450.ショスタコーヴィチ問題 | |
name: | 夢中人 - 2003年03月08日 8時19分10秒 |
ジョン・ハントのディスコグラフィー「フィルハーモニアを作った人々 Makers of Philharmonia」の一人、エフレム・クルツ(1900-1995)がブレイン時代の同オーケストラと録音したショスタコーヴィチの音楽。 1957年録音の交響曲第1番はステレオ(EMI CZS 7 67729 2、P1993)で明かにデニス・ブレインが吹いていると思われます。問題は1955年録音の第10番とバレエ音楽「黄金時代」(Testament SBT 1078、P1996)で現状ブレインではないのではと懸念を抱いています。 その交響曲第3楽章にEAEDAの音型により繰り返されるホルンのソロがあり、何度も聴き返してもあのブレイン特有の丸みを帯びた音色、誰にも真似の出来ないようなフレージングではないように感じられて仕方がありません(特にソロの出だしで最初に上がったAの音は音が濁ります→ブレインのソロで今までにない)。 窮した結果、Testament社に問い合わせを出しました。 「通常管弦楽曲の場合、オーケストラ・メンバーの名前は記載されません。ところが貴社のエフレム・クルツ/フィルハーモニア管弦楽団のCDに4人の名前、シドニー・サトクリフ(ob)、アーサー・アクロイド(piccolo)、バーナード・ウォルトン(cl)、デニス・ブレイン(hr)、が明記されているのはどうしてですか?私には幾度聴いてもデニス・ブレインが吹いているとは思えないのです」 すでに送信してかなり日がたちますが未だ返事はありません。イギリスの友人は恐らくブレインとエドマンド・チャップマンではないかと言いますが、確信はないようなので、また聴いてくれています。 ショスタコーヴィチの10番は、1953年初演で録音当時イギリスでは未知に近い音楽だったわけですが、50年たってこのピンポイントな問題。お聴きになった方はどう思われますか? |
449.(欠番) |
448.シュテファン・ドールのテレビ放送 | |
name: | 円号 - 2003年03月07日 23時45分07秒 |
Favart様、皆様。久しぶりの投稿です。私も楽しみにスタンバイしております。 |
447.シュテファン・ドールのテレビ放送 | |
name: | Favart - 2003年03月07日 23時39分52秒 |
361で円号さまが紹介してくださった、シュテファン・ドールの放送が今夜あるようです。NHK-BS2にて、あと1時間ちょっとで。(NHKのHPより) 0:45.30 サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィル演奏会 「交響曲 第5番」 マーラー作曲 「ハンガリー舞曲 第3番」 ブラームス作曲 (ホルン)シュテファン・ドール (管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (指揮)サイモン・ラトル 〜ベルリン・フィルハーモニーホールで録画〜 |
446.マクサンス・ラリュー日本公演’71 | |
name: | Favart - 2003年03月06日 22時51分06秒 |
夢中人様は1972年の演奏を聴かれたそうですが、感性豊かな高校生にとって鮮烈な印象だったのではないかと思います。サイン紛失とのこで本当に残念ですね。 私の方は1971年(大学生の時)に2回聴きました。 3月13日(土)虎ノ門ホール。手塚幸紀指揮/日本室内合奏団 <協奏曲の夕べ> バッハ 組曲ロ短調 ブラヴェ 協奏曲イ短調 ルクレール 協奏曲ハ短調Op7-3 ヴィヴァルディ ピッコロ協奏曲ハ長調P.79 3月25日(土)虎ノ門ホール。ピアノ:小林道夫 <リサイタル>---Aプロ バッハ ソナタ変ホ長調BWV.1031 ルーセル 「フルート奏者たち」 C.シュターミッツ 独奏フルートのためのロンド プーランク ソナタ J.ハイドン ソナタト長調 ベリオ 「セクェンツァ」 エネスコ カンタービレとプレスト この年は11回の演奏会の他、日フィルの定期でモーツァルトの2番を演奏しています。夢中人様のお近くでは芦屋市民会館ルナ・ホールで小林とBプロ(デュティユー、シャミナード、フォーレ、ビゼー、他)が演奏されました。翌1972年1月1日にはNHK-FMで小林道夫とのルーセル、プーランク、ドビュッシー「パンの笛」が放送されました。 当時、私はニコレに惚れ込んでいて、上記バッハはちょっとがっかりした記憶があります。まあ、ないものねだりといったところでしょうか。
|
445.ブレインのサイン | |
name: | Favart - 2003年03月05日 23時35分57秒 |
夢中人様、サインを拝見させていただき、ありがとうございました。 もしかして、夢中人様は本物をお持ちかと思いましたが、写しなのですね。はにかみ屋で多忙に追われたブレインはサインをあまり多く残していないのではと推察します。 「私が想像するD.ブレインのサインは几帳面なきれいな字、あるいは子供のような素朴な(あまり上手でない)字です。」と436で書きましたが、自筆原稿を見るとどちらかというと素朴なタイプでしょうか。 私が若かったころには演奏会の後で楽屋におしかけ、サインをもらったりしました。ランパル、ニコレ、ニコレの奥さん(クリスチーヌ)、吉田雅夫さん、金昌国さん・・・。あの頃をなつかしく思い出します。数年前にツェラーの演奏会があった時も演奏会の後で楽屋に行こうとしましたが、その時は制止されてしまいました。おじさんになっても、気持ちは昔のままなのです。
|
444.私の場合、 | |
name: | 大山幸彦 - 2003年03月04日 9時50分42秒 |
夢中人様、大音量のオケやブラスではあまり吹かないようにしよう、という割り切り(ギャルドやソシエテみたいなスタイルのオケがあったり、カズさんのようにわがままがきくオケがあるなら別ですが!!)をもって解決いたしました。ブレインを大変だったのでしょうね。 |
443.マリオン・ブレイン | |
name: | 夢中人 - 2003年03月04日 0時20分47秒 |
オーブリー・ブレインは1913年秋、ビーチャム歌劇団(デンホフ歌劇団)に雇われて巡業に出ますが、そこでメゾ・ソプラノ歌手のマリオン・ビーリー― デニスの母親 ―に出会います。 ブレインの伝記には、マリオンがHMVの(オペラの?)レコード録音に参加したことが書かれていますが、この子供にしてこの親あり(?)と感じさせるのがオーブリーが録音したモーツァルトの協奏曲第3番(1940年録音、EMI CDH 7 64198 2、P1992)の第1楽章カデンツァを書いた、ということです。 デニス・ブレインのヘルベルト・フォン・カラヤンとのレコードでは、3番のカデンツァは何故かさらっと短く終わってしまいます。昨年再発された南西ドイツ放送交響楽団/ハンス・ロスバウトとのライヴ演奏(Hanssler 93.064)ではちょっと派手にしているものの、マリオンのカデンツァととてもよく似たのを吹いていました。 同じくブレインの伝記には、マリオンが1954年2月に心臓発作で亡くなったと書かれていますが、実はそれに先だってマリオンが自宅外で暴漢に襲われて怪我を負ったことはあまり知られていません。一説にはその怪我がもとで亡くなったとも言われています。もしそうだとすれば、とても悲しい出来事です。 |
442.ブレインの奏法など | |
name: | 大山幸彦 - 2003年03月01日 9時57分40秒 |
夢中人様、私もようやっと演奏活動の本腰入りはじめました、木管五重奏ですが。また2つの吹奏楽団のお手伝いもしなくてはなりません(ピストンで!)ところが吹奏楽の練習の後で室内楽をすると、音量を大きく吹いていたため、思いっきり調子を崩します! ブレインの演奏を聴くと、(テヴェやセサロッシ、アイファー・ジェームスもそうですが)しばしばごくごく軽く、天性の音感とリップ・コントロールに任せて吹いているのを感じます。現在の奏法のようにたっぷり息を使い思いっきり息圧をかけ大きな音量で吹かなくとも、口が絶妙なのでわずかな息だけでも音がなる。 デニスブレインはかなりプレスしていたみたいですが、おそらく口に効率的に圧(息圧ではなく!)をかけてコントロールしていたと思います。ただしこれには歯並びが内側にくぼんでいないと難しい、そういえばブレインの歯は「ウサギ」みたいだったらしいし、テヴェもそうでした。私も幸い(?)にしてそうです。私の直感では上歯の付け根のところにかなりの圧をかけ、そこをフックにしていたと思います。(ここはテヴェ先生とちょっと違う) むろん歯並びに問題があっても本質を理解していれば大丈夫でしょうが、若い奏者の方がブレインみたく吹きたいという時、彼の奏法が現在では異端とされているものである、という認識を持たないと、なかなか近づけないと思います。 ということで私がブレインに関心を持つとしたら、同じピストン吹きで、なおかつ卓越した技術を持っているからですが、こんな書き込みでもよろしいでしょうか?
|
441.メールアドレス | |
name: | CATO - 2003年03月01日 2時32分37秒 |
[439][440]を見ると、まだ私などが投稿前の、なんというかpositivistの静かな情熱が伝わってくる感じがします。ということは、あまり感情的な、誤解を与えるような投稿を自戒しましょうという夢中人さんからのメッセージがアドレス必須の意味と理解しました。 とは言っても、音楽も究極は好き嫌いですし、熱くならない音楽論も寂しいものです。また、これがきっかけで、なじみの方々の意見が聞けなくなれば寂しいですね。比喩ですが、気に入って長年通う飲み屋の親父が、急に話しかけてくるようになると、もう行きづらくなるという感じに似ているような気がします。気にいってます、けど、そっとしといてね、話しかけないでねという雰囲気がメールアドレスなしの投稿の良さ(気楽さ)であるような気がします。う〜ん、ジレンマ。 |