Y 忘れざるルシアン・テーヴェ Z
掲示板(98-107)


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107.一人のプレーヤーの存在

投稿者:夢中人 - 2001年 06月 14日 23時 30分 29秒

私は一人のプレーヤーの存在がオーケストラへの評価を決定付けることがあると思います。

例えば、フィルハーモニア管弦楽団には創設時からデニス・ブレインがいたとはいえ、名実共に素晴らしくなったのはヘルベルト・フォン・カラヤンが登場した1949年、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団からオーボエのシドニー・サトクリフが移籍してからでした。同じ年、当のデニスは彼が不在の場合、1番を吹いていたロイ・ホワイトのちょっとしたフラストレーションによってロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(RPO)を退団(1年後に復帰)する破目になりましたが、最近相次いで出た当時の録音(モーツァルトの29番シンフォニーやリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」など)によれば、1949年のRPOのホルン・セクションはまさにフラフラでした!

1970年代、カール・ベームはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を二度日本に連れてきましたが、本当に素晴らしかったのは一度目のロランド・ベルガーのベートーヴェンの第7で、二度目のギュンター・ヘグナーのブラームスの1番はいま一つでした。カラヤン/ベルリン・フィルでもザイフェルトなら聴きたいのですが、ハウプトマンならご免なさい―言程左様に、たった一人のスタープレーヤーがいる、いないで雲泥の違いがありました。自分がホルンを吹いていたという「ひいき目」もありますが、一般的な評価も当たらずとも遠からじと言ったところ。

大山さんのおっしゃるソシエテ発展的解消時のテヴェ氏の「現実的選択」とは兼務禁止などのパリ管三つの誓文との兼ね合いだったのでしょうが、その背後で音楽家としてのアイデンティティーに触れる、あるいは守るためのなんらかの動きがあったような気がしてなりません。ちょうどデニス・ブレインがオットー・クレンペラーとのヒンデミットの協奏曲の録音現場を「職場放棄」して逐電したように…

106.テヴェがパリ管ソロに就任していたら

投稿者:koba - 2001年 06月 12日 03時 37分 43秒

もしもテヴェがパリ管ソロに就任していたとしたら、いったいどうなっていたのでしょうか?
個人的には、現在とあまり変わらなかったのではないかと思っています。
ミュンシュは早々とこの世を去りますから、直接ぶつかることはなかったかもしれませんが、
結局はカラヤンあたりと揉めて、喧嘩別れに終わったような気がします。
己を曲げてまでパリ管に残ったとは考えられません。
かといって業界の絶大なる支持を得ていた(牛耳っていた?)カラヤンのようなスター指揮者を
追い出せるほどの力が一個人の演奏家にあったとも思えません。
少なくともセネダ達がバッソンと決別した後もパリ管に残るといったことは絶対になかったのではないでしょうか。
結局のところ、テヴェがパリ管ソロを蹴ったのは、テヴェ自身にとっては良かったのではないかと思えます。
少なくとも輝かしい歴史に幕が下ろされるのを直接には体験せずに済んだのですから。

105.お知らせ

投稿者:大山 - 2001年 06月 11日 21時 36分 52秒

ごめんなさい。業務多忙につき2週間ほどオヤスミします。なるたけ早くまいります。

写真ですが、4番のみピストンですが、これはナヴァッセですね!1のアブラムは多分アレキの上昇、3は若き日のマルーでしょう。

テヴェ先生、ほんとはやぱりパリ管ソロ就任の話、断らないでほしかったなあ!

ではまた!

104.C'est un dieu

投稿者:夢中人 - 2001年 06月 10日 17時 36分 23秒

幸せを探したところ、意外にもそれは家の中にありました!

イギリス音楽界の大立者、サー・トーマス・ビーチャムは1950年代、イギリスの税制を都合よく利用してしばしば海外に転地して、イギリスにいるのは年に7、80日にしかすぎませんでした。当時のビーチャム語録によりますと「この国(イギリス)は季候的に居住不可、まったく死ぬこともできやしない。」

こんなわけで晩年のビーチャムはパリでフランス国立放送管弦楽団(ORTF)のサウンド、特にその細ボアホルンのきれいなアタックに似合うレコーディング曲を探していました。録音は1957年11月に始まり、最初のセッションでORTFのメンバーは当惑気味でしたが、すぐに魅了されて、第1テイク終了時にはビーチャムに拍手さえ送りました(この投稿のタイトルはコンサートマスターの口から出た言葉です)。

ビーチャム/ORTFディスコグラフィー(録音場所は全てパリ、サル・ワグラム)

1957年11月4日、5日
1957年11月8日、9日
1957年11月9日
1958年1月7日、10日
1958年1月10日、12日
1958年6月4日〜10日、1959年9月1日〜6日
1958年6月10日、11日
1959年10月11日、28日
1959年10月30日、31日
1959年12月1日、2日
1959年12月3日、4日
1959年12月4日
1959年12月4日
フランク:交響曲ニ短調
ベルリオーズ:幻想交響曲 (CDM 7 64032-2)
シャブリエ:歌劇《グヴァンドリーヌ》序曲(CDM 7 63401-2)
ビゼー:交響曲(第1番)ハ長調
ビゼー:《カルメン》組曲第1番/同第2番 (CDC 7 47794-2)
ビゼー:歌劇《カルメン》全曲 (CDS 7 49240-2)
ラロ:交響曲ト短調
ビゼー:交響曲(第1番)ハ長調 (CDC 7 47794-2)
ベルリオーズ:幻想交響曲 (CDC 7 47863-2)
フランク:交響曲ニ短調 (CDM 7 633396-2)
ラロ:交響曲ト短調 (CDM 7 633396-2)
フォーレ:組曲《ドリー》Op.56 (CDM 7 63379-2)
フォーレ:パヴァーヌOp.50 (CDM 7 63379-2)


フランクやビゼー、《幻想》、フォーレ《ドリー》の第1曲「子守歌」、パヴァーヌなど何れも素晴らしいホルンのソロがありますが、ルイ・クルティナによるものでしょうか(と、まだまだ自信無げ。勉強中です!)

実際の演奏会となりますと、これをはるかに遡って1947年のロンドン音楽祭となりますが、かなりゴタ混ぜのプログラムでした。

RPO・ORTF合同演奏会(7月6日、ロンドン、ハリンゲイ・アリーナ)

ロッシーニ:序曲《泥棒かささぎ》
オッフェンバック:バッキャロール〜歌劇《ホフマン物語》
スメタナ:ポルカ〜歌劇《売られた花嫁》
デュカ:交響詩《魔法使いの弟子》
ウェーバー(ベルリオーズ編):舞踏への勧誘
ベルリオーズ:トロイ人の行進〜歌劇《トロイ人》
チャイコフスキー:序曲《1812年》
ベートーヴェン:交響曲第5番
エルガー:行進曲《威風堂々》第1番
指揮:ビーチャム
指揮:ビーチャム
指揮:ビーチャム
指揮:ロザンタール
指揮:ロザンタール
指揮:ロザンタール
指揮:ロザンタール
指揮:ビーチャム
指揮:ビーチャム


また1950年エディンバラ音楽祭での演奏会プログラムもビーチャム・タッチなものばかり…

ORTF演奏会(指揮:ビーチャム、場所:エディンバラ、アッシャー・ホール)

8月22日

メユール:序曲《トレドの2人の盲人》
グレトリー:バレエのエアー〜ゼミールとアゾール
ラロ:交響曲ト短調
ドリーブ:バレエ音楽《王の悦楽》
メユール:序曲《ティモレオン》

8月24日

ベートーヴェン:交響曲第8番
フォーレ:パヴァーヌ(合唱付き)
ブロッホ:シェロモ(ピエール・フルニエ)
ボッケリーニ:チェロ協奏曲変ロ長調(ピエール・フルニエ)
バラキレフ:交響詩《タマーラ》
シャブリエ:楽しい行進曲

103.ミュンシュ晩年のコンサート・ホール・ソサエティ録音

投稿者:夢中人 - 2001年 06月 09日 22時 28分 52秒

シャルル・ミュンシュが1963年、ボストン交響楽団の音楽監督を辞してフランスに帰国後、フランス国立放送局管弦楽団(ORTF)とコンサート・ホール・ソサエティに録音したレコードに、例のビゼーの交響曲や「子供の遊び」、序曲「祖国」、ドビュッシー「イベリア」や「海」、夜想曲などがあります。

英CRC誌、2000年冬季号、コンサート・ホール・ソサエティの立ち上げに尽力したロンドンの指揮者、デヴィッド・ジョセフォヴィッツの話によりますとミュンシュは仕事が速く、とても自信があって満足いくテイクだった場合、しばしばプレイバックも聴かずに、That’s it!(それだ!)と言ったものだ、とあります。

また竹内貴久雄著『コレクターの快楽』(洋泉社、1994年)によりますと、ミュンシュがORTFを振ったコンサート・ホール・ソサエティ録音にはドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」があり、有名なボストン響盤(ホルンソロ/ジェームズ・スタリアーノ)を凌ぐ流麗で美しい演奏で、ミュンシュの死後、追悼盤LPとしてピエール・モントゥのなにかとの変則的カップリングで一度だけ発売された、現在日本コロンビアからコンサート・ホール原盤のCDが出ているが、この「牧神」は含まれておらず、通信販売の日本メールオーダーが販売しているコンサート・ホール盤のCDにのみ収録されている、とあります。

これはきっとアンドレ・フルニエによる演奏でしょうから、いつか是非聴いてみたいと思っています。

102.ピアノコンチェルトのホルンソロ

投稿者:夢中人 - 2001年 06月 08日 21時 47分 47秒

カズさんのお薦め、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、アンドレ・クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団(Pf:ガブリエル・タッキーノ)を聞きました。ヴィブラートをきっと目一杯かけるかなと思っていたら、そうではなくて一筋の銀糸のように上昇して最高音で品良く「揺れ」ました。ソシエテの管楽器のメンバーはいずれも役者揃いですが、中でもテーヴェは千両役者という訳ですね!

ところでデニス・ブレインは(と、どうしてもこちらに持ってくる私)1945年英映画、「逢びき」のサウンドトラックやフィルハーモニアでのレコード録音―1953年、ニコライ・マルコ(モウラ・リンパニー)とアルチェオ・ガリエラ(ゲザ・アンダ)や1955年、オットー・アッカーマン(ウージェーヌ・マルリーニ)とヒューゴー・リグノルド(ベノ・モイセイヴィッチ)―と5種類あります。またグリーグとシューマンのピアノ協奏曲は各6種類、ベートーヴェンの「皇帝」は7種類もあり、それぞれでのソロをそこだけ聴き比べるのも楽しみの一つです。

101.お詫びします

投稿者:夢中人 - 2001年 06月 05日 22時 38分 15秒

失われてしまった美しいものを愛惜する余り偏ったものの言い方をし、すみませんでした。それからこんなものまで…ありがとうございました。
ミュンシュ&ODPの幻想の録音時
ミュンシュ&ODPの幻想の録音時の写真

100.夢中人さんへ

投稿者:孫弟子 - 2001年 06月 05日 17時 58分 11秒

ミュンシュODPの「幻想」ですが、
元クラ吹きとしては、クラリネットのドリュアル氏のみは
最後のフランス・スタイルの奏者としてご評価いただきたく
書き込みいたしました。第3楽章の長いソロ、及び行進曲における
断末魔の音を、もいちど機会がありましたらご評価ください。
コルのことでなくて、また身勝手な発言でお許しください。

99.はじめまして

投稿者:koba - 2001年 06月 05日 03時 49分 51秒

はじめまして、SONOREさんのところからたどり着きました。
テヴェの掲示板が日本に存在するなんて、正直言って驚きです!
夜中にも関わらず、嬉しい悲鳴をあげております(笑)。

とにかく、あまりの楽しさに過去ログを一気に拝見させて頂きました。
私はホルンに関しては全くの素人なのですが、十二分に堪能させて頂きました。

私の音楽的嗜好としましては、サックスが第一で、そこからミュール、ヌオー、
クリュイタンス、ソシエテ、ついでにギャルドといったところに枝別れします。
そんな中でテヴェは燦然と輝く別格として、かれこれ30年ほどの長きに渡り
いろいろと愛聴してきました。
最初はクリュイタンス指揮のパヴァーヌで虜になり、その後はよくある
パターンだとは思いますが、ソシエテ、オペラ座といったところを中心に
クレジットの有無に関わらず、我が耳を信じて?テヴェの演奏を
追っかけていました。

常日頃、日本ではテヴェが正当な評価を得ていないと、怒りにも似た
不満を持ち続けていただけに、過去ログで語られている数々には
拍手喝采です!

パリ管創設を境とした激変も、例えばギャルドにおける兼務の禁止といった
事実と合わせて、安定した活動基盤、言い換えれば安定した生活基盤の提供
といった側面から眺めると、あながち責められないのかな、と考えていただけに
関連する過去ログには思わず納得させられるものが多々ありました。
スターの排除=凡人の安定、とも言えるかなというのが正直な感想です。
(ズレていたらごめんなさい)

これからも、ちょくちょく寄らせて頂きますので、宜しくお願いします。

98.「幻想」といえば…

投稿者:KAZU@こるにすと - 2001年 06月 03日 21時 29分 16秒

>今日シャルル・ミュンシュ/パリ管弦楽団の幻想交響曲のCDをつい間違って家に入れてしまいました!

夢中人様、何やらとてつもなく不浄なものを家にいれてしまったかのような表現ですね。評論家の宇野功芳氏が絶賛している演奏ですけど、フルトヴェングラー的なところがお気に入りのようですね(ミュンシュは弟子筋ですから)。

この方(ミュンシュ)、ロマン派の曲をやるときは以前大山氏が書いたようにゲルマンの血が騒ぐらしく、こういった演奏になることが多いようですね。ライブなんかではこれがプラスにはたらいて「熱演」となるのかもしれませんが、スタジオ録音では粗が目立ちます。もっとも1945年にORTFと録音した演奏はもっと端正な演奏なんですけど。意外と周りの環境に影響されやすい人だったのかもしれません。

私のこの曲の愛聴盤は�.襯灰鵐�/オペラ座�▲泪襯吋凜�ッチ/ラムルー管��ヴァンデルノート/ORTFといったところでしょうか。��は先日押入れから発見した録音です(ホルンはたぶんフルニエ)。これらの録音は熱血型の演奏をお求めの方には物足りなく思えるかもしれませんが、端正で美しい演奏ばかりです。 


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