Y 忘れざるルシアン・テーヴェ Z
掲示板(161-170)


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170.現在のパリ管メンバー

投稿者:KAZU@こるにすと - 2001年08月25日 14時57分06秒

André Cazalet, 1er solo
Michel Garcin-Marrou, 1er solo
Patrick Poigt
Jean-Michel Vinit
Philippe Dalmasso
Bernard Schirrer

...
私の記憶だとここ10年くらいほとんど変わってないようですね。
ガルサン・マロー(リヨン・コンセルヴァトワール教授)だけが創設当初からのメンバーで往年のフランスの香りを若干のこしていますが…このオケにフランス的なものを求めるのはもはや難しいですね。あとはプレートルがどこまでフランス人の「血」を呼び覚ませるかですが…

169.11月に

投稿者:大トトロ - 2001年08月24日 22時23分28秒

パリ管が来日するのですが(指揮:ジョルジュ・プレートル)http://www.nbs.or.jp/
現在のパリ管のホルンってどうなのでしょうか?
(11/7 神戸行きたいな〜〜〜)

168.こちらに、、、

投稿者:大トトロ - 2001年08月24日 19時11分11秒

「テヴェのファン」を名乗ってらっしゃる方がいますね
とりあえず私のほうよりレス付けてみます

167.本日 <

投稿者:大トトロ - 2001年08月22日 0時10分09秒

台風で強風の中、隣の西脇市のホールで開かれたクラリネット4重奏の演奏会
を聴きに行きました。フランス人2名・日本人2名でフランス・リヨンを本拠
に活動し、さらにバスクラの方は西脇市出身ということで悪天候にもかかわら
ず多数の方が聴きに来られていました。
で、楽器こそ違えフランス語の発音に由来するのでしょうか、とても柔らかい
アタックが印象的でした。特にドビュッシーにおいてそれを感じました

166.東京公演のCD

投稿者:たくみ - 2001年08月21日 13時48分46秒

夢中人様をはじめみなさんはもうすでに入手済みだとは思うのですが、
1964年のパリ音楽院東京公演のCDが田舎のCD屋の店頭に並んでいました。
2枚組でラヴェルプログラムのものです。
CDデッキを娘に乗っ取られ、昨日は終日「動物の謝肉祭」
(こちらは室内楽版・フルートはデボストなど)のCDしか聴けなかったので、
今日こそ仕事を早めに切り上げてじっくりと聴こうと思っています。
ジャケット裏に、小さいながらも大阪公演の時の写真があり
テヴェ氏が写っていました。

165.東ドイツの楽器

投稿者:大山幸彦 - 2001年08月20日 21時21分53秒

はたしかに時々フランスものにも良いのでは。私、ロータリー最近詳しくないですが、メーニッヒのシングルとかウィンドクルーにあったリコキューンの中にもそれっぽい音が出せるのがありました。(クレスペは詳しくないです、ごめんなさい)後ハンスは22歳のころ、それっぽい音にしようとしてつかっていたことがあります(事故死しましたが)。
シュミットもいいみたい。(3番上昇興味あり)あと古いパックスマンも。(これも1年使っていた)

あと、意外!にもアメリカ系の楽器も音がペリっと割れずまるくなるので、使い方によっては大丈夫。KAZU氏やたくみ氏はピストンの前にはホルトンをつかって良い音でしたし、母校m大の後輩ではコーンを使用してクルシェを狙っていた奇特な人もいました(ヴェスコーヴォも後年はコーン)

結局アレキが一番違うんでしょうか?少なくとも先生はアレキの響きがセルマーのそれとはまるで違うともいってました。でもこちらの3番上昇の愛好家もいましたから、いろいろですね!

164.御礼 m(_ _)m

投稿者:大トトロ - 2001年08月20日 19時17分07秒

URL公表して1時間もたたないうちにアクセスいただきまして
ありがとうございます。 > 常連のみなさま

「クルスペ」でピクピク反応してしまいましたのは私だけでしょうか?

クルスペにしろハンス・メーニッヒのような旧東ドイツの楽器は
素人考えで恐縮ですが意外とフランス音楽に合う音色がするように
思うのですがいかがでしょうか???(決してアレキではなく・・・)

163.クルティナ氏の楽器は

投稿者:大山幸彦 - 2001年08月19日 21時46分40秒

どうやらクレスペかハンスだったようです。

162.si...

投稿者:大山幸彦 - 2001年08月19日 20時07分44秒

si(if)フルニエ氏がもっと現役だったら。。。1969年のパリ音楽院教授選はテヴェ先生、彼が候補だったのですが、そこで選出されていたら。。。

以下はなぜバルボトウが選出されたか、という私の妄想です。

テヴェ先生はソシエテとオペラで大きな影響を持ち(ベルジェス、クルシェ、デュバル、トウルニエ、ナヴァッセなど)フルニエもギャルドとORTFに大きな影響力を持っていた(ガンティエ、ブーテュイユ、ゲランなど、あるいはヴェスコーヴォ?)そして彼らは比較的密接だった。

ある意味、デュヴェミはそうした奏者の台頭を快く思っていなかったかもしれない(自分の前任ヴィエルモや同年代のライヴァル・クルティナやロモンの影もある)
彼が60年頃アシスタントとしてバルボトウを採用したのはそうした理由があるのでは。。。


閑話休題。いずれにせよフランスは常に時代を代表する奏者によってスタイルの大筋を決定してきましたが、40年代から60年代にかけてはテヴェ、フルニエなどによる華麗なスタイルの黄金時代でした。それが70年代バルボの教授就任とパリ管就任で一気に変わっていくわけです。

161.続・ORTF

投稿者:KAZU@こるにすと - 2001年08月19日 19時34分39秒

今日まで小泉首相と同じく箱根で静養しておりましたKAZUです。

私は結局ORTFは最終日のマルケヴィッチ指揮編しか見られなかったのですが、すばらしい演奏でしたね。ホルンの主席はすでにフルニエになっていましたが、3番管が上昇管と思われるBシングルを使用していました(どこの特注かは不明)。ラッパの主席はルドヴィック・ヴァイアンではなくピエール・ポランだと思います(横にいた高齢の奏者がおそらくヴァイアン?)。まだ細管の楽器を使っていてヴァイアンゆずりの非常に輝かしい音色でした。フルートのデュフレーヌはスタープレーヤー扱いでしたね(アップで写りまくり)。オケ全体の看板奏者だったのでしょう(戦前のソシエテにおけるモイーズのように)。マルケヴィッチの職人芸的指揮にも感銘をうけました。派手さはなく、ひたすら譜面に忠実、しかし決して無味乾燥とはならず、音楽をもって語らせるスタイルはクリュイタンスにも通ずるものがあると思います。こういうスタイルの指揮者は最近ほとんどいませんね。

後半のブザンソンでのライブはだいぶメンバーが若返ってましたね。ホルンの3番はおそらくもう一人の主席だったガンティエ、フルニエはほとんどアシに吹かせてさぼってました(爆)。楽器はホルトンの特注(H200の3番上昇)だったと思います。

ORTFにはおそらくこういった放送用音源が仏国営放送に大量に眠っているはずですからどんどんビデオやCDにして公開してほしいですね。

それからORTFの1962年アンゲルブレシュト指揮のライブ録音の「牧神」のホルンソロは今までクルティナだと思っていたのですが、今日改めて注意深く聞いたところ、ヴィブラートを押さえて吹いたフルニエだと確信しました。彼は指揮者の要求によって柔軟にスタイルを変化させることのできた非常に器用な奏者だったのでしょう(但し音楽の根本はあくまでもフレンチスタイル)。彼がもう少し長く現役でいたならホルンにおけるフレンチスタイルは今とは違うものになっていたのではないでしょうか。インターナショナル路線にも対応しつつフレンチスタイルを残せたような気がするのですが…(おそらくチェリビダッケあたりと確執があって早く退団したのでしょうね)。忘れられてしまうにはあまりにも惜しい名奏者だと改めて思いました。

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