章構成であり演奏に30分近くかかるため、週末プレーヤーで耐久力のない私にはかなりキツイ曲でしたが、セルマーのコルのおかげで何とか全曲吹き通すことができました(以前ホルトンで吹いていたころは全曲演奏はできなかった)。細ボアのコルはコントロールが難しい反面、少ないエネルギーでも鳴ってくれるため、かなり助けられました。

そしてこの曲を演奏するにあたって当然テヴェやヴェスコーヴォの演奏は参考にしたのですが、直前に一番聞き込んだのが実は夢中人様ご推薦のオーブリーの演奏だったのです。なぜならば彼の音色は前述のフランスの二人を除けば最も音がフレンチスタイルに近いからです。彼のF管ラウーの音は同年代にドーヴァー海峡の対岸で活躍していた名手ドヴェミーやテヴェの師匠ヴィエルモに共通するものがあります。私たちはついヴィブラートの有無などスタイルの違いに耳が集中してしまうのですが、その核となる音は芯がありにごりのない純粋なものであり、戦前フランスの奏者たちと酷似しています(アタックやレガートの奏法には違いがありますが…)。彼が晩年私と同じセルマー製のコルを使用したという事実が両者の間には本質的な違いがなかったことを証明していると思います。

深い悲しみを湛えた母への挽歌であるあの三楽章の穢れのないニュアンスは、ヴァルトホルン以外ではそれに最も近いといわれているウィンナホルンもしくは細ボアのコル以外では表現しえないのではと私は思いました。

5.ブラームス/ホルン三重奏曲、変ホ長調作品40

name: 夢中人 - 2002年01月19日 13時58分43秒

倉庫の整理(最近こればっかり)をしておりますと、真新しいEdition Petersのブラームス/ホルン三重奏曲の楽譜が出てきました。実はまだ20代の頃、一生に一度で良いから吹いてみたいと心に決めて、買ったのはいいが全く使いもしないで何時しか倉庫行きとなっていました。バカなことを考えていたもんだ、と思いつつページをめくるとタイトルの下にfur Waldhornの大書き。これは一体どうしてでしょう?

ブラームスのホルン、ヴァイオリンとピアノの為の三重奏曲変ホ長調は、1865年5月に作曲されました。その頃ブラームスは32歳、友人シューマンを失ったことから未だ立ち直ることができないでいましたが、さらにその年の2月、母親が亡くなりました。このヴァイオリン、ピアノと狩りのホルン(ヴァルトホルンまたはコルノ・ダ・カッチャ)という変わった楽器の組み合せを選ぶ際、ブラームスは単にそれまで例のない編成にするだけではなく、個人的な必要を満たそうとしたのです。この人生で最も困難なときに、ブラームスはこの楽器の音色にまつわる特別の思い入れが決定において重要な役割を果たしました。というのもブラームスは少年時代、家で夜両親と音楽に興じる時、チェロやピアノと狩りのホルンを吹いていたのです。

そのアダージョからは、本当に心から愛した母のことを悼む愛惜の念が溢れ出ています。最愛の母を慰めるために吹き、そして作曲したブラームスは「新しいヴァルヴ付きホルンではなく、ヴァルトホルン(自然ホルン)を使用するように。」とはっきり明言した訳です。

ブラームスの最も詳しい伝記作家、マックス・カルベックによると、ブラームスは何度もデトモルト宮廷オーケストラの名ヴァルトホルン奏者、アウグスト・コルデスに会って、すると必ず、とにかくヴァルヴ・ホルンを使わないよう懇願した、といいます。デトモルト宮廷における1865年12月の三重奏曲初演でブラームスと共演したのはこのコルデスだったと思われますが、果たしてブラームスの願いどおり自然ホルンを吹いたのかどうか。

レコードでは作曲家の思いとは裏腹に、現代のホルン奏者たちは、ヴァルヴ・ホルンでその腕を競います。デニス・ブレイン(1957年2月15日、BBCスタジオ)をはじめアラン・シヴィルやバリー・タックウェルらイギリス勢、ベルリンのゲルト・ザイフェルトやノルベルト・ハウプトマン、メーニッヒを吹くペーター・ダームらドイツ勢、リュシアン・テヴェやアンドレ・カザレのフランス勢と各国のあらゆる名人が録音を残していますが、その本当のところはF管ホルンを吹いたオーブリー・ブレインやウィーンのフランツ・コッホの古い録音のくすんだ音色が作曲家の意図するところに最も近いということでしょうか。

4.マルコム・アーノルドのホルン協奏曲第2番

name: 夢中人 - 2002年01月17日 21時28分10秒

ペティット著、山田さん訳のデニス・ブレイン伝の付録「初演リスト」の最後に載っているのが、マルコム・アーノルドのホルン協奏曲第2番作品58。1957年7月、チェルトナム音楽祭で作曲者の指揮、ハレ管弦楽団の演奏。恐らくデニス・ブレイン最後の協奏曲演奏であり、かつ録音が残っていない数少ない(?)一つと言われています。

曲は1956年12月完成、ちょうどその数週間前のホフナング音楽祭でデニス・ブレインはアーノルドの「大々的序曲」でオルガン奏者として登場した頃。両端の楽章は、半音階による速い上昇と下降の連続で独奏ホルンのヴィルテュオーゾを目一杯発揮しますが、真ん中のアンダンテ・グラチオーソは、時を超えた現代のジムノペディ(古代ギリシャのスパルタでデルフィのアポロ神殿で裸体の青年達が合唱をバックに歌いながら行う儀式と結びついた踊り)であり、作曲者の言葉によると、「ひたすらデニス・ブレインの素晴らしいカンタービレ演奏を使うために書いた」とあります。

マルコム・アーノルドはデニス・ブレインと同じ1921年生れであり、若い頃はロンドン・フィルハーモニー管弦楽団のトランペット奏者でしたから、もとは同じ「ラッパ」吹きであり終生変わらぬ友人でもありました。そんな訳ですから、この初演者の録音の無い曲をフィルハーモニアの同僚、アラン・シヴィルでもって2度録音する機会を設けました。

一度はBBC放送で1969年3月3日。ロンドンはヴィショップゲート・インスティテュートで作曲者自身の指揮するイギリス室内管弦楽団と、またもう一度はEMIでのレコーディングで1984年9月に。こちらはノーマン・デル=マーの指揮するボーンマス・シンフォニエッタで作曲者同席という形。

BBC放送録音は1996年、BBC-Radioクラシックスでアーノルドの生誕75周年記念自作自演集(日本クラウンCRCB-6108/09、P1998)として世に出ました。シヴィルのホルンは、後年のEMI録音では音色が堅く、やや破裂気味なのが気になりましたが、放送録音はもっと自然な感じです。

3.あれれ・・・

name: koba - 2002年01月14日 13時44分58秒

テヴェの掲示板が休止に・・・。
ちょっと(実はかなり)残念ですね。

2.という訳で掲示板変えました

name: 夢中人 - 2002年01月13日 23時22分29秒

【始めにあたって】
(1)Wordで書いた文章を「すべて選択」してそのまま内容に「貼り付け」て投稿することが出来ます。
(2)文字化けした場合、IE(Internet Explorer)では「表示→エンコード→日本語(自動選択)」で直ります。
(3)前の掲示板に投稿頂いた方、ご免なさい。でも今後は過去ログをちゃんと保管するようにします。
(4)投稿でHTMLのタグも使えます。


1.デニス・ブレインの楽器の行き先

name: 夢中人 - 2002年01月13日 20時59分01秒

昨年ロンドンのホルン工房、パックスマンで売りに出されていたデニス・ブレインのアレキサンダーB♭シングルホルンの行き先が決まりました。その「理想の我が家」はロンドン王立音楽院(アカデミー)で、そのヨーク・ゲート・コレクションに恒久的に展示される予定。売値は非公開。アカデミーのカーチス・プライス主任教授曰く「最高の宝石のように扱いますよ。」また、リチャード・ワトキンスやマイケル・トンプソンらアカデミーの教授による演奏の機会もありそうだとか。 

以上、イギリスホルン協会HP「News」のページより

尚、同ページにはデニス・ブレインの未公開写真も掲載中。
ロンドン王立音楽院のヨーク・ゲート・コレクションについてはhttp://www.ram.ac.uk/museum/をご覧下さい。

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