英ガーディアン紙、1957年9月2日(月)

デニス・ブレイン

傑出したホルン奏者

 第一面で死亡が報じられたホルン奏者、デニス・ブレインは一九二一年生まれ。父は二年前亡くなった、これまた名ホルン奏者、オーブリー・ブレイン、母は歌手のマリオン・ビーリー。 セント・ポール校を卒業後、王立音楽院で父オーブリーにホルンを学んだ。 一九三八年、ロンドン、クイーンズ・ホールにおけるブッシュ室内合奏団の演奏会で初デビュー、戦時中はイギリス空軍中央音楽隊(RAF)に在籍した。その後、ソリスト、室内楽奏者として活躍する傍ら、フィルハーモニア管弦楽団の首席ホルンを十年以上にわたって勤めた。 デニスのために書かれた作品も多く、代表的なものとしてブリテンのテノール、ホルンと弦楽のためのセレナード、エリザベス・ラトイェンズ、ゴードン・ジェイコブ、パウル・ヒンデミットらによる協奏曲がある。

 ネヴィル・カーダス曰く、デニス・ブレインは国内外を問わず、芸術性とテクニックの両面で当代最も優れたホルン奏者であった。 遺伝による才能は伸びないとも言われるが、デニスは父オーブリーを越えた名人であった。 その秘密は丸みを帯びた音で、決して失敗せず、旋律をレガートでチェロ奏者のようにゆったりとしたカーヴを描いて吹くことができた。 スタッカートによるパッセージも巧い。いかに速い旋律でもあざやかで息継ぎのムダが無い。 その音色は凝縮され、無理なく力みがない。デニスの唇はまるでピアニストの指のように敏感なタッチを持っていた。

 ホルン奏者というものはヴィルトゥオーゾやソリストとしての才能を示す機会に必ずしも恵まれない。 あくまでオーケストラの一員であることを第一にしなければならず、もしその中で個人プレーに走れば、全体のバランスが失われる。 ブレインはどんな場合でもオーケストラという組織の平衡感覚を崩さない。 彼は音やその調合に対応する天性の音楽家の耳を持っていた。 オーケストラとの調和のとれた演奏では、デニス・ブレインは天才であった。

 彼が最初からソリストとして演奏し、すぐにピアノ、チェロ、ヴァイオリンといった器楽の名人の一人になったのは驚くに当たらない。 シュトラウスのホルン協奏曲の速いパッセージでのほとばしるようなユーモアは忘れがたい。 恐らく彼の残した録音では無類のモーツァルトのホルン協奏曲がベストだろう。 絶頂期におけるデニスの死によって英国音楽界に空いた穴は絶えがたいほど大きい。


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