ブラス・トゥデイ

フレンチ・ホルンについて

デニス・ブレイン


人は彼を「ホルンのジークフリート」と呼んだ・・・

 1957年9月1日、日曜日、全国の音楽家や音楽愛好家にとって悲しいラジオ・ニュースが流れた。 それはデニス・ブレインの死という信じ難いニュースだった。その前日、エディンバラ音楽祭で演奏した後、 ロンドンに帰る途中、バーネット・バイパス―自宅まであと数マイルのところ―で車は道路を外れて木に衝突した。

 デニスは36歳、演奏家として最も円熟期に亡くなった。17歳の時、クイーンズ・ホールでのブッシュ室内合奏団の演奏会でプロデビューしたが、彼の演奏はその時既に並外れた才能を示した。 彼の為にヒンデミットやベンジャミン・ブリテン、ゴードン・ジェイコブ、ゴードン・ブライアンらが曲を書き、スイスをはじめ、フランス、ドイツ、オランダ、イタリア、アメリカなどで協奏曲を演奏した。

 彼はすばらしいテクニックと優美なスタイル感覚を絶対の確実性と結合させた。最も複雑な性質からくる難しさ、また並以上の奏者をもひるませる剥き出しの入りもデニスの恐れを知らぬアプローチの前には無いも同然。 人は彼を「ホルンのジークフリート」と呼んだ・・・


 「フレンチ・ホルンについて」はデニスが亡くなるほんの少し前に書かれた。デニスは執筆にかなり入れ込み、とても面白い仕事だと我々に語っていた。事実、彼はそこここに加筆するため2度も草稿の返却を依頼してきた。 この文章は当然それ自体かなり興味をもって読まれるだろうし、有名人の執筆として必然的に注目に値するに違いない。しかし、そこでアーチストが自分自身にまつわることを語っていることから、一層価値あるものとなろう。

デニスの原稿の最初の行の写し

 辞書で「角(horn)」を引くと「脱落性の無用の長物」とあります。多くの指揮者や―演奏家―が時折ホルンのあまりお世辞とはいえない喩(たと)えに使うのですが、多くの場合、楽器のひとつとも言われます!

 狩人たちに使われた動物の角から進化して、5つ、まれに6つのバルヴの楽器となり4人、時には6人から8人(さらにシュトラウスのアルプス交響曲の場合、少なくとも20人)の集団でオーケストラの後方で明るく輝いています。 要は弦楽器群がこの200年、事実上変化が無かったのに対し、ホルンは大変発達してきた訳です。

 ではその発達を辿ってみましょう。ホルンは最初(便宜上ぐるぐる巻きにされた)1本の金属製の管で長さは2.4メートルから5メートル位ありました。円錐状の形をした管で、一方にベル、もう一方にマウスピースがあります。 それでマウスピースに当てた唇の間に息を吹き込み、唇を振動させれば―管の中の空気柱が共鳴して―倍音、またはもっと単純に「開放」音と呼ばれるいくつかの音を出すことができます。 これらの音はラッパと同じですが、管が長い分たくさん出すことができます。(下の倍音の図のように基音を1とすると、倍音の数は連続する上のオクターブごとに2倍、すなわち1、2、4、8、16となります。) 普通のFのホルンは1の音は出せません。4は中音のC、16は一番高いCです。オクターブ上の高い方が音がたくさん出ます。一番高い音域では音階を吹くこともできます。 Fホルンの難しさの一つは高いCがB♭トランペットで8番目であるのに対し、16番目であることです。それゆえ音がお互いとても接近していて、より細かいリップ・コントロールといわゆる「運」が必要です。

 ついでながら、3.6メートルのゴムホースにいつものマウスピースを付けるだけでどんな開放音でも吹けることが判りました。柔らかく愉快な音が出ますので、まさにFホルンを真っ直ぐに伸ばすとどの位長いかやってみせるという感じです!

 「替管」は18世紀はじめ頃に出始めました。いろいろな長さの管をマウスピースと楽器本体の間に装着して楽器の長さを変えることで、奏者は12音階のどんな調でも吹けるようになりました。またこの仕組みにより奏者は12個の楽器のかわりに一つの楽器と12個の替管を運ぶだけでよくなりました。大幅改善。それからハンド・ホルン技術も考え出されました。 ベルの中で手を動かすことで開放音の音程を下げ、それで少なくとも上二つのオクターブで出ない音を出せるようになりました。 これは音と音が接近した高い音域で吹かなければならない代わりに、よりもっと気が楽で、心地よい音域で旋律を吹くことができるということを意味しました。 こうして超高音を唇の筋肉をひどく緊張させて吹くという、とても困難さ―最新の楽器でも未だに全く容易でないのは同じ―を伴うバッハやヘンデルの曲から、モーツァルトやハイドン、ベートーヴェンなどのより旋律の美しい曲が生れ、ハンド・ホルンにとっておそらく最も偉大な作曲家、ブラームスで頂点に達しました。

「右手」には今日では四つの無くてはならない役割があります。
1.楽器のベルを持ち上げること。
2.手を退けるとある意味でかなり明らかに騒々しい音を柔らかくすること。
3.正しいイントネーション(音程)。
4.ミュート(弱音法)。

ホルンは膝の上に置いてはいけません。この位置だと音は体に真っすぐ当たって、遠くまで届かない、はっきりしない雑音に終わります。

 また逆に手を外して開放にするか、手首を楽器本体に付けないと音程を上げることができます。これがまさにホルンの演奏の特徴であり、 完璧に音程が合っている楽器など無く、唇の調節だけでピッチを変えることは大概不可能という訳です。

 右手をほとんど全部(全部塞ぐと吹けません)ベルの中に入れると、鼻にかかった音を出せます。これがいわゆるミュート(弱音法)で、化学繊維、金属その他の種類の弱音器でもいろいろな音質のミュートができます。 手によるミュートの特徴は管の長さを短くし、Fホルンのピッチを半音上げるということです。このため手でミュートしたパッセージの場合、半音移調しないといけません。 金属製ミュートは手によるミュートとよく似た効果があって、少しばかり吹きやすいものもありますが、大抵音程は変わりません。 それゆえ、「移調」と「非移調」ミュートという言葉があります。

 19世紀に登場したバルヴは単に、指の動きで瞬時に調管を付けるという機械的な仕組みであり、7種類の音(トロンボーンの7つのポジションと同じ)を出し、それによって完全な半音階を吹くことができるようになりました。

 ホルンは他の金管楽器よりもあてにならない、と考えられている(一般論ですが反論するつもりはありません。)のには3つの理由があります。 (1)ボアがその長さに比べ細い。(ユーフォニウムのように太いボアの楽器はずっと吹きやすい。) (2)マウスピースが非常に小さい。それに応じてコントロールしうる唇の筋肉は少ないと思います。 (3)高音域では音がお互いにとても接近していて、「違う」音がとても出やすい。 高音域ではどんな指使いでもあらゆる音が出せると思いきや、「間違ったあらゆる音」がそれと同じ位飛び出すのには驚かされます。 でもこういった他の金管楽器との違いは、結局きわめて独特な、特別な努力と緊張を払うに価するサウンドであると言うことができます。

 ホルンの音は本来、ヴィブラートのような人工的方法を加えなくても十分美しいと考えられています。 その一方で、不愉快にならないように上品にかけなければならないですが、ヴィブラートはある種の音楽においては必要だと思います。

 フレンチ・ホルンのためのレパートリーは少ないですが面白く、多様なものがあります。協奏曲ではハイドンが二つ、モーツァルトが四つ、シュトラウスが二つありますし、ヒンデミットには三つの作品―協奏曲とピアノとのソナタ、4本のホルンのためのソナタがあります。 ガンサー・シュラー(メトロポリタン歌劇場の第1ホルン)の5本のホルンのための五つの小品とヴィラ=ロボスの3本のホルンとトロンボーンのためのコーラス第4番という魅惑的な曲は、とてもよく出来た想像力に富んだ作品で大変素晴らしい。 それから変わったところではミッチ・ミラーのレコードで『テキサスの黄色いバラ』(1955年ジュークボックス一位)と『ホルン・ベルト・ブギ』の2曲があげられます。

 ブリテンのセレナードはおそらく現代の作品では最高のものでしょう。この曲はその殆どがハンド・ホルンで吹けるという感じですが、実は並外れて手首の曲げ伸ばしが必要なんです! ホルンにふさわしく、「無理なく」吹けて良く鳴り、(シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲル」の出だしのフレーズのように)ヴァルヴの無いナチュラル・ホルンでほとんど吹くことのできるホルン・パートを、という私の考えが生かされており、とても効果的で聴衆に大変満足感を与えます。

 ホルンの演奏は将来、このまま行くと、より大きく、上手く、激しく、高くなると思います。 でもどんなに楽器作りが進歩しても、常に同じ根本的なむずかしさが残るでしょう。その最も 大切で有効な要素は唇の筋肉です。結局のところ体の一部であり、いつもやっかいなのは唇で ホルンを吹く秘訣と言えば大概唇にある訳ですから・・・。


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