憧れのデニス・ブレイン

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640.マシューズとブレインの写真

name: 円号 - 2003年11月23日 0時31分27秒

FAVARTさん
「奇跡のホルン」123ページと同じ写真、縦15センチ、横20センチのものが「The Art of Dennis Brain」EMI RLS7701(3枚セット)に載っております。
ブレイン、マシューズともに軍服、写真の範囲は、左はベルに入れたブレインの右手が完全に写り、右は、スタンウェイと書かれたピアノの蓋が写っています。上はマイクの上部まで、下はブレインの軍服の上着がベルトのバックルから開いて左腿にかかっています。ブレインの右肩越しに見えるのはスチームのラジェーターでしょうか。場所はアビ―ロードスタジオ、1944年の撮影です。
二人の真剣な眼差しが何ともよいですね。


639.いろいろ

name: Favart - 2003年11月22日 23時54分50秒

CATOさん
ジャック・エーマンをご存知とは!ジャック・エーマンのレコードは以前ヤフー・オークションで見かけました。ビクター・レコードに録音していた小品(日本、ロシア、フランスなどの小曲)を集めて12インチLP2枚にまとめたもののようです。フルート、ハープ、チェロの組み合わせが多いようで、ハープ/山畑松枝、阿倍よしゑ、チェロ/常松之俊、井上頼豊、マリンバ/三宅勇輔といった方々の演奏ではないかと推察しています。

夢中人さま
1954年のカラヤン/N響ライヴとは珍しい録音をお持ちですね。吉田さんのN響在任期間は1942年2月〜1963年(1942年5月から主席奏者)、21年間とのことで、この頃のN響の録音を聞いているとフルートがうまいな!と思うことが時々あります。
カラヤン/N響のティル・オイレンシュピーゲルのホルンは千葉馨さんかもしれませんね(ただしブレインに師事する前。N響在任期間=1948年〜1983年=35年間)。カラヤンとの練習は大変だったことでしょう。
村田武雄/吉田雅夫の対談は愉快でした。カラヤン/POを誉めちぎりたい村田氏に対して吉田氏はブレイン、ジャクソンを誉めるけれどもPOについては辛口の意見で一歩も譲らないところが面目躍如。「ウィーンのオーケストラですと、弦楽器が非常にきれいでしょう。それからパリでは管が何ともいえない。そういう特徴がこのフィルハーモニアにはちょっとないのじゃないかと思いますね。」なかなか・・・。

吉田さんの口を「ヘの字」したアンブシュアは特徴的でした。
1970年ころ新宿の朝日生命ホールで無料のコンサートが定期的にあり、吉田さんの演奏を何回か聞きました。バロックの室内楽が多かったようです。(もちろん有料のコンサートにも何回か行きました。)


638.ジャック・エーマン追悼

name: CATO - 2003年11月21日 21時40分12秒

表題の洋風名をご存知の方は、50歳以上でN響通。
日本人の名前で録音すると売れないので、シャレで天邪鬼のアナグラムで録音して、結構売れたというシャレのような話を吉田雅夫さんがされていた放送がつい最近のような感じです。
北村源三:トランペット、千葉馨:ホルン、浜中浩一:クラリネットは、カラヤン黄金期のベルリンを思わせるN響の絶頂期でした。合掌。


637.虫の知らせ

name:Favart - 2003年11月21日 1時08分43秒

632で吉田雅夫さんのことを書き込んだあとで、「お元気かな?」とちらりと思ったりしていたところ・・・。
尾高尚忠/Fl協奏曲(1961年2月録音、岩城宏之/N響)は何かに取り付かれたような名演奏です。そして、シュヒター/N響のモーツァルトのFl協奏曲第2番(1957年5月録音)も鬼気迫る名演奏です。吉田さんの忘れられない演奏です。この2曲のホルンは千葉馨さんのような気がします。

吉田雅夫さん(レコード芸術昭和31年12月号より) 吉田雅夫さん(写真:レコード芸術昭和31年12月号より)をしのんでカラヤン/N響ライヴ1954、悲愴交響曲を聴きました。解説書に吉田さんのフルートについて触れられています。またカラヤンの1954年来日公演記録が載っていてそれによると最初の演奏会の第1曲目はお得意の「ティル・オイレン・シュピーゲルの愉快ないたずら」でした。

 吉田さんはこのときカラヤンに認められてヨーロッパに留学、翌1955年カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団による第九ウィーン録音の現場に立ち会われました(→その時のお話)。私がクラシックを聴き出した70年代にはすでにN響を退団されていてテレビには主に解説で登場されていました。バンドの先輩がよく吉田さんの特徴あるアンブシェアーを真似てみせてくれました。ちょっとユーモラスだったように思います。

11月21日20時57分 夢中人

636.音楽アーカイブ

name:CATO - 2003年11月16日 23時27分14秒

634、635のお二人のコメント有難うございます。この歴史的演奏会を20歳の学生で聴かれた方が今67歳ということは、まだまだこの夢の演奏会の鮮明な記憶が残っていらっしゃることでしょう。
おっしゃるように、しかるべき機関で、しかるべき予算で、しかも国際共同企画で保管に力を入れてほしいものですね。例えば、前にもここに書いたと思いますが(掲示が636番目ともなると、探さない!?)、『奇跡のホルン』にある、1950年にブレインが二回も演奏したというシェーンベルクの木管五重奏の録音が無いはずが無いと思うんですが、散逸、消滅と思うとまことに残念です。


635.634の訂正

name:Favart - 2003年11月16日 21時17分52秒

フンデミットとはドジをフンデしまった。
失礼しました。

(↑)座布団一枚!ハンス・ピッカのサイトに1956年来日当時の朝日新聞掲載写真がUPされています。→こちら 夢中人

634.フンデミット指揮/VPO/フライベルク/のモーツァルトK.447(1956)

name:Favart - 2003年11月16日 21時12分41秒

CATOさんのおっしゃるとおり、1956年VPO初来日の時にホルン協奏曲第3番が演奏されていました。
1956年VPO来日公演は4/4(水)〜4/27(金)に16回の演奏会が開かれています。指揮はすべてパウル・ヒンデミットです。
K.447は4/23(月)日比谷公会堂にて1回だけ演奏されています。
当日のプログラムは
バッハ/組曲第2番(フルート:不明→ニーダーマイヤー?)
モーツァルト/ホルン協奏曲 第3番 K.447(ホルン:ゴットフリート・フライベルク)
ワーグナー/ジークフリートの牧歌
ベートーヴェン/交響曲第4番

*いやはや、歴史的な演奏会ですね。NHKかどこかにニュース・フィルムや放送録音が残っていてもよさそうな気がします。こういった歴史的な記録は国のしかるべき機関で保存しても良いのでは?民間まかせではせっかくの歴史的な資料も散逸してしまう可能性が高くなります。少なくとも多額の視聴料収入のあるNHKにはがんばってもらいたいです。

4/15(日)には宝塚の宝塚大劇場で上記のプログラムのホルン協奏曲をモーツァルト/ファゴット協奏曲(ファゴット:カール・エールベルガー)に入れ替えたプログラムが演奏されています。

海外のオーケストラの来日公演の記録としては上記VPOが3番目のオーケストラになります。1番目は1955年シンフォニー・オブ・ジ・エアー、2番目は1956年のシュツットガルト室内管弦楽団(ミュンヒンガー指揮)です。


633.演奏会記録、有難うございます

name:CATO - 2003年11月16日 1時04分17秒

 どれも、録音があればぜひ聴いてみたいものばかりです。若き日の千葉さんはどんな音だったんでしょうか。なお、メモしていなくて日付が判りませんが、1950年代にヒンデミットが来日したとき、ウイーンフィルのフライベルクとモーツァルトの3番を演奏したという記録を覚えています。
 日本人の曲としては、一昔前N響が海外公演のアンコールでよく演奏した外山雄三のラプソディ−(NAXOS 8.555071)が有名になり過ぎたですが(何度聴いても、痛快な名曲です。ホルンの咆哮とチャキチャキなトランペットの刻みが最高)、他にも名曲が一杯です。


632.大栗裕の演奏会記録

name:Favart - 2003年11月15日 22時37分16秒

CATOさん
大栗裕のブレイン評は見つかりませんが、演奏会の記録がありました。
モーツァルト ホルン協奏曲第2番 変ホ長調 K.417
1954年12月9日 関響#76定期演奏会 朝比奈隆指揮
1927年以降の日本の交響楽団定期演奏会の中で最も古い「モーツァルト/ホルン協奏曲」の演奏記録でした。(民音音楽資料館)
ちなみに、モーツァルトのホルン協奏曲の国内演奏会記録として古いのは
1955年12/14-16 クラウス・マンスフェルト/第4番K.495/エッシュバッハー/N響
1959年1/14-16  千葉馨/第3番K.447/ロイブナー/N響
があります。
もひとつ、ホルン畑の方はあまりご存知ないかもしれませんが、尾高尚忠(1911〜1951)のフルート協奏曲(遺作)は日本人の魂のこもった名曲です。吉田雅夫/岩城宏之/N響の名録音が残っています。
夢中人さま
フレデリック・サーストンはオーブリー・ブレインとのMozart: Quintet K.452の録音があるのですね。CDも出ているようです。

1928年3月19日のNGS録音ですね!昨年(2002年)英PearlがCD化しました。第1楽章終りにかっこいい下降アルペジオがあります。 夢中人 11月17日0時52分

631.大栗裕(1918-1982)

name:CATO - 2003年11月15日 9時54分12秒

また話題の繋がりなしで申し訳ないです。

 このところ大阪の実質独学作曲家大栗裕のバイオリン協奏曲、下野竜也指揮、高木和弘ソロ、を聴いています(NAXOS 8.555321J)。前から、N響、大フィルのホルン主席だった人。作品はいいらしい。天商(大阪市立天王寺商業高校)ブラバンの伝説のドン。とか、知っていましたが、作品をまとめて聴いたのは今回初めてです。
 バイオリン協奏曲は、解説にあるバルトーク、ハチャトリアン的、というより私にはシマノフスキ風が感じられました。よくできた作品であるが、独自の語法は確立できていないような。しかし、地域臭はたしかにある。ポーランドと大阪。微妙な土地と隔絶された土地です。もっと演奏されていいのに、生で聴ける機会は大阪でも極めて少ないと思います。オーケストレーションが達者なので、生で聴くと、さぞや素晴らしいと思えます。やはりホルン奏者だけあって、金管の聴かせどころもいっぱいです。
 大栗さんがN響の主席となった1946年は、ブレインが25歳。ワルター・ジュスキント/POとモーツァルトのホルン協奏曲第2番をコロンビアに録音しています。大栗さんはレコードを通してブレインのことをこの時期に知っていたんでしょうね。大栗さんのブレイン評があれば、お教えください。


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