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千葉馨ディスコグラフィー


 この文章は、兵庫県立明石南高等学校の放送部の皆さんが、2004年兵庫県高校総合文化祭、放送ドキュメント部門エントリー作品「蘇る神の音色」のために同年10月4日、千葉馨さんに電話インタヴューし、書き起こしたものを許可を得て掲載したものです。

2005年1月22日、夢中人


「蘇る神の音色」 蘇る神の音色 (所要時間 8分11秒)

千葉さんによるブレインの想い出話は、これまでに次のものがあります。

音楽之友社 1975年3月/週刊FM編 続・素顔の巨匠たち〜ブレイン
音楽の友 1989年11月号/私の先生連載22 デニス・ブレイン
産経新聞社「正論」 1999年8月号/師の相貌

> もしもし?
はい千葉馨ですが。
> 兵庫県立明石南高等学校の放送部の者なんですけれども。いまからよろしいでしょうか?
お待ちしてました。
> ありがとうございます。では早速質問してもよろしいでしょうか。デニス・ブレインさんとの出会いについて、何年前に出会ったとか…
ああ僕数字を覚えてないもんだから。ただ死ぬ1年前ですよ。デニス・ブレインが。
> どのようなきっかけでお弟子さんになられたのでしょうか?
デニス・ブレインのお父様がね、オーブリー・ブレインという方なんですよ。それで僕はデニス・ブレインという名前を知ってはいたんだけど、生徒を教えるってのは、だいたい若い方じゃないほうがお上手な例が多いもんだから、お父様のオーブリー・ブレインに弟子入りをしようと思って、いろいろ音楽関係の方から探してもらったら、残念なことに僕が探し始めた1年前にもうお亡くなりになったらしくて。ということで、それではご子息のデニス・ブレインにお習いしようと思って。
> デニス・ブレインの第一印象はどのようでしたか?
うん、第一印象ってのは大変に真面目な方でね。リヒャルト・シュトラウスの「バラの騎士」っていうオペラがあるのを知っていますか?最初にお目にかかったところがその「バラの騎士」の録音場所ね、大きなオーケストラと、もちろんそれからコーラスもいるし、ソリストも10人くらいいるし、そういうのが全部入るのは劇場しかないわけよね。劇場のお客さんの椅子を取っ払って、そこにオーケストラを入れて、ステージの上にソリストがあって、そこいらへんにコーラスがいて、真ん中にヘルベルト・フォン・カラヤン、その方が指揮でもって「バラの騎士」というリヒャルト・シュトラウスの有名なオペラを録音するときに、そこの録音場所で最初にお目にかかりましょうという電話を前々に僕がロンドンに着いてすぐ連絡したらその指定があったもんだから、そこでオーケストラのお昼休みに行ったわけね。午後の1時にお目にかかりますって、1時半から録音がまた始まるからぴったり1時にって。

僕は1時ちょっと前に行ってうろうろして、ああホルンの譜面があすこに置いてあるから、1番ホルンはここなだななんて思ってね。そこで待ってたら1時2、3分前にシタシタシタと戻ってらっしゃって、東洋人なんてのはあんまりうろうろしてない場所だから、すぐわかるわけよね。「お前が千葉さんか」というわけですよ。そこへまたこんどカラヤンという人があって、すごく偉い人だったんだけどね、その人が午後の棒を振るために何かちょっとデニス・ブレインに注文があったのね。そこへ寄って来て、偶然だけど僕はカラヤンという人を日本でN響で吹いて知っているのよね。「お前なんでこんなとこにいるんだ?」っていう話になって。デニス・ブレインはキョトンとして(笑)僕がカラヤンとしゃべってるもんだからさ。「あれえ?」(笑)というわけですよ。初対面ってのはそういうとこ。カラヤンは「お前何しにこんなとこにいるんだ?」とか、「ベルリンへ来いって呼んだ時にはぜんぜんいなかったよな」とか、「返事なかったね」なんていいながら。別なことをね。話して。「デニス・ブレインに習いに来たのか?それは良いことだ。あっはっは!」とか言って(笑)離れてったけどね。デニス・ブレインはそれをずっと見てて、「彼が聞いているんなら、相当ちゃんとあんたは吹けるはずだな?」とか言って、カラヤンがまあこんな下手くそと付き合っちゃ駄目だよなんて言わなかったのが助かった(笑)ということですよ。

> デニス・ブレインの人柄については?
大変に真面目な方ですよ。そのあとの話だけど何時何時に自宅のほうでという時に、レッスンはみんな仕事場じゃなくて自宅へ伺ってやってたんですけど。僕がロンドンの南の端から北の端へ、街の真ん中を突っ切って車で行くのって結構時間が不安定なのよね。急いだら早く着くっていうようなところじゃなくてさ。混んじゃって混んじゃって車が渋滞して動きませんでした、30分あそこで止まっちゃった、なんてことがしょっちゅうあるような街だからね。あの頃は。ちょいと用心して早く着いてお宅のまん前に車を止めてちょいと、その頃はまだ缶詰の飲み物なんてあんまりはやってないころだけど、ちゃんと僕は魔法瓶を車に積んどいて、それ飲みながらチラチラと待ってたんですよ。そしたらお約束した時間の5分前ぐらいにスーッといかしたスポーツカーがやってきて、一人で乗ってて、お買い物をしてらっしゃったらしい。それこそ食料品のたくさん入ったようなおっきな袋を抱えて降りてらっしゃって「僕、時間を間違えたかなあ?」って言って。「いや僕がロンドンで何時何時に着くのはよそ者にはとっても難しい街だから、ちょっと15分くらい前に着いたんです」と返事したら、「やあ良かった。僕は自分が時間を間違えたのかなと思った」とクイーンズ・イングリッシュでね、丁寧な言葉でおっしゃるから、ときどきこっちがわかんない単語があったり(笑)しても、まるっきり地球の裏っ側から来た若者に真面目に丁寧に挨拶してくださるような人です。
> 時間とかしっかりされていて?
そうそう!とっても売れっ子だったんだけれど、時間が正確だっていうやつにひとつ面白い話があるんだけども。やはり大きな録音があって「おい、もう始まるのに5分前だけどデニスがいないな」っていってみんなが心配したときに一人がね「いや、あいつはBBCにいたな。おそらく15分ぐらい前にリサイタル・ルームなんていう番組をとってたんじゃないかな?」なんて冗談いってたら、ホントにそうだったのね(笑)。レコーディングの前にラジオの録音をやってたのね。てことはレコーディングっていうのは午前と午後の間に2時間半かなあ、お食事で休むわけよね。その間の2時間半を使ってBBCってイギリスのNHKみたいなのね、放送局に行って、30分ぶんぐらいのリサイタル、「午後の室内楽」みたいなさ、メニューを録音してそいでまた、真っ赤なスポーツカーに乗っかってすーっと帰ってきて、5分前にちゃんとレコーディングの方の椅子に座るっていうとってもこう、時間の使い方が厳しい方で。ラジオの録音をとって、今度はレコーディング。そのときは何だったか知らないけれども、そうやっても全然苦にしないのね。逆に放送局の人が「やあ、そんなにきっちり詰まったスケジュールで大丈夫ですか?お疲れになりませんか?」なんて心配するような。でもご本人はもうケロッとしてるっていう。そういう方でした。
> デニス・ブレインから具体的にどのような指導があったのですか?
音楽の解釈やそういうことが僕はデニス・ブレインとちょっと考えが違うんだけども、考えは認めてくださってる。「僕はそう吹かないけれども、それも成り立つね。」とかね。とっても楽譜の読み方というか、そういうものを正確に教えてくださる方でしたね。
> 厳しかったですか?
いやいや丁寧です。怒ったり、泣いたりなんてことは絶対にないから。
> 対立したりとか意見の食い違いはありましたか?
しょっちゅうありますよ。
> どのような感じで?
うん、だからとっても丁寧に対立するわけよ。わかるかなあ。決めつけないの。
> 激しくなくて?
激しくない。とっても理性的ですよ。
> デニス・ブレインから学び取ったことはありますか?
(深いため息)そう簡単にね、盗めないんだな(笑)。とにかくあの方は「神様」ですからね。天才なんてのはまだ子供っぽいけど「神様」だからねえ、あの人は。こっちがどれくらいデニス・ブレインから何を盗めたとか、デニス・ブレインのおかげでこうなったなんて事は全然関係ない(笑)。
> やはりそれだけすごかった方だと?
そうね。次元が違うの。だから意見がまるっきり逆さまのことをしだしても「そういう考えもあるなあ。だったらこうやるけどな」って、最後の最後にちょっと付けて下さる。ということだから。「だけどあなたは前の方でこういう設計をしているから、あなたもおしまいでそれはそれでいいよなあ」ってご自分でも考えてらっしゃって。それとテクニック上の問題で細かい音符というか、何かそういう風なテクニックを使ったら、もしくはそういう工夫をしたらもっと舌が早くなるとかさ、テクニック上の問題、高い音はどうやって出すかとかさ、いろいろこんなことを聞いたってわかんないだろうな「神様」だからね。最初っから出来ちゃう人だから(笑)。と思っていても聞く以外ないから聞くと「うーん1週間待ってよ。その間にアラン・シヴィルに聞いてくるって(笑)。アラン・シヴィルってのは同じオーケストラでデニス・ブレインと交代に、1番、3番をやったりとったりしていたおじさんで、このおじさんも14、5年前に死んだな。アラン・シヴィルっていう人はデニス・ブレインのお父様に習った方。というわけでデニスが返事できないようなことの時は「1週間待って。アラン・シヴィルに聞いてくるから」とおっしゃってました(笑)。
> 話は変わるんですが、今のクラシック音楽と昔のクラシック音楽の違いはどういうところだと思われますか?
今はもう何でもありだからねえ。だけどあんまり、スピード、陸上競技じゃないんだから、スピードが速くなったからっていいわけでもないしねえ。もうちょいと、作曲を大切にしてくれるといいなって思うけど。今の若いお方はとにかくテープレコーダーとかなんかいろいろ自分の音をすぐこう繰り返して聴いてみる。自分が別の立場になって聴いてみるっていうことが今すごくやさしいでしょ?やろうと思えばね。やらない方もいらっしゃるけども(笑)。完全無欠がほんとにどんどんピッチやスピードが速くなる傾向にあるんで、昔だったらメトロノーム80ぐらいでやってたものが今はもう120ぐらいになっちゃったりね。僕はメトロノーム記号のあるやつはもちろん尊重するんだけど、その前にアレグロとかアンダンテとか書いてあるじゃない。そっちの文字で書いてあるほうを大切に考える。楽譜を読む時にね私は。ということは、アレグロでももうちょっと112よりは速くなる場合もあるし、逆に「おい100までいってないなあ」なんて時もあるし、だいたい僕は遅くなる(笑)。だいたい遅くなるなんてのは褒められたこっちゃないけども。あの方は必ずといっていいくらい速いなあ(笑)。
> デニス・ブレインの演奏や音で他と違うってのは主にどのようなところですか?
余分な艶出しだとか、艶消しだとか、とにかく「通り」のことをやってらっしゃる。楽譜をすごく音楽になさってるから。他の方はなんとかして作曲家に近づきたいと思ってらっしゃっると思うんだけど、デニスは楽譜そのものを作曲家が書いた唯一の手がかりと考えて、楽譜を読むだけだということをしょっちゅうおっしゃって、あんまり持って回った解釈はなさらないから。
> デニス・ブレインに何か今になって言いいたいことがあれば…。
もう僕の頭の中に定着しているから、今更変えないから(笑)。変える気もないし、変わる手がかりもないし。「神様」はもうしょうがないでしょ。車に乗ってもむだなスポーツカーに乗っているけど決してモーターきちがいじゃないですしね。メカニックはすごく好きだけどもそれをいじめないし、決してスピード狂じゃないから。
> 最後に兵庫県の愛好家が自主制作したデニス・ブレインのCDがあるんですがどう思われますか?
ほう、いや、聴いてないからわかんない(苦笑)。ブレインに関わらず、あまり人様のは聞かないたちなもんだから。もちろんデニスが吹いたものってものはね、聴いたらもう同じ曲は吹けないよ。こっちが惨めになっちゃって。ということです。
> もしCDが手に入ったら聴きたいと思われますか?
そうねえ。もう今頃になりゃ。僕も吹くことをやめましたからねえ。もう大丈夫でしょう(笑)。
> 今日はわざわざお時間を作っていただきましてありがとうございました。
どういたしまして。ありがとう。

 とても残念なことに千葉馨さんは、2008年6月21日、80歳で亡くなられました。そのことを現在タイにおられる山田淳さんから聞きました。 山田さんはこの一大事を世界中のホルン奏者に知らせるため、このインタビューをごく短時間で英訳してIHSのメーリングリストに投稿されました。

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