憧れのデニス・ブレイン

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750.撤回します

name: CATO - 2004年04月03日 5時18分56秒

749の「ブリテン以外の作曲家がブレインに捧げた曲は、残念ながら全然ピンときません。怒られてもいいです。駄作です。本音です。」を撤回します。ブレインに捧げた曲全部は聴いていません。
失礼しました。


749.リゲティで寝不足です

name: CATO - 2004年04月02日 22時28分03秒

リゲティといえば、私には「2001年宇宙の旅」です。
リゲティと聞いて、深夜この「2001年宇宙の旅」のDVDを一年ぶりに見てしまいました。こりゃ早く寝なければと思ってTVをつけたら、ニコラス・ケイジ主演の、私には名作をやっていて、結局見てしまい、今日はふらふらでした。
さて、不朽の名作「2001年・・」は、ツァラツストラ、美しき青きドナウ、ハチャトリアン、そしてリゲティなど音楽効果も抜きん出ています。私はリゲティの曲を生では知りません。ブーレーズが高く評価しているのは知っていますが、機会がありません。

ブリテン以外の作曲家がブレインに捧げた曲は、残念ながら全然ピンときません。怒られてもいいです。駄作です。本音です。
リゲティ、クセナキス、ブーレーズ、ベリオ、リゲティならもっといい曲を捧げていたと思わずにはおれません。


748.脱線にて失礼

name: Favart - 2004年04月01日 0時01分01秒

1970年前後にクセナキス、リゲティ、ベリオなどをを聞いたのを思い出しました。クセナキスは渋谷公会堂で「題名のない音楽会」だったと思いますが、大きな金管がほえるように鳴る曲を聞いた覚えがあります。リゲティ、ベリオはフルートの曲もあり現代音楽の古典と言ってよいでしょう。キャシー・バーベリアンのベリオ(ヴェルゴ)なども語り草になっていました。リゲティはホルンの曲もあったような・・・。
この前の日曜日のピーター・ゼルキンのブラームスの放送、見ましたか。すごい迫力でしたね。こんなに汗が飛び散る演奏会も珍しい。ボクシングで汗が飛び散るような激しさ。ピアノの鍵盤にはコップ数杯分の汗がしみ込んだことでしょう。
フレイレも出てきて、こちらは白ヒゲおじさんになっていました。


747.う〜ん、ちょっと書き込みます

name: CATO - 2004年03月30日 22時49分46秒

「746」の投稿を拝見して、年甲斐もなく燃えそうになったけど、控えめに感想を書きます。
小林秀雄の「短調」とくれば、高橋悠治の「小林批判」を思い起こさずにはおれません。でも今はどちらも立派という折衷派に、私はなり下がりました。実際今読み返してもどちらも凄いです。高橋悠治のクセナキス論とかコンピュータ音楽についての文章も寝る前に久しぶりに読み返ましたが、光る箇所は古びていないが、昔のようなインパクトは当然なくなっていました。
 それと、大阪フィル定期 諏訪内晶子のストラヴィンスキーの協奏曲は五月でした。C席が今日取れました。


746.モーツァルトの「長調」と「短調」

name: Favart - 2004年03月30日 0時14分09秒

「モーツァルト」と聞くとすぐにしゃしゃり出てしまうFavartでありますが、K.334は数十年来のお気に入りです。第1楽章のしゃれた出だしは何回聞いても新鮮です。実のところ先週の金曜日も仕事に行く途中で突如このメロディーが頭の中に響き出し、半日くらいは繰り返し頭の中のレコードが鳴っていました。第3楽章の有名なメヌエット、第5楽章のメヌエットも魅力的な曲で大好きです。
ところで、皆様はモーツァルトの長調の曲と短調の曲ではどちらが好きでしょうか。小林秀雄が「モーツァルト」で「ト短調交響曲」のことを書いていたりして、短調の曲が好きな人が多いのですが、私は断然「長調派」です。例えば(ホルンの曲でなくてすみませんが)K.136ディヴェルティメントニ長調。明るく輝いているモーツァルトが好きなのです。でも、モーツァルトの長調の曲は単なる明るさだけでなく陰りをもった明るさといったところに魅力を感じます。ピアノ・ソナタ ハ長調K.545は小さな子供も演奏するシンプルな曲ですが、この曲も陰りをもったところが何とも魅力的です。
ブレイン父子のK.334はホルンが素朴な響きで、この曲にぴったりです。


745.ディヴェルティメント第17番ニ長調K.334

name: 夢中人 - 2004年03月29日 21時43分26秒

吉田秀和編訳「モーツァルトの手紙」(講談社、1974年)をよく紐解きます。1783年の今日付けでウィーンでの演奏会の成功を父レオポルトに喜び伝えたものがありました。

プログラムは交響曲第35番ハフナーと第1番の終楽章が両端で中にホルンがとてもよく活躍する2曲―イドメネオの Si il padre perdei (もし私が父を失い)とディヴェルティメントニ長調K.334(終楽章)―が入っているのが面白いです。多分ロイトゲプが吹いたのではないでしょうか。

K.334は1939年2月16日、父オーブリーが1番、デニスが2番で初めてレコード録音した曲でオリジナルのオーケストラではなく弦楽四重奏(レナー・カルテット)との演奏です。終楽章にはホルン協奏曲第3番のフィナーレと良く似た「ふし」が出てきます。

当時デニス・ブレインは17歳で録音の行われたアビー・ロード・スタジオでティル・オイレンシュピーゲルのソロを吹いているところをたまたまウォルター・レッグが聴いてあまりに上手なのに感心したという後日談も残っています。


744.つながり

name: CATO - 2004年03月28日 13時21分02秒

話は繋がるものと感じ入っています。

夢中人さん作のオイストラフの絵が掲示されて、オイストラフを生で聴かれた話が出て、ヌヴーのことに繋がり、同じく女性バイオリニストの庄司さんのCDの日本語解説を読めば、当然そこにはプロコフィエフとオイストラフの共同作業のことが書いてあって、改めてオイストラフ-オボーリンは一昔前よく聴いたと思い出したりします。そして、今サンプルCDのお話を読んで、私も昔、関係者からサンプルレコードを貰い、その中で繰り返し聴いたのは、ブラームス/ホルン・トリオ変ホ長調Op40 バリー・タックウェル(ホルン)イツァーク・パールマン(ヴァイオリン)ウラディミール・アシュケナージ(ピアノ)(録音 1968年)であったことを懐かしく思い出しました。最近庄司さんのCDと一緒に買ったのは、パールマン-バレンボイム-シカゴ響のストラヴィンスキー、プロコフィエフのバイオリン協奏曲でした。サンプルレコードの中にストラヴィンスキーもあったのですが、独奏者が思い出せません。この春大阪フィルの定期で諏訪内晶子さんがストラヴィンスキーの協奏曲を弾くので、行こうと思っているところです。この名曲は案外生で聴く機会はないのでは。

あと、最近は職場の宴会なんかで気分よくなって例えば、中原中也、小林秀雄、加藤周一、吉田秀和の関連なんか話しても、40歳以下からは無反応で、時は流れたことを感じます。私の知る限り、吉田さんはブレインのことを何も書かれていません。


743.雑談

name: Favart - 2004年03月27日 23時18分27秒

吉田秀和さんの書かれたものは1960年代から気にとめて読んでいます。詩人の中原中也と親しかったそうで、相当なお歳ですね。「音楽紀行(新潮社)」では1950年代前半のグラインドボーン音楽祭のことが書かれています。ただし、吉田さんの聞いた演奏会は「WITHOUT BRAIN」だったようです。1960年代後半には新人ピアニストのエッシェンバッハやアルゲリッチをすばらしいピアニストとして日本でいち早く紹介していたのを思い出します(フレイレも紹介していましたが最近あまり聞きません)。これからも密度の高い音楽の話を読ませていただきたいと思っています。
庄司紗矢香の演奏は聞いていませんけれど、実は彼女の大きなポスターをもっています。昔の五島みどりさんを思わせるようなういういしさを感じます。
別の話ですが、最近、某レコード会社の営業企画の担当者(うら若い女性です)とひょんなことでコンタクトし、某社のCDを数枚をもらってしまいました。海外で新録音の契約をとりつけたりしているとのこと。後日、古い録音(SPやLP)のCD復刻のリクエストなどしたいと思っています。


742.Sayaka Shoji(1983- )

name: CATO - 2004年03月26日 21時18分14秒

プロコフィエフとショスタコービチの入った庄司のCD(UCCG-1183)は、最近の吉田秀和さんの夕刊での「音楽展望」で推薦でした。吉田さんは身内のご不幸があって、最近気落ちされていてこともこの夕刊で知りました。ショックでした。
吉田さんご夫妻は、30年ほど前に大阪国際フェスティバル会場で、ごく近くでお見かけしました。たしか、バルバラさんという奥様と楽しげにお話をされていたのが印象的でした。近寄りがたいという雰囲気ではなく、品のある本物の大人という感じがしました。
ところで庄司さんのバイオリンですが、究極の完成度に圧倒されます。とくに私の昔からの好みのプロコフィエフ二番がすばらしいです。その中でも第四楽章。ああ、「もしもバイオリンが弾けたなら」です。

日本のホルンで、今、庄司的な人は誰なんでしょうか。


741.ジネット・ヌヴー(1919-1949)

name: 夢中人 - 2004年03月25日 19時50分22秒

Dutton CDEA 5016スティーヴン・ペティット著「フィルハーモニア管弦楽団」(Hale、P1985)にオイストラフが“悪魔のように素晴らしい”と賞賛したジネット・ヌヴーがシベリウスの協奏曲を録音したとき(1945年11月6日)のエピソードが載っています。

「ロンドンは霧に閉じ込められていた。弦楽器奏者50人を集めたアビー・ロード・スタジオも。ヌヴーとのレコーディングはたった1日。それも午後10時半まで。オーケストラと録音チームは疲れ切っていたが、なんとか30分の延長でシベリウスを完了した」

長時間の集中した演奏のためソリストの首や顎には血が滲んでいたと言われます。

(写真は Dutton Laboratories CDEA 5016)

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