Y 忘れざるルシアン・テーヴェ Z
掲示板(201-210)


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209,210.(欠番)


208.メロフォン?かな

投稿者:木下直人 - 2001年11月06日 20時37分45秒

私が楽器を演奏したのは高校の3年間くらいでトランペットでしたし当時の長野県飯田高校吹奏楽班は極貧でホルンはありませんでメロフォンとアルトフォンのみでした。コンクールで5時間も鈍行列車に揺られて大都市長野に行きますとご当地の裕福校の持っているホルンをはじめてみてありゃなんだと驚いたものです。ニッカンのピストンホルンでした。そんな訳で私はホルンの知識はゼロです。ですからコメントする資格なしなのです。むかしのケノンの古いカタログを紹介いたします。092にCOR ALTOとホルンが出ています。参考にしてください。
http://logindemerde.free.fr/catalog/couesnon/page.html

207.>木下さま

投稿者:大トトロ@totoro's room - 2001年11月06日 19時19分24秒

>Felix Lignerがサクソルン・アルトをホルン型に改良したE♭及びFの
>アルト・ホルン(Cor.Alto)を考案し当時広く普及していたと言う事実です

これって現在「メロホン」(mellophone)と呼ばれているものの事でしょうか?

206.アンリ・セルマーについて

投稿者:木下直人 - 2001年11月05日 23時53分15秒

アンリ・セルマーは1880年にパリ音楽院クラリネット科を2等で卒業しています。ギャルド第2代楽長のセルニックの時代に入隊し1885年にクラリネットの製造をはじめるため退職しています。しかし、注目すべきは同時代のギャルドのメンバーであるコルネット奏者のFelix Lignerがサクソルン・アルトをホルン型に改良したE♭及びFのアルト・ホルン(Cor.Alto)を考案し当時広く普及していたと言う事実です。私には何のこれ以上のコメントはシロウトなのでできませんがどうなんでしょう。

205.コルの起源

投稿者:夢中人 - 2001年11月05日 22時28分10秒

大山様の「コルはホルンにあらず?」大変興味深く拝見しました。従来の論議ではホルンは狩猟ホルン(コル・ド・シャッス)をその起源として、その発展形ナチュラルホルンに19世紀初頭開発されたヴァルヴをフランスではペリネがピストン式で実用化し、ドイツではリードルといった人々がロータリー式で開発した、というのが定説ですね。

あるいは中世フランス最古の叙事詩『ロランの歌』(この手の話によく引用されます)に出てくる様―バスク族の襲撃により全滅の危機に瀕して、隊長ロランが急を告げる角笛(オリファン)を吹きならしてカール大帝本体の援軍を求めた―軍事目的の楽器というイメージなど。

そういう歴史ロマンではなく、もっと道具としての楽器に注目した考え方、大変面白いです。山西龍郎氏著『音のアルカディア』脚注254頁に、テヴェ氏はヴァルヴのシステムだけではなく構成の違いでフレンチとジャーマンを分けたともありました。

KAZUさんはお気付きかと思いますが、大阪の岡本健さんから新しいCDの為にありがたくもお送り頂いた参考資料The New Langwill Index(A Dictionary of Musical-Instrument Makers and Inventors)を拝見して、私は思わず得たり顔をしました。それにはパリの名ホルン工房、ラウーの歴代オーナーの系図が載っているのですが、初代王付き(?)ラウー以降、ヨゼフ(b1730)、ルシアン・ヨゼフ(1753-1821)、マルセル・オーギュスト(1795-1871)、ラバィエ、ミルロー、ショネアーと続いた系譜の最後にあるのはアンリ・セルマーであり1931年に事業を継承し1933年までその暖簾を続けたそうなのです!

池谷様、TOWER RECORDのAdes盤コーナーとても見逃せないスポットですね!

204.Poulenc Ades盤

投稿者:池谷 - 2001年11月05日 14時50分13秒

Ades盤のストラヴィンスキーの時には、ご協力有難うございました。
またTOWER RECORD に行って Ades ACCORD 盤コーナーのところに行ってみると新たにか、見逃していたのか「Poulenc」があるではないですか。思わず買ってしまいました。
廃盤での題名は確か「POULENC POULENC」だと思ったのですが、曲目を見て同じ物だと分かりました。
1.Le Bal masque(カンタータ「仮面舞踏会」)P.Bernac,オペラ座ソリスト達
2.Elegie(PfとHornの為)Lucien Thevet
3.Sonate(PfとFluの為)J.P.Rampal
4.Trio(Pf,Ob,Fg3重奏)P.Pierlot, M.Allard. Rec 1957,58,59.
の内容で、Elegie の演奏は「リサイタル1」と同じですが、レコードから録った様な籠った音ではなく、明らかにマスター音源を使ったクリアーで広がりのあるSTEREOの音でした。Pfのが少し広がり過ぎているきらいは有りますが、古い音源とは思えぬ素晴らしさです。
Elegie の出だしなど一瞬別テイク?と思わせるぐらいの音質で、ホルン(コルと言った方が良いのでしょうか?)の音色がイキイキと聴こえました。私の様なポッと出のミーハーは大喜びです。ランパルも聴けたことだし。とりあえず嬉しくて書き込みをさせて頂きました。

203.コルはホルンにあらず?

投稿者:大山幸彦 - 2001年11月04日 17時42分56秒

カズ氏と電話で話していたら面白い話題になりました。セルマーではセミダブルピストン製作時の少し前にサックスの工房を吸収しておりそのノウハウが多大にある、とのこと。確かにパリのフォンテーヌ・ド・ロア通りにありセルマー(セルメル)本社にはサックスの試作品が多数展示されています。となりますと、ピストン・コルもサクソルンの影響を受けていた、というかもしかしたらそのものではないか、という訳です。断定はできませんが。 たしかにドイツではコル・ダルモニ(ナチュラル)からパレット(ロータリー)へと音も技術も連続的に変化したのかも知れませんが、フランスでは19世紀後半コル・ダルモニとコル・クロマティーク(ピストン)は一時期別の楽器として並列していました。そしてコル・ダルモニが柔らかい音で木管的なのに対し、クロマティークは開放的で旋律に適すると当時の記述にあります。かなりこの二つの楽器は対立しており、クロマティーク奏者の音の嗜好や奏法はダルモニを引き継いだとはいえない部分が多いのです。 初期のクロマティークの名手といえば、ペナブル、アルフォンス、ヴィアレなどですが、彼らがピストンのシステムを導入するさい、サクソルンは多いに参考にしているはずです。また上昇管の発明者であるヴィエルモはセルマーに開発させました。

したがって、ダルモニを「ホルン」のオリジナルとみなせば、クロマティークは「ホルン」の形をした一部代用可能な「サクソルン」の一種であり、「ホルン」そのものではない、ともいえるのではないでしょうか。正直いってずっとピストンを吹いてきてロータリーとの関係性にすっきりしないことが多かった私としては、カズ氏との会話で芽生えてきたこの考えは天啓にちかいものでした!

19世紀までのダルモニ時代にはむしろ普仏(独仏)の楽器はベースが同じで(各スタイルはあったでしょうが)あり、20世紀の前者がその発展形であるのに対し、後者はそれによく似た形の別の楽器を採用したのではないでしょうか?
つまり本質的にはギャレとテヴェ先生は別の楽器である。大いに関係はしているが。(テヴェ先生はギャレをもちろん大事にしていたが、ダルモニには全く興味がなかった)

もちろんフランスでも「ホルン」でテヴェ的魅力をだそうとした人はいます。70年前後のアブラム、マロー、アドネなど上昇管パレット採用組。彼らがフランスでは失われた「ホルン」の根源、ダルモニに興味を持つのは面白いことです。

具体的には管の形状などに著しい違いがあります。もう少しわかったら
また書きます、いずれにせよ、「そうか、僕はホルンを吹いてるのではなく、コルというサクソルンに近い楽器を吹いてるんだ」・・・と思うとすっきりするものがあります。ではまた。

202.大トトロ様。

投稿者:大山幸彦 - 2001年10月29日 15時45分42秒

おひさしぶりです。

件の写真はブラス・ブルタン誌のものですね!オケのクレジットではセカンドはベルジェスと書いていますがこれは間違えでトウルニエ氏だそうです。記事の内容は非常に鋭い筆でかかれたカザレに対する反論です。(先生は山形では注意して発言しなくてはね、とおっしゃっていた。この記事では同じ趣旨のことがもっと明確にかかれています)

201.木下様。池谷様。

投稿者:大山幸彦 - 2001年10月29日 15時19分35秒

木下様。マソンの音源の件、情報ありがとうございました。私も録音が大変悪い状態でしかもっていませんが、あのアンサンブルの2番がガリエーグだと始めて知りました。感動です! テヴェ先生は65年ころにマソン、デルモットなどとアンサンブルをしていたことがあります。

池谷様。ショルティのソロがベルジェスであるというのは私の推測です、まちがっていたらごめんなさい!
ソシエテのボレロはガリエーグです。彼はまずオペラでマソンの同僚として活躍した後、ソシエテに移りました。あとボレロに関してはもちろんマソンがオペラでいれてるのもすばらしいし、ORTFやラムルー、コロンヌのもあります。特に面白いのが戦前のラムルー、作曲者自演版ですが、このトロンボーンは、本当にジャズそのものです。というか、ある時期までのフランスではクラシックとジャズ、ヴァリアテなどの演奏には差がありませんでした。オケマンがマイルス・デイヴィスとも吹いていた、という人もいますし(しかもオケではコル!)。ティヴォーみたく、ギャルド&オペラ座からクインシー・ジョーンズにはいった人もいますから!(彼については私は100パーセント好きというわけではありませんが、)

ところで木下様。私は最近(テヴェ先生などの例外を除いて)ギャルドが伝統的に優秀なコル奏者の供給源であり、そのシステムが途絶えた時、フランスの凋落が始まったのではと考えますが、ガンティエ、ブートウイユ以降のメンバーはどうなったのでしょうか?ギャルドにおいて伝統はある日突然途絶えたのか、そうではなかったのかが知りたいです。

また、フランスは最近まで徴兵をしていましたが、おそらくギャルド入隊でそれに充当したので、特に若い優秀な奏者が多かったと推察していますがいかがでしょうか?ちなみにテヴェ先生はギャルドではなく前線の軍楽隊に所属したようです。そこでナチュラルでサンサースを仲間とどっちがはやく吹けるかいつも競争していたそうです。

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