憧れのデニス・ブレイン

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540.ブレイン時代のロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団演奏会録音

name: 夢中人 - 2003年09月05日 7時53分52秒

1946年3月
ロイヤル・アルバート・ホール
指揮サー・トーマス・ビーチャム
シベリウス/交響曲第7番ハ長調

1948年4月16日
BBCスタジオ、メイダ・ヴェール
指揮サー・トーマス・ビーチャム
ディーリアス/歌劇「村のロメオとジュリエット」

1950年(月日不詳)
ロイヤル・アルバート・ホール
指揮ニコライ・マルコ
ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲
ラヴェル/「ダフニスとクロエ」組曲第2番

1951年7月
グラインドボーン歌劇場
指揮フリッツ・ブッシュ
モーツァルト/歌劇「ドン・ジョバンニ」第2幕
Mario Petri, Hilde Zadek, Dorothy McNeil, Leopold Simoneau, Geraint Evans, Suzanne Danco

1952年
BBCスタジオ
指揮サー・トーマス・ビーチャム
ワーグナー/ウェーゼンドンクの歌
Kirsten Flagstad

ディーリアスの歌劇「村のロメオとジュリエット」。従来はBBC放送録音(1948.4.23、1948.4.25)とその直後に行われたEMIスタジオ録音(1948.5.6-1948.7.20)の存在が知られています。


539.ブレイン時代のフィルハーモニア管弦楽団演奏会録音

name: 夢中人 - 2003年09月04日 22時47分18秒

無いと思っていたブレイン時代のフィルハーモニア管弦楽団のライヴ録音数点がロンドン、バービカン音楽図書館で聴ける(しかも無料で!)ことが判りました。

1950年5月22日
ロイヤル・アルバート・ホール
指揮ウィルヘルム・フルトヴェングラー
ワーグナー/「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
同/「神々の黄昏」夜明け、ジークフリートのラインへの旅、自己犠牲の場面
(ソプラノ)キルステン・フラグスタート

1951年(月日不詳)
BBCメイダ・ヴェール・スタジオ
指揮イーゴリ・マルケヴィッチ
ストラヴィンスキー/「春の祭典」

1951年7月11日
ロイヤル・フェスティヴァル・ホール
指揮イザイ・ドブロウエン
ストラヴィンスキー/組曲「火の鳥」

1954年9月9日
アッシャー・ホール、エディンバラ
指揮グィド・カンテルリ
ドビュッシー/「海」
同/組曲「聖セバスチャンの殉教者」

1955年10月18日
ロイヤル・フェスティヴァル・ホール
指揮ヘルベルト・フォン・カラヤン
ラヴェル/スペイン狂詩曲

詳しくはMusic Preservedまで。

シュトラウス/「四つの最後の歌」のリハーサル録音で知られていたフルトヴェングラーとフィルハーモニアによる唯一の演奏会録音。「春の祭典」「火の鳥」はスタジオ録音以外には存在すら知られていなかったもの。カンテルリはエディンバラ音楽祭での実況録音。カラヤンは1955年アメリカ演奏旅行へ出発する直前のもので、2年前に行われたレコード録音とは全く違う演奏だそうです。

538.デニス・ブレインのお弟子さん

name: 夢中人 - 2003年09月02日 8時22分06秒

デニス・ブレインの弟子にジェームズ・ディアック James Diack や千葉馨さんのほかにもう一人女性の弟子がいました。

スティーヴン・ペティット著/山田淳さん訳の伝記193ページで山田さんが「1951年夏から1957年1月まで(英国)ナショナル・ユース・オーケストラ(NYO)のホルン・トレーナーを定期的に務めていた。」と注釈されていますが、NYOの創設者でのちにその功績からDameの称号を得たラス・レイルトン Ruth Railton, DBE, OBE(1915-2001) がその人で王立音楽アカデミーでブレインにホルンを習いました。

在りし日の師匠ブレインを知る数少ない弟子の一人ですがすでに故人となっておられます。


537.アドルフ・ボルスドルフ

name: 夢中人 - 2003年08月30日 9時29分16秒

最近またドラマでエルガーの「朝の挨拶」をかけるので、毎週うちのカミさんが「この曲の名前何だっけ?」と訊きます。私も好きですが、チェロ協奏曲や交響曲第1番の遅い楽章がもっと好きです。

エルガーの生きた時代、ロンドン交響楽団の創立メンバーとして活躍したホルン奏者がアドルフ・ボルスドルフ(1854-1923)で名前どおりドイツ人でしたが英国伝統の細ボアのラウーを吹きました。王立音楽アカデミーの教授職にあって教えた弟子にアルフレッド・ブレインやオーブリー・ブレインがいました。

そのボルスドルフとエルガーがホルンのことでやりとりした手紙が残っています。

エルガーからの手紙

ボルスドルフ様

   いつも学生たちや私自身がご面倒おかけし申し訳な存じます。また教えて欲しいのですがモデラートのテンポで4本のホルンであのパッセージを吹くのは無理でしょうか。一方で合唱とクラリネット、ヴィオラ、第2ヴァイオリンが鳴っています。

私としてはできるだけたっぷりと豊かな(そして「搾り出す」ような!)音が欲しいのです。私にはとても良く感じるのですが、かなり無理なように思われてなりません。

 敬具

1906年2月17日

  エドワード・エルガー

ボルスドルフからの返信

拝復

  お手紙にてお問合せの4本のホルンのユニゾン一向に難しくありません。あのパッセージはホルン奏者に楽器をさらに興味を持たせ、大いに上手く吹かせるでしょう。私自身のパートも大好きで練習の励みになります。

  遠からず演奏することになるでしょうし、その際きっとホルン・カルテットの一員でいることを光栄に思うことでしょう。サー・エドワードからこのようなご質問を賜ったこと本当に誇らしく思います。

  拝答

1906年2月22日

A.ボルスドルフ

追伸 2日ほど出かけておりましてご返事遅くなりましたことお許し下さい。


ジェロルド・ノースロプ・ムーア著「エドワード・エルガー/生前の手紙」(クラレンドン出版、オックスフォード、1990)より


536.“真夏の夜の夢”〜夜想曲

name: Favart - 2003年08月30日 0時15分32秒

クレツキ/PO/ブレインの録音、すばらしいですね。
この録音を聴いていると、心の中のもろもろのストレス、わだかまりが浄化され、心が豊かになったような気がします。デニス・ブレインの良さはここらへんにあるのかもしれません。ブレインをいろいろ聞いてきましたが、シューベルト、ブラームス、(そしてもちろんモーツァルト、バッハ)のあたりがブレイン独自の境地なのではないかと最近思っています。ブレインのラヴェルのパヴァーヌにがっかりしたことがありますが、これはないものねだりというものでしょう。
ちなみに私の家は今夜も“真夏の夜!”のようです。


535.“D.BRAIN, A CELEBRATION”

name: Favart - 2003年08月23日 23時53分27秒

OSMUNのHPを見ていたら、上記CDが出ていました。
DBの修復したホルンを使用した昨年のロイヤル・アカデミーのコンサートでしょうか。http://store.osmun.com/browse.cfm/4,1537.htm

Dennis Brain A Celebration
Michael Thompson, conductor and solo horn
Richard Watkins, solo horn
Royal Academy of Music Concert Orchestra

Contains: Stanza-Artem Vassiliev, Spoken introduction by M. Thompson, Horn Concerto fragment in E-Mozart, Capriccio for two horns and strings, Op 54-David Mathews, Symphony no 31 in D, 'with the hornsignal'-Haydn

Favart様のおっしゃるとおり昨年(2002年)11月15日、事故後初のブレインのアレキサンダーB♭シングル・ホルン公開演奏会のライヴですね。お知らせありがとうございました。 夢中人

534.古都エディンバラ

name: 夢中人 - 2003年08月23日 7時39分38秒

今年も最後の1週間(1957年8月25日(日)〜8月31日(土))が近づいてきました。

デニス・ブレインはその前の週から音楽祭に出演するためロンドンとエディンバラを往復して自身の管楽合奏団(デニス・ブレイン・ウィンド・アンサンブル)のリサイタル、そして最後の週はフィルハーモニア管弦楽団の演奏会で吹きました。指揮者はオットー・クレンペラー、ラファエル・クーベリック、ユージン・オーマンディでした。

ロンドンは日本でいうと東京ですが、エディンバラは京都にあたります。国鉄ウェーバリー駅を挟んで、旧市街と新市街に分かれていてオールド・タウンには荘厳に聳え立つエディンバラ城、メンデルスゾーンが訊ねて交響曲「スコットランド」の着想を得たホリールード宮殿と朽ち果てた修道院など、実に趣のある街であります。

最後の演奏会が行われたアッシャー・ホールは小さめのロイヤル・アルバート・ホールのような感じで、ブレインがコンマスのヒュー・ビーンやホルン・セクションの他の4人に分かれを告げたと思われる車寄せも当時のままでした。

エディンバラ大学歴史的楽器コレクションには、ブレインの親友グラハム・メルヴィル・メイソン氏所有の3本ヴァルヴのカタログ番号(多分)206、ラウー・ラバィエ・ホルン(J.C. Labbaye, Paris, 1857-1871)が展示されており、もしもう一度イギリスに行けたらアレキサンダーB♭シングル・ホルンを展示しているロンドン王立音楽アカデミー博物館とともに是非訪れたい場所です。

デニス・ブレイン (1921-1957)
デニス・ブレインは最高の芸術性を持ったホルン奏者であり、続く世代に与えた影響は計り知れない。王立音楽アカデミー(RAM)で父のオーブリー・ブレインに学び、そのあまりにも短い一生のうちにテクニック、音楽性の両面における新しい基準をうち立てた。あの運命の衝突事故でも彼のそばにあったアレキサンダー・シングルB♭ホルンは、パックスマンにより心を込めて演奏可能なまでに修理され、ここヨーク・ゲート・コレクションに展示されている。(RAMホームページより)

533.イタリア

name: 夢中人 - 2003年08月21日 6時07分17秒

今日、神戸電鉄横山駅プラットフォームで電車の到着を知らせるチャイムがメンデルスゾーンの「イタリア(交響曲第4番イ長調作品90)」の冒頭のあの有名な旋律なのに驚きました。

「太陽ロード」と呼ばれる道路はローマに通じていて、それは素晴らしい夏空だったと実家の母親が印象を話してくれたこともあり、「イタリア」の第1楽章で軽快な弦の刻みに乗って吹かれるホルンの跳躍はまるで高速道路を軽スポーツで疾駆するメンデルスゾーンが鳴らすクラクションのように感じてきました。

デニス・ブレインは「イタリア」をトーマス・ビーチャム(Sony Classical、SMK87965、P2003)とグィド・カンテルリ(Testament、SBT1034、P1994)と録音しましたがビーチャムの大人の演奏より若いカンテルリの1955年8月録音が素晴らしいです。

カンテルリ/フィルハーモニア管弦楽団の「イタリア」にはもう1枚、本人が発売を許可しなかった1951年10月録音(Testament、SBT1173、P1999)がありますが、マーシャルの本によりますとこちらはブレインは吹いていないらしい。注意して聴き比べましたがやはり1955年録音が良かったです。

宇都宮線某駅はベートーヴェンの第九でした。通勤にもちょっとした楽しみがあるものです。


532.レイモン・ルフェーヴルとマルセル・モイーズ

name: Favart - 2003年08月11日 18時47分49秒

レイモン・ルフェーブルの「哀しみの終りに」のホルンは聞いたことがありませんが、フランス系のかなりうまいホルンではないかと想像します。
レイモン・ルフェーブルは「16歳の頃、1946年の終わりにはパリ音楽院フルート科に入学。現代フルート奏法の確立者であるマルセル・モイーズ氏から3年間フルートを学んだ。ルフェーヴルはモイーズにとっては最後の教え子だったということである。」http://member.nifty.ne.jp/LAC/prof1.html
戦後モイーズがパリ音楽院で教えたのは、1946年の秋から1948年秋までで、1948年の11月にはパリの住居を引き払い、翌年1月にはブエノスアイレスに向け旅立ってしまったそうです。戦後のモイーズのクラスにはオーレル・ニコレらがいました。


531.The Horn of Many Colors

name: 夢中人 - 2003年08月10日 18時59分06秒

スティーヴン・ギャンブル博士によるオーブリー・ブレインのサイト「マスター・オブ・ヒズ・インストルメント」に雑誌『ミュージック・アンド・ユース』1928年1月号掲載のオーブリーによる記事「多彩なるホルン」を追加しております。

手書きの珍しいオーブリーのポートレートもあります。

Master of his Instrument


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