logo

前へ | 過去ログメニューへ次へ

80.モーツァルトのホルン協奏曲

name: Favart - 2002年08月04日 0時38分13秒

手持ちの3枚のレコードを聴き比べてみました。
・第2番(1946年3月27日、ジュスキント/PO、HQM1033)
・第3番(1953年5月4日ライヴ、ケンペ/ベルリン放送交響楽団、RCL-3319)
・第3番(1953年11月、カラヤン/PO、EAC-81052)
ジュスキント盤は音色がスリムで魅力的でした。ケンペ盤はライヴ録音のせいか音がボテボテした感じがしました。カラヤン盤は聴き慣れたブレインの音ですが、ジュスキント盤と随分音が違うようです。ケンペ盤はもしかして愛用のホルンがドイツの税関で止められたときの「代用のホルン」での録音でしょうか。
モーツァルトは当時のホルン奏者ロイトゲプととても仲がよかったそうで、たくさんのホルンの曲が残ったのもロイトゲプのおかげと思います。最近読んだ本によるとホルン協奏曲第1番はモーツァルトの絶筆だそうで、「レクイエム」と同様に不肖の弟子ジュスマイヤーの補筆にゆだねられたとのこと。ジュスマイヤーには女房を寝取られた上に、大切な作品まで作者の意思に反する勝手な補筆をされてしまったそうです。(石井宏「モーツァルト、その知られざる遺言」1990年前後)クサヴァー・モーツァルトはコンスタンツェとジュスマイヤーの不倫の子だそうです。かわいそうなモーツァルト!
ところで、ガリエラはアラウと「皇帝」を入れているそうです。ヘブラーとモーツァルトの協奏曲も入れていたような気がします。(うろ覚え)
ミケランジェリはGracis/POでラヴェルとラフマニノフの第4番の協奏曲を入れていますが、ラフマニノフの4番ではブレインは吹いていないのでしょうか。(夢中人様のディスコグラフィーに入っていなかったので)
オスマンのURLありがとうございました。今は例の本は掲載されていないようです。

Favart様、ご明察です!スティーヴン・ペティット/山田淳さん訳「奇跡のホルン(デニス・ブレイン伝)」208頁の記述からよくぞ推察下さいました。RIAS響との演奏にはそんなエピソードが隠されていたのですね。ありがとうございました。ジャケット解説で故三浦淳史さんは、指揮者を伝記にあるパウル・ファン・ケンペンではなくイタリアの原盤のいうルドルフ・ケンペが正しいとしてその名前をクレジットされました。それでどちらが正しいかケル・モーセンに尋ねましたら、絶対ケンペンが正しいとのこと。昨年日本の弁護士の方が出版した「ケンペの本」ではどうでしょうね。

モーツァルトがロイトゲープ(ロイトゲプ)の為に書いた作品群もこの4半世紀で随分研究が進んだものです。もし機会がありましたらイギリスのマイケル・トンプソンがNAXOS(8.553592、P1998)に入れた「モーツァルト:ホルンと管弦楽の為の作品全集」をお聴き下さい。モーツァルトが作曲した順に収録されています。もちろん1番は1番最後にきています。調性が他がすべて変ホ長調なのにどうして1番だけニ長調なのかご存知でしょうか?未完曲の「再構築」にあたったジョン・ハンフリーズがライナーで述べます。第3番が作曲された1787年当時、既にロイトゲープ(55歳、42歳?)は上のA以上の高音はご勘弁を、という感じだったそうで、1791年最後の年、書かれた1番は調性を下げて(E♭→D)作曲された、という訳です。何ともやさしい話ですが、替管を使わない現代のホルン奏者には指使いが複雑になって逆に難しくなりました。またこのCDでは、今時のイギリスの奏者が好む音色(アメリカン・ダーク・サウンドとヨーロピアンのブレンド)を高カロリーな音質で楽しめます。

ミケランジェリのラフマニノフ第4、デニス・ブレイン吹いています。またまたすみませんです。 夢中人

79.イザイ・ドブロウエン(1894-1953)

name: 夢中人 - 2002年08月03日 21時34分24秒

イザイ・ドブロウエン、あるいはイサイ・ドブロヴェーン Dobrowen, Issay (Alexandrovich) (Nizhny Novgorod, 1894 - Oslo, 1953) 。5歳で天才ピアニストと言われ、モスクワ音楽院でセルゲイ・タネーエフに作曲を、ウィーン音楽アカデミーでピアノをレオポルド・ゴドフスキーに学びました。1917年、モスクワ音楽院教授。1919年にはボリショイ・オペラで指揮デビュー。1922年、ドレスデン歌劇場にて「ボリス・ゴドノフ」ドイツ初演。その後フリッツ・ブッシュとともに首席指揮者。1924年、ベルリン国民歌劇場、1927年、ブルガリア国立歌劇場。その間ベルリン・フィルやドレスデン・フィルに客演。1930年、フランクフルト博物館演奏場、サンフランシスコ交響楽団、1933年、同音楽監督。1939年、エーテボリ交響楽団。1941年、ストックホルム王立歌劇場。戦後、1948年から1951年はミラノ・スカラ座でロシア歌劇を指揮。コベント・ガーデンで1952年「フィガロの結婚」、1953年1月「ボリス・ゴドノフ」。同年12月、オスロで亡くなりました。

初録音は、1929年、ベルリン国立歌劇場管弦楽団とスラブ舞曲など。1934年、ブロニスラフ・フーバーマン、ウィーン・フィルとバッハ、モーツァルトのバイオリン協奏曲。1946年、レッグにフィルハーモニアに招かれてからはロシア物を中心に盛んに録音しました。チャイコフスキーの第4(1946.6.24-25、1947.5.6.、1948.2.3)ソロモン(1902-1988)とのピアノ協奏曲でスクリャービン(1949.5.23、24)、チャイコフスキー、第1番(1949.5.26-28)ボロディンの「ダッタン人の行進」(1949.5.25)「イーゴリ公」序曲(1949.5.18、26-28、デニス・ブレインの最善のソロあり)。リムスキー・コルサコフの組曲「サルタン大王」(1952.12.4)同「金鶏」(1952.12.5)、「シェヘラザード」(1952.12.17、18、21、1953.1.5)。Testamentは、ずいぶん前に「シェヘラザード」の発売を予告しましたが、未だ実現していません。またORTF(フランス国立放送管弦楽団)との「ボリス・ゴドノフ」は決定盤とされています。

独襖のレパートリーではベートーヴェン、ピアノ協奏曲第2、3、4(1946.6.5-7、1947.5.30-31、5番はアルチェオ・ガリエラ)。フィルハーモニア初録音の交響曲第5(1946.6.26)、レオノーレ第3番(1947.5.2、6)もありますが未発売。ジネット・ヌヴー(1919-1949)とのブラームス、ヴァイオリン協奏曲(1946.8.16-18)。ソロモンとのブラームス、ピアノ協奏曲第2番(1947.4.29-5.1)冒頭のソロ、ラウーなんでしょうね。フィルハーモニア完全ディスコグラフィーでベートーヴェンの第3は78回転盤の番号(DB)が付いていませんが、これはアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)がどこか1箇所トリルを間違ったので本人が再録音するまで発売を差し止めたためで、結局果たせずに亡くなってからLPのGRシリーズでそのまま発売したという訳でした。それがどこかというので一生懸命聴いてみましたが、あんまり素晴らしいのでそのうち忘れてしまいました。

1953年、ドブロウエンが亡くなった時、ウォルター・レッグは「ロシア危機」だと言ってHMVと契約切れになっていたイーゴリ・マルケヴィッチを「是非得意のロシア物で」と口説き落として今度はコロンビアで契約したという話です。確かにそれまでのマルケヴィッチの録音はヴェルディやブラームスとどうも似つかわしくないものが多かったようです。


78.アルチェオ・ガリエラ(1910-1996)

name: 夢中人 - 2002年08月03日 15時42分15秒

最初の頃のフィルハーモニア管弦楽団。その初演奏会を指揮したサー・トーマス・ビーチャムの「私に任せなさい」的申し込みを断って、ウォルター・レッグは常任指揮者を置きませんでした。しばらくワルター・ジェスキントやコンスタント・ランバートなど「国内調達」していましたが、1946年、ヨーロッパから3人の指揮者(イザイ・ドブロウエンとアルチェオ・ガリエラ、そしてパウル・クレツキ)を呼んできました。今日はそのうちアルチェオ・ガリエラ Galliera, Alceo (Milan, 1910 - Brescia, 1996) について。

オックスフォード音楽辞典によりますと、ガリエラはイタリアはパルマとミラノ音楽院で学び、1932年、ミラノ音楽院でオルガンと作曲講師。1941年、ローマで聖チェチーリア音楽院管弦楽団を指揮してデビュー。沢山のオーケストラやスカラ座を客演。ちょうどこの頃、EMIのレッグに見出された訳です。1948年にはザルツブルグ音楽祭でウィーン・フィルを指揮した記録もありますので、比較的短期間で上まで行った感じです。

竹内喜久雄さんは、著書『コレクターの快楽』(洋泉社、1994年)の巻末にアルチェオ・ガリエラ・ディスコグラフィーを付けられました。それによりますと初録音はアルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリとのグリーグの協奏曲(1942.2.9録音、独テルデック)のようです。フィルハーモニアとの録音は、ディヌ・リパッティとのグリーグ/ピアノ協奏曲(1947.9.18、19)やデニス・ブレインとのシュトラウス/ホルン協奏曲第1番(1947.5.21)、マリア・カラスとの「セビリアの理髪師」(1957年2月、ステレオ)など伴奏指揮したものが有名でずっとカタログにあります。

実は管弦楽のレパートリーも結構録音がありまして、未だCD化が進んでいません。シュトラウスの「ドン・ファン」が2回(1946.8.20、1957.1.28)、ドボルザークの「新世界」2回(1947.3.1、1953.10.8)、ベートーヴェンの7番(1950.2.25)、ロッシーニの序曲を2通り(1953年と1959年=これのみCD化済)、ワーグナーの「ジークフリート牧歌」(1957.1.28、29)などホルンの活躍する曲ばかり。それととびっきり楽しいヴォルフ=フェラーリの「スザンナの秘密」序曲が2回(1953.10.15、1956.6.13)。どれも埋もれたままでは本当に惜しい。

ガリエラはカラヤンのようなビッグ・ネームではありませんが、大雑把のようでいて盛り上げ方が大変上手く、金管楽器をかなり強調する私好みの指揮者です。その後のキャリアは1950年から1年だけメルボルンのヴィクトリア交響楽団音楽監督、1957年から1960年までジェノア、カルロ・フェリーチェ歌劇場常任指揮者、1964年から1971年までストラスブール市立管弦楽団音楽監督兼常任指揮者。またシエナの音楽院で教授する傍らバレエやオーケストラ曲、室内楽、歌曲を作曲したといいます。竹内さんのディスコグラフィーによりますと、最後のメジャーレーベルへの録音は1970年、オランダ・フィリップスへのベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番(独奏イングリッド・ヘブラー)、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団となっていました。



77.ホイのホイのホイ

name: Favart - 2002年08月02日 23時41分36秒

何となく音楽的(?)になってきましたが、ひとまず在庫がまだあるとのことでよかったです。ところで、夢中人様、Robert L Mershall : DENNIS BRAIN ON RECORD(Margun Music,Inc. 1996)の方ですが、OSMAN MUSICのURLを教えていただけないでしょうか。価格、在庫などを調べてみたいと思います。よろしくお願いいたします。オスマン・トルコ軍楽隊はたまに聞きますが、オスマン・ミュージックが分りません。

76.ブレイン伝「奇跡のホルン」。補遺。

name: CATO - 2002年08月02日 0時23分42秒

72」で、私がAmazonでは入手できなかったこと、また、「74」ではFavartさんが書店で買えたことを掲示しました。

どうなってんのかと思い、春秋社のホームページで申し込んだら、「発送する」とのお返事がもらえました。 ということで、伝記はあります。私の掲示がこれから読もうとしている方々に誤解を与えないように、補足させていただきました。

(補遺の補遺)春秋社HPの「奇跡のホルン」のページはhttp://www.shunjusha.co.jp/book/93/93451.htmlです。 夢中人

75.僭越ながら紹介させていただきました

name: 加藤 幸弘 - 2002年07月29日 0時04分30秒
url: http://homepage1.nifty.com/classicalcd/

 はじめまして,加藤幸弘と申します。

 最近このサイトを知り,愛情溢れるページづくりと,貴重な情報の数々には,ひたすら感心しています。

 また,CD制作についても,その熱意はもちろんのこと,完成したCDも素晴らしい出来栄えのようで,さっそく入手の手配をいたしました。

 それから大変僭越ながら,私のHPでも紹介させていただきました(クラシックCDの雑談の7月28日の書込みです。)。事後報告となってしまい恐縮ですが,少しでも多くの方にこのCDのことを知ってほしいと思っています。

 http://homepage1.nifty.com/classicalcd/etcetera/etcetera.htm

 かけ足の書込みとなってしまいましたが,今後ともよろしくお願いいたします。


74.伝記のことなど

name: Favart - 2002年07月28日 23時06分13秒

ブレインの伝記(ペティット著、翻訳版)の在庫が少なくなり気になっていましたが、運良く本屋で入手できました。ディスコグラフィーを見ると、早世のわりに録音が多く驚きました。私の好きなモーツァルトの録音も多くあり、興味津々です。しかも、同じ曲を数回録音しているものもあり、演奏の変遷を聴き比べることができそうです。曲目も幅広く、さらにディスコグラフィーに掲載されていないオケでの録音も多数あるでしょうから、なかなか聴き応えがありそうです。
本文の中の事故でペチャンコにつぶれたホルンの写真は涙を誘います。
ロイヤル・アルバート・ホールやロイヤル・アカデミーのことが書かれていますが、1984年にロンドンに行った時のことを思い出しました。宿泊したホテルからケンジントン公園に散歩に出かけましたが、その途中にロイヤル・アルバート・ホールがありました。(残念ながら演奏会には行っていません。)そして、たしかホールの裏手の方(公園とホールの間あたり)にロイヤル・アカデミーがあったような気がします。弦楽器やトランペットの練習の音が通りから聞こえました(間違っていたらごめんなさい)。蛇足ですが、ケンジントン公園は広く、そして美しくホッと心が安らぐ場所でした。「ピーター・パン」の話に出てくるラウンド・ポンド(丸池)があり、公園の「すずめ」は日本と違って人なつこく、人の手のひらからエサをもらっていました。
ところで、カラヤン/POの「ロ短調ミサ曲」(XL5095〜5097)のクオニアムを聴いてみました。ブランデンブルク協奏曲と同様、奥ゆかしく折り目正しい演奏と思いました。

Favart様、ケンジントンの光景、目に浮かぶようです。次回お運びの節は是非隣接したハイド・パーク横のホテル、ドーチェスターでディナーをお取り下さい。それから枝葉末節で恐縮ですがロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージック(RAM)は、メリルボーンにありましてロイヤル・アルバート・ホール近くにありますのは、ロイヤル・カレッジ・オブ・ミュージック(RCM)です。ご承知のとおり、デニス・ブレインはRAMで父オーブリーに学び、ノーマン・デル・マーはRCMでフランク・プロビンに学びました。 7月29日 夢中人

73.(欠番)


72.シェーンベルク・ブレイン・・ブリテン

name: CATO - 2002年07月27日 0時06分10秒

夢中人さん、
早速のご回答有難うございました。あまり残念を連発してもなんにもなりませんが、やはり人生が短すぎたんですね。
前々から、この掲示板を知る前から、ブレインがどんな曲を残しているのかが気になっていました。そして今回教えていただいた中のマーラー四番までは知っていて、これまた凄い名演で、折に触れて聴いていました。

ところで、シェーンベルクをまとめて聴く時期があり、その時木管五重奏の録音を調べました。勿論ブレインは未録音でした。結局、国内盤で唯一発売されていた日本のヴァンヴェールというグループのCDを求めて聴きました(録音もいいし、うまいです)。「1950年代のフィルハーモニアはストラヴィンスキーまで」なんですね。新ウイーン学派の音楽がイギリスで演奏されたり、録音されたりする事情はどうなんだろうかと思い、ブレインの伝記の翻訳をAmazon.comで購入しようとしましたが「現在入手できない」との返事でした。
音楽受容に文化的バリアがなく、何でも来いのちゃんこ鍋的音楽環境を享受している我々と比較して、クセのありそうなイギリスにおけるシェーンベルク等の受容過程に興味があります。60年代以降に、PO初めイギリスの名人たち及びその後継者たちは、いわゆる新しい音楽にどう取り組んだんでしょうか。ブリテンの存在が大きかったことは想像できます。また、ブーレーズが昔BBCを率いてウエーベルン全集なんか作っていることは知っていますが。


71.質問させてください

name:CATO - 2002年07月25日 21時14分25秒

夢中人さんの薀蓄でなりたっているこの掲示板。
質問を一つ。コメントはいつでも結構です。
ブレインが新ウイーン楽派等の無調もしくはセリーの曲を担当している録音はあるんでしょうか?
ブレインがあと20年長生きし、シェーンベルクがあと5年長生きしてたら、シェーンベルクのホルン協奏曲があり得たと思うと、悔しいです。

古いホルンCATO様 Weber(ウェーバー)はありますがWebern(ウェーベルン)はありません!1950年代のフィルハーモニアはストラヴィンスキーまでで、マーラー、ブルックナーは4番です。バルトークの管弦楽の為の協奏曲あります。RPOはシュトラウス(リヒャルト)とディーリアスとロリポップ。これじゃカタログを並べただけで返答にならないですね。お詫びに昔のホルンの絵もう1枚貼り付けます。 7月26日、夢中人

前へ | 過去ログメニューへ次へ