Y 忘れざるルシアン・テーヴェ Z
掲示板(28-37)


次へ 戻る

37.夢中人様へ

投稿者:大山幸彦 - 2001年 04月 07日 20時 37分 33秒

まず、お約束のもの、大変遅れて申し訳ありません! やっと体調不良から脱出したので、数日中に送ります!

さて、夢中人様の新しく作った来日批評英語版の写真をみていると、ホルンは1.テーヴェ、2.若きタサン、3.クーテレック(この人はそのあと何処にいったでしょうか?/正直な話、テーヴェもあまり印象が濃くないみたいです)4.ベテラン・ナヴァッセということが確認できました。

また、テーヴェとナヴァッセが楽器を口にたいしてほぼ垂直に構えているのに対し、タサンは少し下向きにしています。楽器もすこし持ちずらそう(!)で、彼がパリ管に入った後比較的早くロータリーにしたのも、もしかしてピストンが持ちずらかったのかもしれません。確かにピストンは口に垂直に当たるのを前提にした設計かもしれない。

60年代にはいってより柔軟の奏法にしようとした幾人かの奏者がアンブシュアをその前の時代の奏者と少し違えた場合、微妙にピストンとの相性が悪くなって、ロータリー志向を強めたのかなあ、と少し空想してしまいました。

いずれにせよ、こんな貴重の写真が見れるなんて感激です!

36.評論家も良き時代だったなあ・・・

投稿者:夢中人 - 2001年 04月 07日 18時 14分 58秒

ホームページ:Reputations

音楽の友昭和39年6月号、「音楽会きき歩き―大阪国際フェスティバル」で評論家の菅野浩和氏と大木正興氏がパリ音楽院管弦楽団のラベル・フェスティバルを「最高にすばらしい」と賞賛しています。少しテーヴェに関する部分がありましたので英語ページにしてみました。レコード芸術の場合もそうだったのですが、当時は「持ち上げておいて落とす」のが常だったようで、別の中島健造、園部三郎、吉田秀和の三氏による「特集/音楽で飾った大阪の春」では次のように述べられています。

中島 しいてアラをさがせばないけれども、やっぱり「なき王女のためのパヴァーヌ」ってやつは、どんなにいい演奏しても、つまらないやつだ。(笑)
吉田 このラヴェルのプログラムはほんとに盛りだくさんで、アンコールの曲を真ん中に入れているようなものだ。「パヴァーヌ」というのはアンコールの曲だからね。
園部 フランス音楽を聞き慣れない人は、これなら飽きましょうね。もっとも聞き慣れないから興奮するかもしれないが。ごく常識的にいうと、そういうことはあり得るかもしれない…

35.大トトロ様へ

投稿者:大山幸彦 - 2001年 04月 02日 22時 32分 42秒

体調不良につき、レス遅れて申し訳ありません。

さて、セルマーの上昇管ですが、セルマーに限らず戦前のフランスではまずF上昇管ピストンが広く使われておりました(ケノン、コルトワなど)が、徐々にB管とのコンビネーションが試みられるようになり、セルマーでは1937年頃からセミダブルが作られる様になります。このタイプは広く普及したようです。私やカズのモデルです。

このモデルは基本的にワン・ピースで、親指がギア式ロータリーになっています。(94年のパイパーズに私は「こだわりの楽器」欄に出ましたが、そこにこの部分の拡大写真を載せています。)ベルが280mmくらいの細管タイプです。型式は特にありませんが、2番ピストンに製造NO.が打ってありこれで製造年が大体分かるそうです。ベルには旧セルマーの住所入りロゴと「ジュネーヴ」「リエージュ」各技術大賞受賞の刻印があります。

テーヴェの1960頃までの録音はこの楽器です。今回のCDの録音は殆どこのタイプを使用しています。

セルマーの技術顧問はテーヴェが担当していました。(コルトワはバルボトウ、ケノンは分からないがベルジェスなどが吹いていた)テーヴェは60年代に若干ベルを太くしたタイプを作ります。(各楽器の太管化についてはカズ氏が詳しいので割愛、カズさん、よろしく!)ソシエテや来日公演のパヴァーヌはこれで吹いています。こちらは、基本はベル・カットで親指は普通のロータリーになっています。
もちろん基本は上昇管ですが、海外戦略があったのか、ご指摘の下降管もわずかながら作られました。(私も一本所有しています)

この2タイプの後は残念ながらピストンは作られていません。また私の知る限りセルマーではフル・ダブルは製造されなかったようです。1980頃には製造をほぼ終えたと思います。そして私が1989に入手した下降管がセルマー本社最後の在庫でした。

1990年代に入り、テーヴェの仲間、そして最後のフレンチ・エコールの大名人ともいえるアンドレ・ガンティエを新しい技術顧問として、セルマーでは再びご指摘の「変な」形のロータリーを作りはじめました。私はこれも一本所有していましたが、最近某たくみさんの所へ行きました。

実はこれはいい(?)楽器ですよ!(メカニックは少し甘い所もありますが)隠れコンセプトは「ロータリーでピストンの音」です。そしてこの楽器の開発の闇将軍(?!)はやはりテーヴェです。私も試作品吹かされました。(その時に現行モデルより細めのものがあって、それがステキだったのですが、カズ氏情報ではそれも最近では入手可能とのこと。)テーヴェ氏は「な、リッチな音だろ、さあ、次は上昇、そしてピストンだあ!」といきまいておりまして、セルマーの社長さんも笑いながら少しこまっていましたが。テーヴェとガンティエは二人でよくこの新しい楽器についてセルマーで打ち合わせしてました。またバッソニスト・日フィル小山氏がセルマーを訪れた際のパイパーズの記事の写真にもこの楽器を持ったテーヴェが写っています。

96年のフランス国立管の来日の際、ガンティエ氏のレッスンを受けましたが、この楽器でピストンばりの明るい音圧の高い音で4オクターヴ跳躍とかする恐ろしい方でした。

ただし、この楽器はフランスでもほとんど普及していないので、将来が心配です。

この楽器はみかけはロータリーですが、実の感触はピストンに近い部分が多いので、普通の奏法で吹くと面食らうこともあるようです。

***

とはいってもやはり私はもちろんピストンが好きです。もし状態のいいものがあったら買いたいですね!私は楽器に詳しくないので、みなさん、どんどん教えてください!

ちなみに私が所有している限りのディスクで一番最近の録音でピストンを吹いているのはトリュフォーの最後の映画「日曜日が待ちどうしい!」のサントラです。確か1982頃。(これはいい映画です!私はヌーヴェルヴァーグはあまり好きではないのですが、この映画でトリュフォーはフランスの端正な物語性に回帰してます!)

ではまた!


追記:ガンティエ氏は1998年、国立を引退しました。38年うまれ、56−58ギャルドのソロ、その後は大フルニエとORTF(国立管の前身)のソロを分担していました。彼もパヴァーヌを少なくとも3回録音しています。ORTF解散(1975)までピストンを吹いた後、アレキを15年吹いて、みずからの開発した楽器でキャリアを終えました。現在はパリ10区ベルリオーズ音楽院で教えていますが、彼の実力とキャリアからすると、少々寂しい気もします。

34.ヴェスコーヴォのモーツァルト再び

投稿者:夢中人 - 2001年 03月 31日 16時 25分 16秒

昨夜、おおかた四半世紀ぶりにピエール・デル・ヴェスコーヴォとウーブラドゥ室内管弦楽団のモーツァルトを聴きました。記憶していたものよりは、ずっと普通に聴くことができました。というのは、これも素人考えなのですが、その後知ったドレスデンのペーター・ダムに(が)似ていると思うからです。

ダムは1937年マイニンゲン生れ、11歳から音楽教育を受け、1951年からワイマールのリスト音楽大学でビーリヒ教授の下でホルンを学び、在学中の1956年、カールマルクスシュタットでの「若き音楽家の祭典」で第1位を獲得、翌1957年国家試験に合格して卒業、同時にゲラ市立劇場管弦楽団に入団。同年モスクワでの国際ソリストコンクールで銀賞を得て脚光を浴びました。

1959年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団に招かれ、名指揮者フランツ・コンヴィチュニーの下で10年間にわたり首席奏者をつとめました。その間1960年にはミュンヘン国際コンクールで入賞、1962年の「プラハの春」国際音楽コンクールで優勝を遂げ、1969年よりドレスデン国立歌劇場管弦楽団で首席奏者をつとめ、1972年には東ドイツ政府より文化賞を、1975年のベルリン音楽ビエンナーレでは批評家賞を得るなど、現代における世界最高のホルン奏者で、1978年ドレスデン国立管の団員として初来日した以降、しばしばわが国を訪れています。

長々とダムの経歴を書いた訳は、彼が当初東欧圏でずっとキャリアを重ねていてフランスで勉強したことは無い、ヴェスコーヴォのようなホルン奏法はフランスでは廃(すた)れてしまったけれども、東(当時)ドイツの超絶名人によってさらに花開いたのではないか、これはまたホルン奏法の一面の真理なのではないか、と思ったからです。

ご存知のように、現在のフレンチホルンの原型たる「狩りのホルン」の音はどこか甲高い、とても耳につく音色をしており、ホルン本来の音色に近いのはヴェスコーヴォやダムの音ではないか、と考える今日この頃です。

33.セルマーのホルン

投稿者:大トトロ - 2001年 03月 28日 20時 43分 19秒

こちらの掲示板では初めまして、大トトロ@上昇管大好き!です
昨日某ネットオークションでセルマーのピストン式セミダブルが出展されて
いましたが、このページのトップを飾っているテーヴェ氏のホルンと違い
3番下降管のようなのです。セルマーのホルンにお詳しい大山様・KAZU様
セルマーのホルンについてどのようなモデルがあったのか、またいつ頃から
ピストンをやめたのか(現在は変な巻き方のロータリーバルブですね)
教えていただければ幸いです。
どうかよろしくお願い致します

32.資料探し

投稿者:夢中人 - 2001年 03月 25日 11時 41分 56秒

ホームページ:来日公演賛否両論

昨日図書館へ1964年(昭和39年)当時の朝日新聞を閲覧しに行きました。

東京版のせいか大阪国際フェスティバルの記事は皆無で、わずかに5月4日、フェスティバル閉幕でクリュイタンスが「蛍の光」を指揮したとありますので、このページの公演日程に欠落があることが判りました。前からEプロが東京で1回だけなのは変に思っていましたので、今度そのあたり調べることにします。

残念なことに、東京公演についても、初日のラベル・フェスティバルの様子を5月8日に伝えるのみでした。社会面では「初夏の夜を飾る―パリ音楽院管弦楽団、東京で初公演」という見だしに続き「…常任指揮者アンドレ・クリュイタンス氏の絶妙な指揮と、パリ音楽院を優秀な成績で卒業した団員だけからなるオーケストラの澄みきった管と弦の音で、初夏の夜を飾るにふさわしいさわやかな演奏会だった…」と、いかにも新聞口調に終止しました。文化面にもう一つ記事がありそちらをページに引用しました。

前後の日のテレビ/ラジオ欄では5月10日(日)、9時からNHKFMでラベル・フェスティバルを「立体」で(当時はステレオ放送が始まったばかりでした)、同13日(水)、9時40分からNHKテレビで放送したようです。幻想交響曲は13日NHKラジオ第二の放送でした。

当時の新聞を繰っているとオリンピック前の活気や漫画のサザエさん、大相撲の大鵬、柏戸など昔懐かしい思い出が次々と目に入り、とても楽しかったです。なかでもチョコレート・メーカーの「★フシギなカラー印刷★コスレバうつる―マジックプリント」には子供の頃、夢中になって集めておりましたので笑いました。

31.メナルディ

投稿者:大山幸彦 - 2001年 03月 24日 22時 19分 15秒

私もカズ氏の指摘どうりメナルディの音のすばらしさについて指摘したいと思います。「音楽は美だ」という当たり前のテーゼに従う限り、あの黄金の音を否定するのは難しいと思います。

輝かしい美女同様、輝かしい音はそれ自体大きな価値だと思います。

30.お洒落さん

投稿者:大山幸彦 - 2001年 03月 24日 22時 10分 35秒

夢中人さんが記述している通り、テーヴェ先生は非常にお洒落でした。1950代の写真をみると、ボタンダウンのシャツで演奏会にでたりしているのがあります。髪も丁寧にオール・バックにしており、若い時代のビル・エヴァンスにも似ています。時代的なものもありました。あの短髪は見事な1930−50フレンチ・スタイルです。また、若い頃は相当な美男子だったのがわかります。

フレンチスタイルが理解されにくい原因として、フランス語の特徴性のほかにもうひとつ、他分野の芸術と密接に関連している(モード、絵画、文学、映画、食など)こともあるとおもいます。いわゆる演奏馬鹿」ではなく、幅広い知識とセンスを持っている人がおおく、ソシエテのメンバーがステージに入ってきた時、彼らの持つ芸術性や文化も一緒に入ってきたのでしょうね。それにとまどった人も多い、と言う事でしょうか。 また、カズの指摘どうり、自分達のステレオタイプな音楽しか頭に入っていなかった方々が、その豊かさに戸惑い、単なる異質なものとして避けてしまった、という事でしょうか。

私は94名の楽員が入場した後には、94条の香水の残り香が漂ったと思いますが、そう考えるとたまらまく楽しくなります。そして「お洒落さん」テーヴェ先生はその筆頭だったはずです!

29.サングラスの凄い奴

投稿者:夢中人 - 2001年 03月 23日 22時 49分 38秒

活字はコワいものです。40年近くたった今でも小さな議論を巻き起こす訳ですから!
その本当のところは1964年4月29日、大阪フェスティバル・ホール、パリ音楽院管弦楽団演奏会Bプロを聴いて(見て)いた人にしかわかりませんが、私も残されている資料をもう少し調べてみるつもりです。

レコード芸術1964年6月号の志鳥さんのステージ評には、こういう部分もあります。

「94名の楽員たちは、ばらばらと出てきて、ばらばらと各自の席についた。�犒確Г�びしい�瓩箸いΩ斥佞�ぴたりとあてはまるようなソヴェト国立交響楽団とはまるで違い、そこには、あたかもフランスの国旗を象徴するかのような、自由な空気が流れていた…」

ヒナ段の中央にはさっぱりした短髪で洒落たサングラスの男が見慣れぬピストン式ホルンでこの世のものとは思えないような音色を出す訳ですから、こりゃタマげたわい、と思う人も、あらぬ誤解(?)をする人も多かったのでは、とまたまたこれも想像してしまいます。

28.ご無沙汰しておりました

投稿者:KAZU@こるにすと - 2001年 03月 23日 00時 29分 04秒

夢中人さん、リクルートのカテゴリー別検索サイト掲載おめでとうございます。これもひとえに夢中人さんの音楽へのひたむきな情熱が、見る目のある方に認められた証だと思います。このような立派なサイトに私ごとき浅学なものが投稿するのは本当におこがましいことですが、当サイトの今後の益々の発展をお祈りしております。

大山君のテーヴェ氏の奏法についての記載は細管ピストン使用者だけでなく、すべてのホルン奏者に大変参考になるものです。とくにデタッシェについてここまできめ細かに指導できる方は日本ではあまりいないのではないでしょうか。フランス語の発音が管楽器を演奏する際のアドバンテージになっているという話はよく聞きますが、ホルン以外でも管楽器の分野で天才と呼ばれる奏者がフランスに多いのは決して偶然ではなく、このような技術的裏付けがあるからでしょう。

話は変わりますが、新コーナーの来日公演賛否両論大変興味深く拝見しました。掲載されている評論の筆者、志鳥栄八郎氏は私が申しあげるまでもなく音楽評論家(特にレコードなどの演奏評論の部門で)として大変高名な方で、ソシエテの演奏に大きなムラがあったという批評(オールラヴェルプロはすばらしかったが、ムソルグスキーは散々だった)をされていましたが、実際はどうだったのでしょうか?私は当然のことながら実際にこの演奏を聞いておりません(まだ生まれておりませんでした!)ので、これから書くことはあくまでも私の勝手な推測でしかないのですが、実は志鳥氏のおっしゃるほどムソルグスキーもひどい演奏ではなかったのではないか(むしろすばらしい演奏だったのでは?)と考えています。

志鳥氏の批評で一番疑問に感じることは、『展覧会の絵』の演奏で「金管楽器の技術が弱い」と指摘している点です。しかもホルンとトランペットが名指しで批判されています。ソシエテの金管セクション主席はホルンは言うに及ばずテーヴェですし、トランペットはメナルディで、当時国立放送管(O.R.T.F)の主席ヴァイアン、オペラ座管の主席デルモットと並びフランス最高レベルの奏者の一人(ということは当時世界最高レヴェルの奏者を意味する)でした。この二人が揃って同じ日にまずい演奏をするということが果たして有り得るのでしょうか?

『展覧会の絵』の編曲者は当然ラヴェルで、その演奏に必要なテクニックは、ラヴェルのオリジナル曲と何ら変わるところがありません。つまりこの曲は、ソシエテにとってラヴェル同様十八番の曲だったはずです。私はソシエテの演奏したこの曲の1958年録音(指揮者クリュイタンスで、音を聞く限り管の主席は来日メンバーとほぼ同じ)を聞きましたが、大変すばらしい演奏です。もちろんライブでは演奏に多少の傷はあったかもしれませんが、スタジオ録音とかけ離れたレヴェルであったとは到底考えられません。志鳥氏が演奏を冴えないと感じたのは、氏のイメージしていた音とかけ離れた音であったからではないでしょうか。つまり氏がこの曲の金管にもっていたイメージはドイツやロシアの管の、太い音のイメージだった可能性が非常に高いと思います。

志鳥氏のようなプロの評論家のご意見に、一介の素人が異を唱えることは暴挙と言うべき行為かも知れませんが、私はここに日本の音楽評論の問題点があるような気がします。つまりそれぞれの曲の模範といわれるお墨付きの演奏(日本の場合、多くは実演ではなく録音から得た知識)と違う演奏は評価されにくいという傾向です。また日本での模範とされる演奏(これをブランドと言い換えることもできる)は、往々にして独墺系の演奏であることが(その最たるものがカラヤン/ベルリンフィルの演奏)多いのも特徴です。このことが日本でフレンチスタイルの演奏が不当に低い評価を受けやすいことにつながっているのではないでしょうか。フレンチスタイルのホルンが評価されない理由も根は同じ気がするのは私だけでしょうか?日本人特有のブランド崇拝が音楽評論の分野でも影を落としているように感じられてなりません。長くなりましたので、続きはまた後日に。


次へ 戻る