Y 忘れざるルシアン・テーヴェ Z
掲示板(211-220)
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220.下記補足
投稿者:大山幸彦 - 2001年12月05日 21時27分15秒
下記文章で一部文脈が逸脱しています。ヴィアレのくだりまでで言いたかったことはタイミングが一致してればバイロイトやアメリカでもフレンチが採用されたかも知れない、という事です。
またテヴェ先生の鋭い発言を書いたのは、彼が極めて信念をもった奏者であり、まことしやかに語られている聖人君子的に穏やかな人ではない、という事です。たとえは悪いがゴーン氏的なところがある。時々少々酒の肴のようにお気楽にアレンジされて語られるのが嫌なだけかもしれません。
219.嬉しいお話
投稿者:大山幸彦 - 2001年12月05日 21時19分04秒
池谷様。私もそのピストン全盛時代の辞典の記事、初めて知りました。「欧州で広く」っていいなあ。ピストンは例えばウィンナホルンなどとちがってクラシックな楽器ではなく、極めてモダンな楽器で、演奏能力は現在のホルンより高度だと思います。両方のシステムを経験した幾人かの奏者が、音程の融通、ご指摘の均質なる音質、技術的性格さ、を私に指摘してくれました。現在、半世紀以上存続しているダブルホルンの構造的問題に対する試みとしてディスカントやシュミットの新しい調の組み合わせなどいろいろ出てきていますが、私はピストンはそうした根本的問題には突き当たる事なく音楽と対峙できるものだと思っています。(出ない音は下のレ・ベモル、いわゆるDesです。)
例えばクナッパーツブッシュはバイロイトのソリストとしてテヴェ先生を招聘しようと本気で考えていました。また戦前の名手ヴィアレはボストンでのソリストと教授を用意されていました。また隣りのベルギー出身のルロアール、ヴァンドリューシュなどは両者の折衷タイプとして細管ロータリー3番上昇を吹きました。これはフルニエ、アブラム、マルーなどがフランスでも吹きました。私は構造上フランスのコルの優れている第一は、右手なしで(明るく)吹ける合理的な細管あると思います。次に流麗な音楽が可能な上昇。(つまりロータリーであっても極細で上昇であればかなりフランス式の本質をついてる)最後に正確な演奏が可能なピストンシステム。
ご指摘の音の明るさは楽器、目的意識の違い、柔らかな発音、ソルフェージュの正確、そして右手を使用しないことなどに主な原因に有ります。テヴェ先生はある暗い音をした生徒(バルボ時代のcnsmp)に対し「右手は切ったほうがいい」と解答したとのこと。また実名は避けますがある高名はオケのホルンセクションが右手を多様していることに対し「鼻づまり」と称し、これまたある奏者のある演奏を聞いて「絶望的に暗くて、聞いてるこっちがなきたい」(もっとも彼はこの作曲家が大嫌い、CDにも入れてるのに)などなど。。。
私は日本に多く見られる東欧的スタイルと先生を始めとするフランス派が混同されるのには懐疑的です。というのもその源流の一つであるハンガリーの奏者などは極めて右手を多用したクロズ・ソノリテであり(特に戦前)その出自がまるで違うと思われるからです。また彼らの多くがその複雑な問題でアメリカに渡り独自のエコールを作ったのを思う時、例えばツイラーとファーカス(シカゴの指揮者選択の歴史はフランスの亡霊とその反対勢力との戦いという側面があります)などには何らかの関連があると思うのです。
またそうした音を好んだ指揮者たちによって素晴らしいエコールは駆逐されていったのです。彼らの多くはユダヤ系ハンガリーでした。
戦後フランス音楽界のユダヤ問題もまた複雑です。またもう一つの感心としていわゆる東でなかった西のバイエルンやザール、あるいはオランダの流れなどはフランスと相関関係にあったのか、これは調べてみたいところです。
ああ、今日は少し言葉が過ぎましたね!話が飛びました。不愉快になられる方がいましたらご勘弁を。更に先生や当時の奏者の方々の好みやなまなましい話を聞きたいかたは私信ください。
218.戯言で申し訳ありません
投稿者:池谷 - 2001年12月03日 21時38分23秒
当然の事として皆さんが話されている事柄の中で、判らなかったことが随分あったので、恥ずかしながら私なりに調べてみて驚いたことが幾つもありました。
皆さんに「そんな事も知らなかったかい?」と言われて当たり前ですが、Thevet
氏の楽器を持っている写真を見て「第1ピストンと第3ピストンの長さが同じだけど裏に細工でもしてあるのかな?」と思っていました。3番上昇と言う意味が判らず、やっと図書館の蔵書で調べてみてやっと判りました。
大昔に遊びでフレンチ・ホルンを吹いたとき「なんじゃこりゃ?TbにTpのマウスピー付けて吹いてるみたいじゃん。運指なんか必用ないじゃん。どこがホルンのDoなんだよぉ。ウルトラ7は吹けるけどさぁ」と思い2度と手にしなかった事を思い出しました。オクターブ上の倍音で吹かないといけないし、音程なんかとれる代物ではないと思っていました。
第3ピストンを押すと通常とは反対に第1ピストン分(全音分)上がる事、マウスピースのスロートのくびれが余り無い事、「上昇ホルンの運指表」を見ながら変え指の多さにビックリしました。そこに「基音のヘ音記号下第一線のE♭が出ないが、全音域の音質が統一しているのと、音程を正確に吹き易いのと、運指法が理想的なので、欧州ではかなり広く使用されている楽器である。」とかなり年季の入った『楽器について』という本に書いてあり、サルクソンの話や60年以前の古き良き(?)フランスの音楽界を思い浮かべてしまいました。
そしてもう1冊に「ラヴェルは『亡き王女の為のパヴァーヌ』で上昇管を使うように指定した」とも書いてありました。何か機能的なものでもあるのでしょうか?そういえばピストン・ホルンって喉の奥で籠った様な音色ではなく、フンワリとした中にもヌケの良い明るい音が、聞いていて(吹こうとは思っていないので)非常に魅力的です。復活してほしいなぁ。私はフレンチ・ホルンがあの音色で、デカイ音を出して割れた時の(もっとヌケのよい明るい音ならイイのになぁ)余りにもヒステリックな響きが好きではありませんでした。
ところで私の慣れ親しんだジャンル(いまはセミ・リタイヤ状態ですが)でも太管を使う傾向が強い(私はBACH-8という極少数派の極細管)のです。ライブでもレコーディングでもマイクを使うので豊かな割れない音よりも、なんの迷いもなく楽器を鳴らしきってベリベリ、バリバリとある意味下品に吹く方が好きです。
JAZZでも60年代以前は、Tp,Tb,Saxもベルの小さめな細管でした。細管の方がmf位までは明るく心和む音色がするし、ffはバリバリいって気持ちがイイし、聞いても気持ちイイのになぁ。私だけでしょうか?。
まぁ時代の要求でメーカーも広い場所で、大きな音が出せる楽器を作る様になったのでしょうが、細管愛好者もいるということを判ってほしいなぁ。(どっかのメーカーで作っているとは思いますが)長々とオカド違いな事をかいてしまいました。すみませんでした。
217.夢中人様
投稿者:大山幸彦 - 2001年11月19日 20時24分51秒
216の記事、全くそのとうりと思います。後、トロンペットのヴァイヤン、サバレクなども機会があれば聞いてみてください。私はある意味アンドレより凄い、すくなくともそのお弟子さんたちよりは凄い、と思います。どうも70年代以降はどの楽器もフニャフニャになってしまって。。。
コルでは最近テヴェ先生とドウヴェミ教授の間に隠れたもう一人の天才、ルネ・ロモン、そしてフルニエの音源を探すのが楽しみです。この二人は日々の練習にも役立つ音のイメージを喚起してくれます。
隠れた奏者といえば、ヴェスコーヴォ後のコロンヌに(60年代)素晴らしいソリストが一人いますが、彼は記録にあるブリュンという奏者なのか、あるいはブートウイユ辺りが吹いていたのかも最近のテーマです。
こうした思考は演奏の音のイマジネールを豊かにしてくれます。
216.マッソンの衝撃
投稿者:夢中人 - 2001年11月18日 23時11分44秒
ガブリエル・マッソンのレコードを初めて聴かせて頂きました。一体このトロンボーンは何なのでしょうか?狂暴かつ下品を装った悪魔が巧妙自在に吹いているとしか思えません!
フィリップ・ジョーンズ・ブラスアンサンブルのアイフォー・ジェームズ(Hr)やボリショイ歌劇場管のチモフェイ・ドキシツェル(Tp)を初めて聴いた時を上回る衝撃を受けました。
早速県立図書館に行って、演奏家辞典を引いてみましたがテヴェの時と同じで見当たりません。私はデニス・ブレインばかりを追い求めてきましたが、過去にはまだまだ(私だけが)知らない名人がいるのだなあ、と正直思いました。でもホント凄いですね。
215.テヴェ先生の奏法
投稿者:大山幸彦 - 2001年11月18日 14時54分34秒
は夢中人さんご指摘のとうりです。彼はあまり呼吸法を意識してませんでした。というか当時のフランスにはその概念があまりなかった。むしろ呼吸を意識することによって生じる緊張の方を問題だと考えていました。
いわく「音がなりさえすれば別に息はすわなくてもいいんだけどね」
パヴィヨン(ベル)が広すぎると響きの核がなくなる、またパヴィヨンなんて飾りだからあまり本質的ではない(だからそのパヴィヨンに手をつっこんで音質を変えるのもナンセンス!)ともおっしゃってました。
214.またコルについて
投稿者:夢中人 - 2001年11月15日 22時27分31秒
ささくれた心にクリームを塗るためテヴェのモーツァルト(3番)を聴きました。この春先に音源の存在を知り、そのすぐ後、mojoさんが図書館で聴いて投稿されたのを指をくわえて見ていたあのレコードです!(木下様、KAZU様どうも!)
これまた以前たくみさんが、ホルン専攻生がテヴェやバルボトゥのCDを聴いて「この楽器は何ですか?」と言った、と書かれていましたが本当に無理はありません!音色はもちろんですが、ダイナミクスの取り方が全然違います。
管楽器の吹奏は全身を楽器にすること、というのが定説だと思うのですが、テヴェのコルを聴いているとどうもそうでもないように感じる、と言うかホルンは朝顔が大きいのでやりようによっては途轍もなくデカい音を鳴らせるのに、テヴェのコルの場合、あまり鳴り過ぎない(と言ったら語弊があるかも知れない)。
コルとホルンは似て非なる別の楽器、ではサクソルン系?私もどうもそんな気がしてきました。
213.池谷様
投稿者:大山幸彦 - 2001年11月08日 22時28分13秒
プーランクのピアノは実際ペダルを多用して(しすぎて)そのように響いたらしいのです。「ソース抜きの音楽」を標榜していた彼のタッチとしては意外かもしれませんが(本人もそういっていた)先生のリカルド・ヴィエニスの影響です。ご参考までに。
212.訂正
投稿者:大山幸彦 - 2001年11月08日 21時06分08秒
メフレのワグナーは1840頃でした。
211.メロフォンなど
投稿者:大山幸彦 - 2001年11月08日 21時01分01秒
木下様が言ってる楽器は大トトロ様ご指摘のとおりメロフォンだと思います。私も以前誰かがアルトの音域のサクソルンをホルンの形にした楽器がメロフォン(つまりメロフォンはあくまでサクソルン)と聞いたことがあります。またパリで1895頃製造のメロフォンがかなりある、という事実も時代に合致しています。
またギャルドのような技術的に高度な団体ではコル・ダルモニ(ナチュラル)よりも実際的な用途や嗜好から「ホルン的サクソルン」が必要だったのかもしれません。
もしかすると、そのメロフォンの普及が逆にクロマティーク(ピストン)の開発に大きく役立ったのかも知れません。ソシエテではだいたい1890年ころにピストンに切り替わりましたが、もしかするとダルモニの奏者がピストンに持ち替えた、というよりも軍楽隊でサクソルン(含むメロフォン)を吹いていた奏者がこの「ホルン型サクソルン」つまりピストン付きコルを吹いたのではないでしょうか?
テヴェ先生も幼少のころはアルトを吹いていました。もしかすると、19世紀後半の軍楽隊や炭鉱ブラスの隆盛によりサクソルン系奏者が一気に増え、彼らの一部がピストンを吹いたのでは? そうしてダルモニは衰退し、ブレモン教授が「必要悪(!)」として最終的にピストンに置き換わったのでは?
テヴェ先生などは全く右手の影響を受けない開放的な音で吹いていました。これも(右手を多用する)ダルモニとは対照的です。
というわけで、元来ホルン奏者ではなくサクソルン系奏者が19世紀後半、この新しい楽器「コル・クロマティーク」を担当した、というのがフレンチ・スタイルの大きな起源なのではないでしょうか。
かのドウヴェミ教授もミュールの影響を受けましたし。
付記1:夢中人様ご指摘通りフランスでも19世紀前半にはピストンがありました。1828年メフレ教授がワグナーの演奏で使用したのが最初です(あれ?ワグナーってそんな時代だっけ?まちがっていたら御免なさい)そして一度メフレのピストン科が創設されますが流行らず、いったんダルモニのクラスに吸収されてしまいます。実は高名なギャレの活躍はメフレの後も続いています。普通だったらロータリーを使用している時代ですが、フランスではピストンの発明から普及まで80年位かかったのです。
その時代のピストンはラウーやアラリというメゾンで作られた極細の下降Fで、確か実験的に上昇もあったと思います(完成は19世紀末から20世紀初頭、ヴィエルモによって)もしかするとサクソルンの「圧力」がなかったらもっと遅かったかま知れません。
付記2:ではなぜダルモニ時代が長かったか? まあ、素晴らしい奏者がおおかったんでしょう。記述を総合すると本当にビロードのように流麗だったようで、現在のナチュラルの音とはかなり違うようです(推測ではフランシス・オルヴァル氏のナチュラルが一番近い)
名前は失念しましたが1870頃にギャレイ以上の大天才がいたそうですが、サンサース(華麗な方のロマンスは彼に献呈された)をベルリンで演奏したさい、替管のトラブルがあり大変な思いをして、一気にピストンへと気持ちが傾いた、とか。(この話はまた紹介します)
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