Y 忘れざるルシアン・テーヴェ Z
掲示板(78-87)


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87.もしもご存じならば教えてください

投稿者:たくみ - 2001年 05月 14日 01時 25分 52秒

先日、往年の名演奏のお話しがありましたが、昔のLPで、パリ室内管弦楽団・
ウーブラドゥ指揮のヴィヴァルディのLPがあるそうですが、
そのB面に録音されているホルン協奏曲はどなたの演奏なのでしょうか?
インターネットで調べた中古LP屋さんに「1960年代頃のフランスの団体で、
ホルンの目立っているLPはありませんか」と聞いたところ、
上記のLPを紹介してくれました。
どなたか所有されていらっしゃいましたら、情報を教えてください。

中古LP屋さんから紹介して頂いたLPには、この他に
フランス管楽アンサンブルのモーツァルト、マルケヴィッチ・ラムルーの
チャイコフスキーの5番、そしてザールの室内オケのものがありました。
当時、ザールのホルンはどんな人だったんでしょうか・・・

86.モードとしてのテヴェ先生

投稿者:大山幸彦 - 2001年 05月 13日 19時 09分 48秒

夢中人様。私もテヴェ先生がブレインについてどう思っていたか聞いた事はありません。多分興味はあったと思いますが、フランスの奏者でイギリスを意識するようになったのは私が以前かいた「ポスト・フレンチ」世代になってからなので、詳しくはわかりません。
ですが、エクスでのブレインの評判に響くほど当時のテヴェ先生の評判は(夢中人様の指摘どうり)当時の聴衆に「刷り込まれて」いたのです。

時々テヴェ先生の事を世から超然としている聖人みたく見たがる方がいますが、これは間違いで、1930−70頃は本当に多くの聴衆が彼の音に夢中でした。いわば一世を風靡した存在だったのです。彼はまさに流行の寵児でした。テヴェ先生自体も自分がスターである事に敏感で、私に対してもどうしたら自分の音を魅力的に見せれるか、聴衆を引きつけれるか、を良く教えてくれました。魅力の演出法、とでもいうのでしょうか。変な話、私はそうした教えの多くが、自分の現在の現実の商売に役立っているくらいです。もちろん機を見るのに過敏な狭い意味での商売とは違いますが、先生はエルメスやランヴァンと同じ意味での本当の「ブランド」として長期間君臨できたのだと思います。

スタイルのベースは同じだったもう一人の御大、デュヴェミとの活躍期間がだぶったので、多くの当時の奏者がモードとしてテヴェ(あるいはデュヴェミ式)をこぞって採用したのだと思います。

そのモードは戦前のモードの主、ヴィエルモのスタイルの延長上のあったので、合算するとフランスは半世紀以上も独自の美しいホルンのモードに浸ることができました。


それ以降、フランスでこうした流れを主宰できる奏者はいなかったので、現在のようないろいろな流れが混在しながらも傑出していない状態になっています。

ベルジェス、クルシェ、フルニエ、ヴェスコヴォ、ヴィダロ、ブーテュイユ、ガンティエ、クルティナ、テュルニエ、ナヴァッセ、デュバル、ゲラン、デヴァルド、、、、当時のモードに乗りながら自らの美しい個性の華を咲かせた当時の状況が僕は大好きです。

僕のささやかな夢は、自分も下手ながらそうした流れの末裔として、そのスタイルでなくては味のでないダマーズやフランセ、デュボア、ボザ、トマジ、ボノー、プーランクを吹くことです。

そういう点で仲間たちがスタイルの敏感になり楽器を変えた事などは、とても嬉しいことです。

モードとしてのテヴェ先生は、なんと偉大でしょう!

85.フランスで不人気だったデニス・ブレイン

投稿者:夢中人 - 2001年 05月 12日 18時 05分 47秒

オーケストラ曲の中で最も圧倒的なホルンのソロをあげるとしたら、やはりシュトラウスの「ティル・オイレン・シュピーゲル」とラヴェルの「逝ける王女のためのパヴァーヌ」でしょう。

「ティル」はヘルベルト・フォン・カラヤンが3つのオーケストラを振って録音したもの、つまり1951年のフィルハーモニア(デニス・ブレイン)、1960年のウィーン・フィルハーモニー(ロランド・ベルガー?)、1972年と1986年のベルリン・フィルハーモニーがありますが、基本的にはどれも同じで、やはりウィーン・フィルによる演奏が最高というところですね。

「パヴァーヌ」はグイド・カンテッリが指揮して「ハープ奏者はおろかデニス・ブレインにさえも苛酷なリハーサルを繰り返し、ようやくOKが出された」と言われ、確かに美しいのですが、やはりリュシアン・テヴェによって擦り込まれたイメージには一歩も二歩も譲ります。

当時のフランスのホルン奏者はラヴェルであれベートーヴェンであれヴィブラートを効かしたアルト・サクソフォーンのような(言い古された表現をお許し下さい)音を出しており、それがまた蜜の味というものでした。

1949年7月28日、デニス・ブレインはエクス・アン・プロヴァンス音楽祭でハンス・ロスバウト指揮パリ音楽院管弦楽団とモーツァルトの第3番を演奏しました。最高の演奏をしたけれどもフランス人の聴衆を感動させることは出来なかったといいます。つまりイギリスの聴衆にとってデニスの音色は「フランス風の純粋さ+ドイツ風の丸みの理想的ブレンド」だったのですが、フランスの聴衆には少し重(ヘビー)過ぎた、という訳です。

1951年2月のデニス・ブレイン/BBCウェールズ交響楽団(指揮ジェンキンス)とのシュトラウスの2番のようにマイクロフォンの状態によって随分変わった風に感じられることもありますが、確かにヴィブラートの問題は、どうしても個人的な好みや主観の範疇に入るもので、ガンサー・シュラーの著書(1962)『ホルンのテクニック』にある意見が当時の英米における一般的な考え方と言えるでしょう。

「フランスにおけるヴィブラートの考えかたは理論的にも音楽的にも納得のゆく説明がなく、わたしにはおよそ不可解のように思われる。その曲の音楽的様式や内容とは無関係にのべつヴィブラートをかけるということは、どうみても正当な理由が考えられない。非音楽的でしかも繊細さに欠けるばかりか、いっそう悪いことには聞く人にとってあまりの変化のなさにまったく退屈させられる。三流の弦楽器奏者でも年中ヴィブラートをかけるような下手なことはしないだろう…」

デニス・ブレイン自身はその論文「フレンチ・ホルンについて」で次のように語っています。

「ホルンの音は本来、ヴィブラートのような人工的方法を加えなくても十分美しいと考えられています。その一方で、不愉快にならないように上品にかけなければならないですが、ヴィブラートはある種の音楽においては必要だと思います。」

モーツァルトの3番は伴奏にホルンを伴いませんので、その舞台でブレインとテーヴェが共演するということは無かった訳ですが、果たして両者はお互いのことをどう思っていたのでしょうか?今を持ってしても、デニス・ブレインは極めてバランスの取れた考え方を持っていましたので、他はどうであれ互いを認めあっていたのでは、とデニスの誕生日を来週に控え、またまた想像を逞しくしています。

84.パンと葡萄酒

投稿者:夢中人 - 2001年 05月 12日 05時 55分 24秒

スティーヴン・ペティット著、Dennis Brain a biography(邦題「奇跡のホルン―デニス・ブレインと英国楽壇」山田淳さん訳、春秋社1998年)とPhilharmonia Orchestra:complete discography 1945-1987(John Hunt、1987)、ロバート・マーシャル編、DENNIS BRAIN ON RECORD(Margun Music Inc. 1996)はデニス・ブレイン愛好家にとって「三種の神器」であります。

これに対しまして、先年アメリカのGreenwood Pressから出版されたマイケル・ラップリ編、デッカ・レーベル完全ディスコグラフィー(1934‐1973)第5巻クラシックとまだ詳細は明らかにされていませんが、来る2002年刊行が予定されているカリフォルニア・デーヴィス大学、カール・ホロマン博士の「パリ音楽院演奏協会」(博士は最近テーヴェにインタビューしたとのことです)の2冊はこの方面の愛好家の「パンと葡萄酒」とも言うべき存在になること請け合いです。

83.コルサコフについての補足

投稿者:大山幸彦 - 2001年 05月 10日 21時 50分 57秒

ペナブルは実質1918までソロを吹いていたので、前述のコルサコフは彼である可能性が高いのですが、当時彼はなんと62歳! もしかすると当時短期的のソロを勤めたヴィアレかもしれません。

ちなみにここで時々話題になるヴィエルモは1925−1935ソロを吹き、若干時期が重なる形でロモンがソロとなった後(多分40頃まで)、38−67のテーヴェ時代となる訳です。

ただ、当時のパリのオケは録音の関係でソシエテ中心に音楽がまわっていたようにも見えますが、実質的にはオペラとオペラコミーク(1965年オペラに統合)という2つの劇場オケが軸になっていました。(1930頃はソシエテ、パドルー、コロンヌ、ラムルーが4大管弦楽協会といわれ、2つの劇場オケのメンバーがかなり兼務していた) また戦前はシャトレ座歌劇場オケも活発だったようです。(今世紀初頭においては、オペラはラムルーと、シャトレはコロンヌと密接に関連していた。)

オペラのソロとしてはペナブル、ヴィアレ、ヴィエルモ、ロモン、テーヴェ(いずれもソシエテと兼務)、そして後の指揮者になったブロ、などでした。また戦後にはベルジェス、クルシェ、デュバル、デヴァルド、トウルニエなどの名手も在籍していました。テーヴェの晩年とかさなる形でアドネが就任(たぶんベルジェスも一時期ソロを担当)しました。

一方のコミークはデュヴェミが長期間勤めた後、バルボトウがソロを担当し、解散直前にはブルグとマローが就任しました。マローはパリ管に転じ、ブルグは合併したオペラのソロをアドネと分け合う形で1989まで在籍しました。

82.私の愛聴盤です

投稿者:孫弟子 - 2001年 05月 08日 20時 47分 11秒

夢中人さん、皆さん、私もトゥールーズ管楽アンサンブル(Hr:ルネ・ヴィダロ)のミヨー「ルネ王の暖炉」やプーランク六重奏(録音1963年9月16日上野文化会館小ホール)、ビクターのカリオペシリーズ、サン・サーンスの管楽器のためのソナタ、を大事に聴いていました。でも現在でも持っていらっしゃるところがすごい!
他には、ロッシーニの管楽四重奏(クルシェ)やダンディの「歌と踊り」/グノーの小交響曲(マローとタサンが参加)こちらは今でも愛聴しております。
CDではカザレとブレアが参加しているモーツァルトのオペラの管楽版(PIERRE VERANY)はこの種類のものとしては出色です。
また、手持ちのパリ管楽アンサンブルという団体のCDに「ルネ王」他の美しい演奏が入っています、ノエルという方が吹いているのですが、良く溶け込んで柔らかく素晴らしいと思いました。 それではまた。

81.夢中人さま、大変失礼しました!

投稿者:大山幸彦 - 2001年 05月 07日 23時 13分 16秒

下記文で慌てて投稿したら、なんと呼び捨てというひどい事をしてしまい、不快にさせてしまい申しわけありません、、、

kazu様。ロータリーの件間違いないです。ガンティエは「アレキを15年吹いた後セルマーにした」といっていますので、90頃からは(試作品でしょうが)吹いていたと思います。


たくみ様。私見ですがフランス式は普通のホルンと全く別物ですよ、といってあげると学生たちは安心して興味を持つのではないでしょうか? 大きな違いを同じ枠にくくると、それこそショックのあまりアイダンティティの崩壊を感じたりするとやっかいですから。

あ。でもこういう考え方ってそもそも君が僕に教えてくれたんですよね!失礼しました! でもみんなに美しい音がひろまるといいですね!

80.素晴らしい音源!!

投稿者:大山幸彦 - 2001年 05月 07日 22時 36分 59秒

今日はみなさんの素晴らしいディスク情報の興奮しています!

まず、夢中人のヴィダロのライブ録音!これは素晴らしいものです。かつて持っていたのですが転居のさいに紛失したもので、ミヨーでは最も素晴らしい演奏だと思います! テーヴェより派手なヴィヴラートは必聴! 当時のフランスにはパリだけでは地方にもこんな素晴らしい演奏者がいた、という実証になります。実際、地方に住んでいたために未だ音を聞く機会のない奏者がたくさんいます。ランスのコシュロー、アヴィニョンのダルベルトなど(あとイタリア人でテーヴェの盟友とのいうべきセサロッシ)。 ヴィダロはトウルーズでヴェスコーヴォの前々任者位だと思いますが、いや素晴らしい!!sonoreさん所有のブーテュイユのミヨーとともに死んでも聞きたいミヨーですね!(ところでみなさんは、ミヨーはフランス五重奏、パリ五重奏、アンサンブル・クリスチャンラルデはお聴きになりましたか?ホルンは前よりクルシェ、ベルジェス、フルニエです)

また、このプーランクは聞いた事ありません!きっと素晴らしいだろうな、、、
ちなみに私、大のプーランク好きで、過去4回の木管アンサンブル演奏会では必ずセクステュールをやってます。(ちなみにソロはプーランク、ダマーズ、トマジ、デュボア、フランセ、ボザ、ボノーとか、そうした類ばかりですが)

あと「カリオペ」のサン・サーンはジルベール・クルシェですね!ロマンス37で75年録音ですが、実に典雅なピストン・サウンドを聞かせています!当時50歳を少しこえていたはずです。バルボトウより以前のジュネーヴで1等を受賞し、オペラ座(主に2.4)やフランス五重奏団で卓越した演奏を披露した方です。晩年はラムルーでも吹いていたとか。あんなに完璧なフランセのクインテットは今後聞けないのではないでしょうか?

また貴重のヴェスコーヴォの写真ありがとうございます。29年生まれですから40歳過ぎ頃でしょうか? 皆さんモーツァルトの素晴らしさに触れておられますが、ハイドンの2番、ブランデンブルジョアなどはお聴きでしょうか? こちらもぜひ耳にしていただきたいものです!


それからsonoreさんご指摘の「スペイン」は、たぶんペナブルではないでしょうか? テーヴェが山形の講演会で「1880ころから活躍していた」ホルン奏者は多分彼です。確かテーヴェの5代位前のソシエテの主席ですが、20世紀初頭においてはアルフォンス(1920に引退・オペラコミークとパドルーのソロ)と並んで活躍した方です。(テーヴェの話ではオペラのソロも担当)テーヴェはこのペナブル(と師ヴィルエモ、そしてロモン)を絶賛しており、遠くまで実に良く通る音だったそうです。(今度主席在任の時期を再確認します)

でも、今日は興奮しました。。。

79.たぶん未復刻

投稿者:Sonore - 2001年 05月 07日 10時 46分 33秒

モイーズ研究室のSonoreです。

パリ音楽院管弦楽団の最初期の録音にメッサージェが指揮した1918年の録音
がありますが、Vogueなどの復刻に入っていない演奏で、R=コルサコフの
「スペイン狂詩曲」のSPを持っております。
ホルンの美しいパートが抜粋ながら聞こえてきます。
この頃のホルンはどなたなのでしょうか?

78.ロータリーのセルマー

投稿者:たくみ - 2001年 05月 06日 23時 12分 41秒

しばらくROMしておりました。
たくみ@ショッピングセンターでの本番後です。
かなり以前の話になりますが、バルボトゥの音源の件で
みなさまに情報をいただきありがとうございました。
インターネット等でいろいろ発注をしております。
ところでKAZU様、細管のロータリーがかなり良いということで
不肖私も欲しくなって、予算請求をしてみたところ
あっさり却下されてしまいました。
もっとも、太ベル(といってもそれまでのホルトンよりは
圧倒的に小柄なのですが)も吹きやすくて、今日もそれで
大編成の吹奏楽で吹いていました。

先日、私がお世話になっているM先生(元ハンブルグ歌劇場HR奏者)に
「フランスのホルンの音を生徒(ホルン専攻)に聴かせたいので
CDを貸してくれ」と頼まれ、ヴェスコーボのモーツァルトとテーヴェのCDを
貸したところ、それを聴いたホルン専攻生が「この楽器は何ですか?」と
尋ねたそうです。
僕たちにとっては自然なフレンチスタイルのホルンの音は、ホルン専攻生
(音楽コースの高校と大学の音楽教育専攻)には全くなじみのない音だった
というのが、分かりきってはいましたが少しショックでした。

M先生自身はドイツにいたときに遠征に来ていたパリ管の音を直接聴いていて
(バルボトゥが首席だったそうです)「あの時のラ・ヴァルスはすばらしかった
が、英雄の生涯はちょっと・・・」などと話してくださいましたし、いろいろな
スタイルのホルンを教えてくださる方なので、これを機会に少しずつこちらでも
普及活動が広まっていくものと思います。(^^)V

ところで、夢中人殿はいったいどれだけ「お宝」の音源を
持っていらっしゃるのでしょうか・・・
とてもうらやましい限りです。


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