滅びの年
クリュイタンスの死はパリ音楽院(PCO)の滅びる年でもあった。アンドレ・マルロー文化相の強力な文化的ナショナリズムの一環として、フランス全土のオーケストラをことごとく国営に切り換える手はじめとして、PCOの172年の歴史に幕が降ろされた。
発展的解消≠フ美名のもとに国営として誕生したパリ管弦楽団は似て非なるものとなり、PCOの音はディスクにのみとどめられている。よきにつけ、あしきにつけ、PCOはフランスの純正だったが、パリ管はその後、擬似インターナショナルな方向へ発展し、
フランスの代表的オーケストラとしてのアイデンティティを喪失しかけている。デュトワ/モントリオール響が「世界で最もフランス的なオーケストラ」といわれるのも、そのためである。ひとたび滅びた音はもはや復元することができない・・・
(三浦淳史、昭和62年10月、レコード芸術別冊「演奏家別クラシックレコードブックVol.1指揮者編」音楽之友社から引用)